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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
実は去年の秋ぐらいから、記事を書けなくなり、2018年のうちは書きためていた物を使ったりして何とかしたのですが、年が明けると全く書けなくなってしまい、現在に至っています。

日常生活でも薬の力を借りて何とか見た目は正常に見えているようですが、思索の時間を与えてくれない家族に対するおもいが溜まっている状態です。

いよいよ今晩で元号が変わるわけですが、考えることはいっぱいあったのに、それを文章に出来なかったのが残念です。
思い返せば平成は良い時代ではなかったというのは日本のみなさんなら同じ考えかと思います。
「令和」はまともな時代になれるのでしょうか。
「令和」もいきなりクサされたりけなされたりしているようですが、「昭和」にリスペクトされた元号の様に感じられてちょっと心配です。昭和も前半は混迷から転落の一途でかなりメチャクチャでしたからね…

皆様なんとか生き延びて下さいね
では

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平成最後の年末ですが、皆様如何お過ごしでしょうか。
拙ブログを見返してみると、毎年最後には「今年も大変な一年だったなあ」と振り返るのが通例になってきてますが、今年はとりわけ異変の多い一年でした。
7月の大豪雨、それが終われば連日40度越えの猛暑、ちょっとお盆過ぎてマシになったと思えば台風20号、21号の連発、21号の翌日は北海道で大地震…
自然災害をのけても、走行中の新幹線で通り魔とか頭のおかしい人や、北朝鮮+中国の不穏な動きが更に目立つように。
平成最後の年は、名前に反して「平らか成らざる」1年でした…

平成の30年間、実は私の人生の中盤大半を占めているのですが(年がばれる罠)、
振り返ってみると、平成という時代そのものが平穏でなかったように思います。
バブルの崩壊、阪神大震災、オウム真理教事件で始まり、この30年間の歩みというのは「日本の転落」そのものだったように思います。
私的な話しで恐縮ですが、個人的にもこの30年間はかなりつらかったです。
その30年の中で「戦国島津氏(の女性)」や「今田新太郎」という埋もれていたネタ(と私は勝手に思っています 失礼ご容赦)に遭遇して、HPを立ち上げたり、ブログを書けたのは数少ない僥倖だったのかなあ、とも思います。

…世間様の役にどれくらい立てているのか分からないんですが。

更に振り返ってみると、1945年に戦争に負けた時点から日本国民は必死になって這い上がってきたのですが、その到達点「世界で一番長寿」に実際になってみるとちっとも幸せじゃなかったという…戦後約70年の歩みが、結局「壮大な実験の破綻」だったというのは認めたくないのですが、連日報道される山のような高齢者問題を見ると、認めざるを得ないでしょう。



さて。
今年は前年度までよりは更新頻度が上げられたのが個人的には良かった点かな、と自己満足しています。ただ、内容が拙ブログの本来のネタである戦国島津がらみじゃなく、古代日本史ネタに偏って、昔からの読者の皆様には申し訳なくお詫び申し上げます<(_ _)>  平成もまもなく終わり、今まで死蔵していた自分の考えなどの諸々を整理していきたいなと言うのが、これから迎える新しい時代での私のテーマです。これを世間では「終活」という(苦笑)
…しかし、今年の猛暑ではエアコンかけて部屋冷やしても肝心の頭が働かず、やっと9月に入って涼しくなってきたと思ったところで、私生活でつらいことがあってどうしようもない事態に陥ってしまいまして。実は夏場以降の更新ネタの大半が、6月以前に書いていた物です。今頃ネタ晴らし(^^;) 来年以降も日本はこんな調子なんでしょうか。よく「熱帯の人間はサボりが多い」なんて酷評されてますが、サボりが多いんじゃなくて、暑さで動けないんですね…今回しみじみ悟りました。

拙HPも今年は3年ぶりに(ヲイ)更新しました。手直し程度なんですが(^^;)
来年以降もさくさくと進めていけたらいいなあ、と思っております。

では皆様、良いお年をお迎え下さい<(_ _)>

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前の話はこちらです。 前編 後編



実は、図書館で検索していて偶然に『学徒出陣の記録』には続編があったことを知る。
今回借りて参りました。
 『学徒出陣から五十年』
前作は中公新書というメジャーどころから出されたのですが、こちらはどうも自費出版だったようで、それが気が付かなかった一因かと思われます。ただ、本自体のパッと見た目は中公新書っぽいんだよなあ(^^;)

実はこの本がだされた1993年(平成4年)時点で、この記事のネタ主ヾ(--;)・土田直鎮氏はガンのため死去されています…なので、前回(昭和43年)以後の考え方の変遷などを伺う文章が載せられていないのが残念なのですが、亡くなる直前に書かれたコラムなどが掲載されており、戦後の土田氏の歩みを伺うことは可能です。
こちらの本と、『歴史と私』(中公新書)を併用して、「過激な歴史学徒」土田直鎮青年がその後どうなったのかを、簡単にたどってみる。

ご興味のある方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ。


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検索していて、気になる史料を見つけた。
所蔵しているのは何と宮内庁の書陵部。
しかし、HPをよく読んでみると、手続きさえちゃんとすれば、プロの研究者以外にも公開しているようだ。

ということで、9月上旬頃に電話で問い合わせてみました。
※「電話で問い合わせ」したのは、HPはあるが、Eメールでの受付をしていなかったので。
電話に出たのは感じの良い女性。「HPでみた書陵部の史料について…」というと「担当に回しますね」
ということで、転送されたら、次に対応してくれたのは
 どーんよりした声色の男性ヾ(^^;)
おそるおそる聞いてみる
「…あの、HPで○○○という史料を所蔵されていると見たのですが、COPY可能でしょうか」
「あー、大体の史料は大丈夫だと思いますよ。」
という、何か心許ない回答ではあったが、指示されたとおり 封書 で申請。

