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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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今田新太郎は、書いた論文の中でよく「浦敬一」という人物に言及している。今田曰く
民間の志士が常に時の軍部と気脈を通じ世間より常に一歩も百歩も先んじて大陸に根を張って居った。(中略)浦敬一氏の如きは悲愴にも蘭州にいたりて行方不明となった。(中略)浦敬一氏の「児也去玄千萬里、縦跡恰假水上萍云々」の長詩の如き誠に当時の青年の士気を鼓舞し其腸を抉った物である。
「吾人は支那を如何に見るか」『偕行社記事701号附録』p.24
今田はこの人物をすごーく尊敬…と言うより、どうもこういう人になりたかったらしい。

でも「浦敬一」ってどんな人?食ったら旨いのか???ヾ(^^;)

取りあえずこういう時はネットで検索である。wikipediaでは単独項目としては立って無くて、「征清殉難九烈士」に併記されている程度である。
まとまっているのはこの辺りかな。
浦敬一 うら-けいいち

1860-? 明治時代の大陸浪人。
万延元年4月4日生まれ。長崎の「鎮西日報」の編集にあたる。明治20年清(しん)(中国)にわたり,荒尾精らと各地を調査。22年(1889)蘭州をへて嘉峪関にむかったまま消息をたった。肥前平戸(長崎県)出身。専修学校(現専修大)卒。本姓は坂本。
http://kotobank.jp/word/%E6%B5%A6%E6%95%AC%E4%B8%80
…とまあ、余り詳しく言及されているサイトやブログはどうもないようだ。ところが検索してみたら、どうも伝記があるようだ。
旧版はこれ(『浦敬一)だが、1924年初版の本なんてどう考えても入手するのは難関に決まってる。最近再刊されたらしい伝記叢書版ならなんとかなるだろう

¥17280(○。○) 余りの高額本なのに絶句。
こんな本は図書館で探すに限る…と思ったら、市立中央図書館にも県立図書館にもない_| ̄|○ 結局他県から借りる羽目に…なお、他の「伝記叢書」は割と揃っていたのにこれだけ無かったのは、購入を選定するに当たって”浦敬一”という人物はそろえる必要がないと思われたのではなかろうか?それくらい現代では無名と思われる…

では、今田がもしかしたら中江丑吉よりも石原莞爾よりも傾倒していたかも知れないという浦敬一というのはどういう人だったのか?伝記を概略版で紹介してみる。
※「つづきはこちら」をクリックして下さい



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今回紹介するこの本は、大仰なタイトルで伺えるように、石原莞爾の信奉者である武田邦太郎等を中心として出版されたものです。
出版の目的は
現代歴史学、あるいは一般通念に於いて石原莞爾先生は、昭和に於ける日本の大陸侵略の先駆者とされている。それでは満州事変・満州建国から日中戦争、太平洋戦争期にかけ、石原先生が朝鮮民族(当時の呼称)漢民族始め、日本帝国主義の支配下にあった多くの異民族から、最も信頼すべき平和者として尊敬されたのは何故か。石原先生の指導した東亜連盟運動が、日中戦争を帝国主義侵略戦争であると批判し、公然と早期和平運動を展開して、軍閥政府から過酷な弾圧を受けたのは何故か。又極東国際軍事裁判の酒田臨時特設法廷で、石原先生が厳然として満州事変・満州建国の正当性を主張し得たのは何故か。石原先生が侵略者でなかったからではないのか。
(後略)
p.6~7
とあり、石原莞爾の再評価を狙ったものです。…ということで、最初から中身には期待してませんでしたヾ(--;) おおかた「石原莞爾は素晴らしい!」「石原先生は偉大!!!」…で列ねられてると予想してたんですが、実際読んでみて案の定そうでした_(。_゜)/ 中に書かれている話も、ほとんど今まで読んだ石原莞爾本で既に紹介されてる話ばかりで新味もなく…あ、でも石原六郎(莞爾の末弟)が死んだ後、残った土地の相続をめぐって4年にわたる大騒動となり、結局そのほとんどが売却されて莞爾が最期を迎えた家も取り壊された話(p.230~233)とかは初めて聞くことだったので興味深かったです。子供のいないご夫婦・単身者は多いかと思いますが、ちゃんと遺言書いとかないとこういう事になりますよ~(ただ莞爾の遺産の場合は莞爾の取り巻きとかも生きていて ゲフンゲフン)。まあ子供がいてても泥沼になることも多いから一緒ですかね近頃は(T∀T)
あと「石原先生マンセー」文章ばかりの中で、特別寄稿された仁科悟朗(当時明治学院大学教授)の満州事変評価に関するコラム(p.69~77)だけは読み応えあったかなあ。満州事変の首謀者を「石原莞爾等とそれを支持する軍部中央の一部」とする意見には同意します。一方、武田邦太郎氏ら莞爾信奉者のみなさんは当然「莞爾は作戦を立てただけ、陰謀なんて知らなかった」(p.47~48)と力説されておられますが、莞爾本人があれだけ満州事変計画の一部始終を詳しく日記に書いてるのに知らなかったなんてねーよう言うわ…

