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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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京唄子さんが4/6に89歳で亡くなられていたそうですが。

この10年ぐらいはすっかり地元関西でも露出しなくなってました。
多くの方にとっては『渡る世間は鬼ばかり』で有名な方だったでしょうが、私的には『おもろい夫婦』という番組で馴染みのある人でした。この番組実は嫌いだったな~ヾ(^^;)日曜日の夜10時半という放映時間もあり(明日から学校か~)という気分で暗いのを後押しするような、雰囲気暗い番組でした。しかもこれの前の番組があの伝説的番組『パンチdeデート』で、落差ありすぎ。

ちなみに私にとって「おおとりけいすけ」とはこの京唄子の元夫・通称“ぽてちん”でしたヾ(--;)
同名異字の有名人が幕末にいたことはかなり後になってから知る(ヲイ)

…年齢ばれてきたところで、気を取り直してヾ(^^;)



では本日の本題。
前回の話はこちらです。

別件で取り寄せた本に載っていた史料より
(天正19年2月)二十九日、宗ゑき(注1)と申者、天下一之茶之湯者ニて候つれ共、色々まいす(注2)仕候故御清はい有之也、大徳寺山門之こうりう仕、末代迄名を残と存木像を我すかたニ作、せきた(注3)をはき、つゑをつき□(申カ)有之、いわれ関白様ヘ申上候へハ、猶いよいよさいふかく成申候間、くひをきり、木像ともにしゅらく大橋(注4)にかけ置候也、大徳寺之長老衆も両三人はた物(注5)に御あけ候ハんと儀候つれ共、大政所様、大納言殿こうしつ(注6)、各上様へ御侘言により長老衆御たすけ分也、玄以法印(注7)・山呂玄羽(注8)、御はな分也、木さうは一日○(=25日)よりかゝり申候。今日千本ねん仏へ参、
(「北野社家記録」)
『史料による茶の湯の歴史』(上)主婦の友社 p.432
(注記)
1:宗ゑき→千利休
2:まいす→売僧 つまり僧侶であることを隠れ蓑として金儲けに血道を上げている悪徳坊主を指す
3:せきた→雪駄
4:しゅらく大橋→”聚楽大橋” 一条戻橋のこと(但し現在の戻橋とは場所が異なる)
5:はた物→「機織り機に掛けて見せ物にする」=張り付け獄門のことガクブル 詳しくは拙ブログのこちらもどうぞ
6:大納言殿こうしつ→“大納言殿”こと豊臣秀長の正室・智雲院か。なお秀長は天正19年1月22日に死去。
7:玄以法印→前田玄以
8:山呂玄羽→山口玄蕃頭正弘の誤字か。山口正弘(宗永)は後に小早川秀秋の筆頭家老となるが、更に独立大名となる。関ヶ原の合戦で西軍につき前田利長に攻められ戦死。

「北野社家記録」は”北野”こと北野天満宮の社家であった松梅院の日記で、いわゆる同時代史料と言って良いと思います。
その日記で「首を切り、(大徳寺にあった)利休の木像と共に一条戻り橋に張り付けされた」とあるのですから、やっぱり千利休が助かった可能性は低いんではないかと考えます。

ただ、巷説では「千利休は切腹で死んだ」(上掲書『史料による~』でも江戸時代初頭に成立した「利休由緒書」で「利休は切腹」という話が出ている)とされていますが、「北野社家記録」では「御清はい」(御成敗)とありますので、実際は斬首だったのかも。


ところで。

今回参照にした『史料による茶の湯の歴史』は、その問題の中村修也氏も編集に関わってるようなんですが(^^;)、「北野社家記録」をまさかうっかり見過ごしたわけではないと思うんだが…。

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前の話はこちら 



今回は前回、前々回の範疇に入れないこぼれ話を紹介。一応タイトルは「江戸後期世相」としてますが、実は『三川雑記』自体世相話の固まりなんで、こういうタイトルにすると、全文紹介しなければいけないことになるのだが…ご勘弁を(^^;)

では
※ご興味のある方は「つづきはこちら」をクリック

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前回の話はこちら



『三川雑記』の著者・山田三川は元々は津藩の町医者の息子だったのが、儒学者となって松前藩に採用されます。
そのため他藩、特にお隣さんというべき東北諸藩と、密貿易仲間ヾ(--;)の九州諸藩の動向には大変興味があったようで、その辺に関するいろんな噂話?の類が面白いです。
いくつか目に付いた物をご紹介します。
前回同様に意訳なので、更に興味のある方は図書館で借りて読まれることをオススメします。
ではさっそく

※「つづきはこちら」をくりっく



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前の話はこちら



『北海道戦国史と松前氏』を読んだときに参考史料としてあげられた『三川雑記』と言うのが何だか気になって地元の図書館を検索してみたら、何と所蔵してたので取り寄せてみた。
江戸時代後期の儒学者・山田三川という人が書いた雑記録、といった内容です。文体は漢字カナ交じり文で、古文苦手な人も何とか読めると思います(多分)

