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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
『NMBとまなぶくん』と言う深夜番組を偶然見ていたら
東大史料編纂所教授の本郷和人氏が出演していて、最後に好きなNMBのメンバーまで明言してお帰りになられた件。

日本の周りはきな臭いはずだが、日本は平和であるヾ(^^;)
てゆーか、東大史料編纂所もずいぶんとライトになりましたね~。



では本題。
以前島津常子のことを調べていたときに、関連して検索していたら
 かなり吹っ飛ぶような人物だったヾ(^^;)
ので驚いてしまった。
ある意味(ヲイ)スゴイ人物なのに、余り知られてないような。
今回関連で紹介してしまおう。
しかし、こんなすごい?ネタは津野田さんとか別府小吉以来のようなヾ(--;)
では気になる方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ。

※この記事に出てくる写真は『宮家三代の秘蔵写真』か『伯爵鹿島萩麿』からの引用になります。
※上記の文でお察しの方も多いかと思いますが、未成年にお見せしづらいネタが絡んできますので、その手の話が苦手な方はスルーでお願いします



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『最後の姫君』ではこういう女性も紹介されていた。 山内容堂の娘である光姫。
写真はこちら  関係ないが、帯の位置がかなり下なのでビックリ。こんなのでずれることはなかったんだろうか…
このお姫様、余り注目されることはないのですが、なかなか微妙な生涯を送られてます。 ある意味容堂の[影]を象徴しているような。 興味深いので紹介しちゃおう。
興味のある方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ。
※この記事に掲載される写真は上の一枚も含めてすべて『最後の姫君』から引用した物です

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前の話はここら



島津常子には成人しただけでも実に上下合わせて14人もの兄弟がいました。今じゃ考えられない数ですね。
もちろん、この時代のことですから、お母さんは同じではなく
9人:妾 山崎須磨子
5人:妾 菱刈久
となっています。てゆーか、9人でも多いぞヾ(^^;)

薩摩藩が明治維新時に勝者の側に立ったお陰かどうか、女性はそこそこ良いところに嫁がれています
…といっても、常子みたいにずるずる行き遅れて諦めたころ?に宮家から話が来たと言うことも割とあったようですが(^^;)
余りにも家柄が良すぎても、今度は相手を選ぶので、意外に華族のお姫様の婚家探しは大変だったようです。

前回のお話で紹介した『幕末300藩 古写真で見る最後の姫君達』では、常子が2人の妹と一緒に撮影した写真が出ています。常子がようやくヾ(^^;)結婚がきまった明治35年に撮られた記念写真です。

一番左の洋服姿の女性が常子で、真ん中で立っているのが正子、右で椅子に座っている一人年少の女の子が為子 というのは前回で紹介済みか。
正子に関しては同じ本の「近衛泰子」の項目の方で詳しく登場しています。

この二人の妹も興味深い生涯を送ってられます。
ついでに(ヲイ)紹介してしまおう。
※興味のある方は「つづきはこちら」をクリックぷりーず
※この記事で紹介する写真は1枚を除き『幕末300藩 古写真で見る最後の姫君達』から引用した物です



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先日、本屋でちらっと立ち読みした本関連でネットで検索し、今頃になってトランプ大統領の黒幕?と言われる人物「スティーブン・バノン」という名前を知ったわけだが(汗)
このバノンという人物、ある歴史観を“信仰”しているらしい。その歴史観というのが「フォースターニング」論と言われる物で、国の命運は4つのステージをぐるぐるぐるぐると繰り返している…というもの。これだけでは何が問題なのか分かりにくいが、この論では個人主義が最高潮に達し狂信的な投機が賞賛された(→今の時代に似てますね)後には、一転して国家権力が強化され市民が集団に動員されるという最後のステージが待っている…というもの。この「フォースターニング」論を主張した人は「森は定期的な山火事を必要としているし、川にも洪水が必要だ。社会も同じであり、新たな黄金時代を迎えるためにわれわれには支払わなければならない代償がある」と言う比喩ではあるが、社会制度が硬直したときには戦争をも含めた破壊行動も全然否定してないというかむしろ推奨してるような雰囲気があるのがコワイ

とここまで読んで、これどこかで見たことあるな~と思ったわけです。
これって、石原莞爾の「最終戦争論」そっくりじゃないか?、と。
最も「最終戦争論」は大戦争の後には恒久的な平和が来る=歴史はループしてない、という点で「フォースターニング」論と違う点もありますが。

ともかく、こういうテロや紛争多発の似たような時代に、似たような思想がじわじわ支持を得ているところがコワイ。
石原莞爾自身もそうだった(と私は考えている)ように、自分の信念に基づいて火に油付けて自ら戦争の火種を巻いてしまう場合もありますしね。

ちなみにこの「フォースターニング」論は翻訳本が出たそうです。訳者自身もトンデモ本と思ってられる節がありますが(苦笑)



では気を取り直して本題。

最後の鹿児島藩主であり、明治に公爵となった島津忠義の娘からは2人も皇族妃になった人が出ました。
一人が前回紹介した三女(実際は四女)・常子です

もう一人の宮妃の方が有名かも知れない。
ちうのも、その人は今の天皇陛下の曽祖母になるからです。

ただ、かえってこういう背景があるためからか、有名人の割りにはその生活ぶりとかを伝える資料とか本をほとんど見たことがない。
今回『闘う皇族』(浅見雅男)と『少年皇族が見た戦争』(久邇邦昭 ちなみに今回のネタの孫になる)
を参考に書いてみる。
ただこの二冊の本でも、記述はかなり乏しいのが現状ですが…。

今回のネタは 久邇宮邦彦王妃・倶子(ちかこ) です。
※なおこの記事中に掲載した写真は上記2本及び『近代皇族の記憶-山階宮家三代』から引用した物です



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悲報 阿闍梨餅減産のお知らせ
(T∀T)
京都土産でお手軽でおいしいの代名詞だったのですが…原料不足じゃ仕方ないか

では気を取り直して本題
幕末三百藩 古写真で見る最後の姫君達
と言う、いかにもミーハーな本を借りてきました(^^;)
その本に一人だけ、島津家のお姫様がネタにされていました。
 島津常子
最後の薩摩藩主・島津忠義の娘の一人です。
ちなみにこのコラム執筆の担当は尚古集成館学芸員の寺尾美保氏。肩書きにもうひとつ「東京大学大学院博士課程在籍中」とあったのでちょっとビックリ。鹿児島から飛行機通学でしょうかねヾ(^^;)

では本題にもどって、島津常子がどういう生涯を送ったのかと言うことについて、上記の本に書かれた寺尾氏のコラムなどを元にして紹介してみる
気になる方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ
※以下記事中に出てくる写真は上掲本、または『近代皇族の記憶-山階宮家三代-』より引用した物です。



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