それから申請したことを忘れかけた約2週間後に、
「宮内庁」
と印字された封筒がポストに入っていた。
文書内容は
「宮内書初○○○号
平成30年9月○○日

○○○○(※ばんない本名)殿

                               宮内庁書陵部長(印)

平成30年9月○日付けで申請のあった資料の使用については下記の通り差し支えありません。
(以下略)」
…文章がガチガチに硬いヾ(^^;)さすが宮内庁。
ただ、肝心の資料本体は入っておらず、別紙に「後日郵送」「請求書は資料と同封」と書いてあった。

そして申請自体をすっかり忘れた(ヲイ)一昨日になって、身に覚えのない小包が…
送り主をよく見ると「宮内庁依頼資料」と書いてある。それをみて「ああ、あれかあ!」と思い出したのであった。
肝心の中身なのだが
 COPY用紙A4が3枚(資料の内容が内容(←謎)だったのでもっと大きな物かと思っていたのだが…)
問題なのはこれだけの文書で
 請求金額¥1490⊂(。Д。⊂⌒`つ
…な、なんてぼろい商売ヾ(--;)
高額になった原因としてはCOPY3枚をわざわざゆうパック60サイズで送って下さったと言うこともあるかと。というか、その分量なら普通郵便でも良かったです…。せめてクリックポストとか

今時申請にメールもつかえず、レスポンスは申請から1ヶ月半というカタツムリもビックリの遅さヾ(--;)
でも、勤めるならこんな所が良かったかなあ、と思ったのでした(ヲイ)
宮内庁書陵部は最初から就職先の候補にも入ってなかった、不覚ヾ(^^;)もっともこっちが希望しても簡単に就職できる場所じゃないというのは重々承知してますけどねー。



肝心の史料については後日公開(来年になるかも?)

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徳川家茂・慶喜の銀印を発見、条約批准書に押印
2018年08月20日 08時45分

 江戸幕府の第14代将軍徳川家茂、第15代慶喜が外国と結んだ条約の批准書に押した銀印「経文緯武」が見つかった。将軍の署名とセットで用いられた、当時最高レベルの印章というべきもので、日本外交史における重要な資料だ。

 徳川宗家の歴史資料を保存・調査する徳川記念財団(東京)が明らかにした。印面は9・2センチ四方、印面からの高さは7・8センチで重さは2・7キロ。宗家の蔵を整理した際に、長持の中から、ほかの印章と一緒に見つかった。米国立公文書館が所蔵する日米修好通商条約の批准書(1859年)などの印影と一致し、1857年に幕府が印章を製作させた記録とも符合することから実物と判断された。

 この印影は家茂、慶喜の2代にかけて英国やフランス、デンマークと結んだ条約の批准書や、文久遣欧使節の信任状などで確認できる。東京大史料編纂所の保谷徹教授(幕末維新史)は、「重要な外交文書に限って用いられ、家茂から慶喜に引き継がれた国のしるしというべきもの」と評価している。新潟県立歴史博物館(長岡市)で開かれる「徳川の栄華」展で9月15~30日に公開される。
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20180820-OYT1T50008.html

幕末徳川家の銀印発見=日米修好通商条約で使用-記念財団

 江戸末期に徳川将軍家が外交文書に使用した銀印「経文緯武(けいぶんいぶ)」が見つかったと、徳川記念財団(東京都)が20日付で明らかにした。銀印は14代将軍家茂と15代将軍慶喜によって日米修好通商条約の批准書(1859年)などで使われており、日本外交史の貴重な史料といえる。

 財団によると、銀印は2017年に徳川宗家の蔵を整理した際、箱の中から見つかった。1857年に幕府が篆刻(てんこく)家の益田香遠らに命じて作らせたもので、縦横ともに9.2センチ、高さ7.8センチで重さは2.7キロ。
 「経文緯武」は文武両道を兼ね備えた理想的な政治を表す言葉で、条約の批准書や、文久遣欧使節を派遣した際の信任状などで将軍の署名と共に押印された。
 財団学芸員の岩立将史さんは「この印が押された文書は主に海外に残っており、今後調査・研究が進むのではないか」と話している。
 銀印は新潟県立歴史博物館(長岡市)で開かれる展覧会「徳川の栄華」で9月15~30日に公開される。(2018/08/20-12:42)
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018082000485&g=soc

徳川埋蔵印、150年ぶり発見 通商条約批准書に押印

編集委員・宮代栄一
2018年8月20日05時01分

 1858年に結ばれた日米修好通商条約などに江戸幕府14代将軍徳川家茂の署名と共に押された幕府の公印「経文緯武(けいぶんいぶ)」。この印章が約150年ぶりに、東京都内の徳川宗家の蔵で見つかった。幕府が開国をへて欧米との通商関係へと踏み込んだ歴史的な瞬間を刻んだ、その実物だ。

 印は縦9・2センチ、横9・2センチの銀製で重さは2・7キロ。所蔵する徳川記念財団(徳川恒孝〈つねなり〉理事長)によると、約1年半前、宗家の庭にあった蔵を取り壊した際に、蔵の一番奥から調度品を収める長持(ながもち)に入った状態で見つかった。
https://www.asahi.com/articles/ASL8F7GPDL8FULZU00L.html?iref=pc_ss_date

3つ並べてみるとよく分かるが、
読売や時事ではひとっことも「埋蔵」とは書いてないのに
どうして朝日のタイトルには「埋蔵」…
思わず「遂にあのウソハッタリの徳川埋蔵金が出て来たの?」と思って記事を読んでがっくりした私のような人は多いはず(^^;)シクシク…また朝日に騙されたヽ(`Д´)ノ

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