が、問題なのはかなり古い本(昭和47年刊)なんで、索引の類が全くついてないこと_| ̄|○
目的の文がどこに載っているのか皆目検討がつかない…。
仕方ないので、貸出期間の2週間…いや実際オーバーして2週間超えたけど(図書館の皆様ごめんなさい)、必死になって読みましたよ、全555ページ⊂(。Д。⊂⌒`つ


内容は、江戸時代も幕末近くになった天保頃からの、外圧と飢饉による内政混乱の日本の諸事情を書いていて興味深い物でした。幕末史に興味のある方は必読かと。
あと、江戸後期には戦国時代の話がどう伝わっていたかというのが伺える話もあります。

いくつか、島津氏(鹿児島藩)についても言及している個所があったので紹介させて頂きます。
ただし、原文通りに入力するとかなり大変なので、意訳と言うことで。興味のある方は図書館で借りてみて原文を確認して下さい(汗)

ではまいる
※「つづきはこちら」をクリックプリーズ


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今までの話は こちらこちら
かなり長くなりましたが、もう少しのおつきあい宜しくお願いします<(_ _)>

(頭注)
(1)『看羊録』はいろいろな本に所収されていますが、今回使うのは東洋文庫版になります。一番図書館に置いてあるのもこれかと。
(2)[ ]→翻訳を担当した朴鐘鳴氏による補注
(3)<>→著者の姜沆自身による補注
 私が倭京から出発する日、倭僧舜首座(注1)は大丘(注2)の虜われ人金景行なる者を[通訳として]招き寄せ、密かに、次のようなことを私に耳打ちしてくれました。
「きのう、筑前中納言金吾[小早川秀秋]に会ったのですが、その言うのに、『内府[家康]は、やがて明年には再挙して、朝鮮を犯そうとしている。もしそうであれば、私もまた[朝鮮に]行かねばなるまい』とのことでした。秀吉の生きていたとき、家康は極力兵を寝める(注3)ことを主張していたのですが、今このような議論があるのは、必ずやこれは、内府と肥前[前田利長]・備前[宇喜多秀家]らとが不仲なので、彼らを平[穏にその領]地に置いておけば、変事を起こしはしないか気がかりで、それで、この輩を朝鮮に送り込むことによって、その兵[の]勢[力]を消耗させようというのです。今年の内に、肥前との和事が成立しなければ、つまり根本が定まらないわけですから、朝鮮が心配することはありますまい。もし、[和事が]成立すれば、兵を動かすこと、疑いありません。[その場合、事は]きっと明年の間に起こりましょう。朝鮮は、そのために、予め備えなければなりますまい。あなたは、帰国されても、どうか今日の[私のこの]言を忘れないで欲しい物です。朝鮮の人は、何の罪もないのに、秀吉の兵火を被りました。私は、[それを考えると]ずっと気持ちが塞がらないことがなかったのです。だから、今告げ報らせるのです」
また、医師の理安(注4)が、[小早川]金吾[秀秋]の所からやってきて、言ったことがありました。
「明年、再挙[朝鮮に出兵]し、内府は長子の三河守[徳川信康](注5)を大将とするつもりだ、とのことです」
 私は、驚きと疑いを抑えられず、出発を数日間のばして、あちこちで聞きあわせてみたところ、ある者が次のように言いました。
「今年の正月中、内府は、五万石以上の倭の[大名の]子弟を人質として関東に送るよう求めました。諸倭はあるいは養子を送り、或いは実弟を送りましたが、ただ、清正や越中守[細川忠興]らだけには、実母か実子を[送るよう]求めました。(注6)
内府がまた、元日に、倭の皇帝(注7)に王京でお目見えしようとしたところ、清正らが、武装兵を領いて先に伏見に上り、それを出迎えようとしました。内府は、それを聞いて病気である、と言って上京しませんでした(注8)。和人はみな、内府は臆病だ、と笑いました。若州少将[木下]勝俊は、ちょうど秀吉の本妻[大政所(注9)ねね]に侍して王京にいたのですが、家康が今にもやってくると聞き、黄金40余錠(注10)を費やして、接待の準備をしました。[しかし、]病気だと言っているのを聞いて、大変失望した、とのことです。
清正らの欲しているのは朝鮮にあるのではないので、家康は、いまだかつて、この輩のことを一日たりとも忘れたことがなかったのです。
日本は、数百年来四分五裂し、関東が一国となり、奥州が一国となり、中国が一国となり、四国が一国となり、九州が一国となりました。[織田]信長が立つようになって、暫くの間[日本を]統合しましたが、その末年には、元に戻って、また分裂してしまいました。
秀吉が立ってから、またしばらく統合しましたが、今はその本人も死んでしまい、その[情]勢はまた分裂しそうです。もし、ふたたび分裂すれば、のちに必ずや秀吉のような者が更に生まれ、その後、朝鮮が再び兵渦を受けるでしょう。
しかし、世の中のことは、朝にかわり、夕にも変化するものか、あるいは、終始固定不変な物か、それは知ることができません。
家康は、広[い領]土と多数の民衆を擁し、両部の[有利な]形勢によって諸倭に号令しています。心服する者は少ないとしても、やむを得ず服従する者は多数です。[ですから、]しばらく敬遠して様子を見るのが、貴国としては得策です」
<[以上の言は、]嵯峨院の倭、与一(注11)の言葉であります>
[毛利]輝元の参謀僧、安国寺[恵瓊]は、常日頃その国政に与っています。その左右[にいる者]は、みなわが国の人たちで、国を思う心を忘れてはおりません。[それで、]通りがかりに、秘密裡に招いて問うてみたところ、
「数十年は、きっとその朝鮮を犯すという心配はありますまい。倭の輩はちょうど桟豆を争っていて(注12)、心配事と言えば簫しょう(注13)であります。何の暇があって他国の侵略に及びましょうか。云々」
とみながそう申しました。
「詣承政院啓辞」p.207-210
(注1)舜首座→藤原惺窩 この頃はまだ相国寺僧侶
(注2)大丘→大邱のこと
(注3)寝める→「やめる」と読む
(注4)理安→吉田意安(宗旬)の弟子。詳細未詳。
(注5)家康の長子三河守→もう何回も指摘したが,この当時徳川信康は既に故人。結城秀康と間違っているかとも考えたが、官名が違うし…。
(注6)子弟を人質~清正、越中守らだけには実母か実子を→細川忠興がこの時に三男・忠利を人質に出したため、忠利が後の家督継承で有利になったのは有名。加藤清正は人質出した記憶がない。えらい方のコメントお待ちしてます<(_ _)>
(注7)倭の皇帝→後陽成天皇 慶長5年の正月に後陽成天皇が家康に謁見したかどうかは管見では不明。
(注8)清正らが、武装兵を領いて~内府は~上京しませんでした→こういう話は寡聞にして聞いたことがない。史実はどうだったのか。これも詳しい方の御教示おまちしてます。
(注9)大政所ねね→ねねは政所なので、これは訳者の方のケアレスミスかと。ちなみにねねは木下勝俊の叔母になる。
(注10)錠→金を計る単位。時代によって形状も重さも変わるので簡単に現在の価値に換算できない。この辺の説明もご参照下さい。
(注11)与一→角倉素庵(了以)。先述(注4)理安の師匠・吉田意安は実弟。
(注12)桟豆を争っていて→『晋書』宣帝紀の「ど馬が桟豆に恋々とするように、使うに耐えない」と言う記述から来ている。つまり、「つまらない争いごとをして」という意味
(注13)簫墻→「しょうしょう」と読む。「墻」は「牆」の誤字。『論語』季氏編の「吾れ恐る、季孫の愁いはせんゆに在らずして簫牆の内にあらんことを」と言う文から来ている。つまり「内乱の恐れ」の意味。

