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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
うーむ、このカテゴリーのネタ、久し振り~(^^;)
関連ネタはこちら



近衞「太郎」のことを調べているときに『玄与日記』なる物の存在を知る。今頃になってかなり恥ずかしいのだが(^^;)

ちなみに『玄与日記』というのは、阿蘇惟賢(法名「玄与」)が書いた物。ただ長期間にわたって綴られた物ではないらしく、近衛信尹が流刑先の薩摩国坊津から京へ帰還するまでの数ヶ月分しか残ってないらしい。
現在残存している分は『群書類従』日記部/紀行部に所収されている(近代デジタルライブラリーでも見ることが可能)。

ここに島津義久が書いた和歌が何首か所収されていた。
見てみると、今まで紹介してなかった物なので、今頃になって改めてご紹介。
ではご興味のある方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ


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以前コメントで紹介されていた『戦国時代和歌集』という本が図書館にあったのを偶然見つけ、借りてきました。

何かビニールポーチに入れて貸し出された(^^;)
取り出してみると、紙質がかなり悪く、紙がへろへろである。
巻末の発行年を見ると昭和18年。戦争まっただ中である。そりゃ紙もいいの使えません罠…
でも、実は今田さん関連で借りた昭和20年代前半の本よりは随分マシだったり_(。_゜)/

この本は有名な歌人・川田順が南北朝時代(当時は「吉野時代」と言われていた)、幕末の和歌の研究をした後に、「次は戦国時代だ!」…と出したものです。対象は応仁の乱~万治2年_(。_゜)/。戦国武将の辞世を集めてたら江戸時代も中期に掛かるころまでやらざるを得なかった様だ(^^;)
巻末の索引を見ると、一番多く収録されているのが豊臣秀吉(24首)、次が細川幽斎(20首)。島津義久の作は8首ですが、実はこれは武田信玄、伊達政宗らと並んで同率3位だったりします。

この8首のうち、現在まで拙ブログに未収録の物が1首ありました。今回紹介させて頂きます。


年の矢の早咲きそむる梅が香に千里残らず春は来にけり
元々の収録は「西藩野史」(11巻)。天正元年正月、大隅国早崎の陣中にて詠まれた物とのことです。大隅国早崎とは現在の鹿児島県垂水市海潟で、桜島と大隅半島の繋がっている部分になります。但し繋がったのは大正時代のことで、それまでは桜島とこの間には海峡がありました。ここに「早崎営」という出城が置かれ、要所である牛根城をめぐり島津氏と肝付氏との間で合戦が行われました。現在も国道220号線の改良工事がよく行われているようで交通の要所でもあり難所でもあります。

ところで「早崎」…「早咲き」…オヤジギャグかヾ(--;)

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本日は島津義久が亡くなった日です(新暦)

島津義久の和歌を採録してみよう!…という無謀な企画を立てたのは、今から3年前のことになります。
義久は、義弘に比べて人気が低いように思われ、おそらく地元でもイベントが行われないのではないか?と思ったのがきっかけでした。実際そうだったようです(桐野作人さんブログ  )。

そこで、うちのような弱小ブログではありますが、ささやかにイベントしようかと。
イベントネタとして和歌を選んだのは、「薩藩旧記雑録」を読んでみて、圧倒的に義久の歌が採録されていたように見えたからでした。義弘や他の武将も和歌をたしなんでいたのに。

取りあえず、手元にあった「薩藩旧記雑録」のcopyを元に、義久の和歌を入力し始めていきました。
入力している内に、ある傾向が見えてきました。

その傾向とは
ある時期を境に、採録件数が一気に増えているのです。

その「ある時期」とは、天正15年。そう、豊臣秀吉に敗れた年です。
(「一人百首」でいうと211首目が切れ目です)
単純計算すると
~天正15年→56首
天正15年~慶長16年→211首
なお、後半(天正15年~慶長16年)には、例の水増し義久いろは歌57首が入っていますので、これを1首としてカウントし直すと
~天正15年→56首
天正15年~慶長16年→154首
それでも後半のほうが多いのです。

この時期から採録件数が増える理由はいくつか考えられます。
1)「薩藩旧記雑録」自体がこの時期から文書量が増えてくる。だから義久の和歌の採録も増えた。
2)出家して義久が暇になったので作歌量が増えた。
しかし、私はこの2説とも否定します。理由は
1)→この時期から文書量が増えるのは、秀吉政権下で事務量が増えたことに依る物と思われる。が、和歌は政務・事務に関係ない物、採録を増やす理由にならない。
2)→実は出家した後も義久余り暇そうじゃない。しょっちゅう上方にお呼び出しはかかっているし。国元で政務を見ている形跡もある。

私が考えたのは以下の説です

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本日は義久の誕生日(ただし旧暦)になります。
えー、今生きていたら満480歳ですか

何か空しい計算(爆)

弘治2年1月16日に開催された連歌会で詠まれた物です。
恒例により1句を1首としてカウントしております。
また、かなり長い連歌会のため、義久の前後しか入力しておりませんので御了承下さい。

「貴久公御譜中」
「在上町小倉仲左衛門」
     弘治二年正月十六日
 賦何船連歌
初春にあひにあふ梅の色か哉 貴久
もゝちの鳥のともなへる声 義久
(11句略)
うちもかれひらくまき\/ 純利
おり\/のいさめを深く身に知て 義久
法にいりぬるわか心さし 貴久
(以下84句省略)
貴久九句 正成七 義久二句 珠重八 珠全十一
経威四 芳林七 兼盛五 季久五 国眞七
<土己>足十二 純利一 珠玄十三 重延九⊿
(「薩藩旧記雑録」後編1-42)

参加者解説
・貴久:島津貴久
・正成:不明
・義久:島津義久
・珠重:不明 連歌師か
・珠全:不明 連歌師か
・経威:村田経威か
・芳林:不明 僧侶か(ちなみに島津家菩提寺の一つ・浄光明寺に「芳林庵」というお堂があったという)
・兼盛:肝付兼盛
・季久:喜入季久
・国眞:比志島国真
・<土己>足:不明
・純利:不明
・珠玄:不明
・重延:不明


以上で、「薩藩旧記雑録」後編に採録された義久の和歌は終わりです。見落としがある可能性が高いですが(^^;)
なお、「薩藩旧記雑録」前編には義久の和歌はありませんでした。
次回は中間のまとめをさせて頂きたいと思っています。
 

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弘治3年11月7日の連歌会に詠まれた物です。
恒例により1句を1首とカウントしています。
また非常に長い連歌会のため、これも恒例により基本的に義久の前後しか入力しておりませんので御了承下さい。

「義久公御譜中」
「正文在国分衆楠本五郎左衛門」
弘治三年霜月七日
    第十
 賦何人連歌
梅さけは雪もやにほふ冬の庭 義久
こゝろも春にちかくなる宿 貴久
(98句略)
義久一句 珠玄十四 貴久一句 西恵十三
其阿十一 重綽五 忠元十一 忠弘三 純利二
書延十一 珠全十四 <土己>足十四
(「薩藩旧記雑録」後編1-94)
※ばんない補足 <土己>は土偏に「己」、「<土己>足」は音読みなら「ひそく」、訓読みなら「やぶたり」か?

参加者注
・義久:島津義久
・珠玄:不明、連歌師か
・貴久:島津貴久
・西恵:不明、僧侶か
・其阿:浄光明寺住職 其阿西獄か
・重綽:不明
・忠元:新納忠元
・忠弘:不明
・純利:不明
・書延:不明
・珠全:不明、連歌師か
・<土己>足:不明

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