…といろいろ書いてきましたがヾ(^^;)
この本の中で他の石原莞爾本より傑出しているのが掲載写真の多いこと。
これはこの本の編纂に協力された人の御子息がネットでその辺りのエピソードを紹介しており、拙ブログでも一度引用したことがあります。
今まで拙ブログで紹介した写真の出元もこの本で分かったことが多いです。
例えば今田新太郎+牛島辰熊+浅原健三+津野田知重というあの写真、現所蔵は牛島辰熊夫人で、しかも掲載されなかった写真の中にはあの三上卓が写っていた物もあったとか(○。○)…見たいヾ(--;)
あと初めて見る今田の写真も結構ありましたねー。

では気になる点とかの紹介まいる。
ほとんど写真の紹介になると思います ※写真はクリックすると拡大します。


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実は以前引用した「東京大学100年史編纂委員会 平泉澄氏インタビュー」のpdfファイルがどこにあるのか分からなくなってしまい、結局検索する羽目になったのだが、その過程でこんな小論文を見つけたでござる。
 「東京大学文学部日本史学研究所旧保管「平泉澄氏文書」について」(若井敏明)(『東京大学文学部日本史学研究室紀要 第9号』2005年3月)
末尾に付いている文献一覧をずずーっと見ていくと、何と島津氏関連では必ずお世話になる五味克夫氏のお名前はっけーん(○。○)…平泉ゼミに在籍していたことがあったのか。と言うか五味さんすごいお年と言うことですよね…ご健在でしょうか…

では前回途中で挫折した続き。
いよいよ平泉は軍の教育に足を突っ込んでいくこととなります…

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前にも触れたのだが、在神戸英国大使館が陸軍中野学校の学生と伊藤佐又という将校(中野学校教官)によって襲撃されたという事件、今田の親友である高嶋辰彦桜井徳太郎がバックにいるという話はいろんな本やネットにもちらちらとは載っていたのだが、
はっきりと
関係がある!
とか
この事件の概要はこうだ!
と書いた物が無くって、本当に高嶋と桜井が関係あるのか、そして私の推測通り、高嶋と桜井の左遷はこれに関係あるのかはっきりしなかった。

しかし、今田関連で入手した本『昭和憲兵史』に非常に詳しい記述があったので、それを元にして私の推測も交えつつ紹介してみることにする。
なお管見で見た限り、この事件に触れた本は多くても、高嶋と桜井までからめて触れた論文とか本は皆無なので、このブログが初めて取り上げることになる(と思う多分)。
…こういうニッチネタは早者勝ちなのである。( ̄^ ̄) この台詞義弘の肖像ネタでも書いたようなf(^_^;)

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今回紹介させて頂くのは、石原莞爾の敵ヾ(^^;)大谷敬二郎という人物による『昭和憲兵史』と言う本です。
※大谷がどれくらい石原莞爾を敵視していたかについては拙ブログのこの辺とか
 またこの記事に紹介した本は、この『昭和憲兵史』を参考資料としている
日本憲兵正史』と言う本によると、大谷は満州事変時には奉天で憲兵を務めていました。この時にどうも石原莞爾や花谷正にかなり不快な目に遭わされたようで、その時から石原を個人的に敵視していたように思えます。

タイトルでも分かるように、この人は憲兵出身で、戦後は東京裁判により刑に服しますが、その後釈放されていわゆる「軍内幕暴露系」の作家になったという人です。ただ、悪名高い憲兵の「名誉回復」を図っておられたようで、その点記述には注意が必要かと思います。

ざっと読んだ限り、結構今田の関連記述は多かった。
ではまいる。

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