こちらも前回同様かなり通説と違うというか、姜沆はガセネタつかまされた感が強いんですが(^^;)
上の文を見ると、どうもガセネタの元というのは小早川秀秋のように思われます。
(1)「舜首座」こと藤原惺窩が「今度は徳川家康が朝鮮に攻めようとしている」と言っているが、藤原惺窩の弟子の一人が小早川秀秋で、とりわけ上記の話は直接秀秋から聞いたことになっている。
(2)理安が(1)同様のことを言っているが、「小早川秀秋の所から来て」と明言されている
姜沆は『看羊録』を見る限り、小早川秀秋と直にあったことはないようなんですが、姜沆の情報源に小早川秀秋に縁のある人物が多く、秀秋ルートのガセネタが大量に流れ込んだ物と考えられます。
なお、秀秋が何でこんなガセネタの元になった理由は不明。多分戦略とか考えがあって流したわけではないと思います。秀秋の立場が微妙すぎてこんなガセネタしか持ってなかったのではないかとヾ(^^;)



おまけ

さて。姜沆が「打倒日本!」を掲げて命の危険を顧みず書いた「看羊録」なんです

約100年後、とんでもないことに…

1719年(享保4年)、徳川暴れん坊吉宗の就任を祝う朝鮮通信使で書記官を務めた申維翰。道中を「海游録」と言う日記に書いています。その頃の朝鮮では書籍が中々手に入りずらかったのか、途中で立ち寄った大坂で本の買い出しに精出していた(p.245)ようなのですが、申が本屋で見たものは
 朝鮮出兵の時に豊臣秀吉への通信使になった金誠一が書いた「海槎録」
 朝鮮出兵時の宰相だった柳成竜が書いた反省記「懲毖録
 そして今回のネタ「看羊録」
これらは朝鮮王朝の対日本重要資料としてどうもマル秘資料だったようなのですが、大坂の本屋で普通に販売されていたみたい(爆)。申は「賊を調査しながら賊にその調査内容教えてるのと一緒、国の規範が緩んで末端の役人がたるんでいるからこの有様だよ!。・゚・(つд∩) ・゚・ 。」(ばんない意訳)と嘆いています。

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