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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
先日、yahoo!のおすすめ記事にこんなのが載っていた。

BEST TIMES
いちばん強い戦国武将は誰なのか? 

◆戦国武将にとって戦場は、生き様と死に様を表現する“キャンバス”

 現在発売中の「歴史人」6月号では「戦国の猛将」を大特集。戦国時代の武将の中から、代表的な猛将20人を選出。単騎での強さ、闘争心、運、実績、カリスマ性の5つの項目についての合計点数からランキング。戦国猛将ベスト20を決定した。
 戦国の猛将について、ランキングの採点者のひとり、歴史アナリスト外川淳氏は、順位を決めるにあたり、次のような文を本誌に寄せている。

「自慢の剛力や武技により、乱世を駆け抜けた戦国の猛将たち。
 戦場は、彼らにとって、唯一無二の活躍の舞台であり、自分たちの生き様と死に様を自由に表現するキャンバスでもあった。彼らは、畳の上で死ぬことよりも、戦場で全力を尽くして最期を遂げることを本望とした。
 ただし、どんなに格闘能力が高くとも、流れ弾が眉間を貫けば、その名を歴史に刻むことはできない。ただの猪武者は、戦場で屍を晒すだけだった。

 猛将には、死を恐れない闘争心だけではなく、自身のパフォーマンスを最大限に発揮するため、戦況を冷静に判断する判断力や直感、そして運も必要とした。
 猛将として名を高め、出世するには、合戦の勝利に貢献することが一番の近道だった。

 加藤清正や福島正則は、主君の羽柴(豊臣)秀吉のために身命を賭して戦うことにより、賤ヶ岳七本槍に数えられ、猛将として天下に名を轟かせた。そして、清正や正則は、戦場での奮闘が評価され、一国一城の主へと出世することができた。

 若き日の前田利家は「槍の又左」と異称され、戦国屈指の猛将として戦場を疾駆しながら、出世街道を突き進んだ。だが、後半生になり、豊臣政権の重鎮として責務を担うと、猛将としての闘争心を失った。利家をはじめ、藤堂高虎など、猛将タイプからの転身組や、徳川家康や上杉謙信のような総大将クラスは、今回のノミネートからは除外した」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170519-00005670-besttimes-cul
http://best-times.jp/articles/-/5670
で、ノミネートされたのが以下の20名様。
井伊直政 〝井伊の赤鬼〟と恐れられた武勇
柿崎景家 謙信の先鋒を担った上杉四天王
可児才蔵 関ヶ原合戦で最も首を獲った男
加藤清正 賤ヶ岳七本槍として出世した「肥後の虎」
後藤又兵衛 大坂五人衆の一人・槍の又兵衛! 
柴田勝家 織田軍団きっての武勇を誇る! 
島左近 三成を支えて関ヶ原で散る! 
島津豊久 精強薩摩軍団を率いた猛将
仙石秀久 信長も武勇を賞賛! 秀吉最古参の家臣
伊達成実 奥州の雄・伊達軍団を牽引した闘将
塙団右衛門 大坂の陣で名を挙げた力自慢の「夜討ち大将」
福島正則 「一番槍」「先鋒」に命を賭けた猛犬! 
母里太兵衛 「呑取りの槍」と謳われた黒田節の主人公
本多忠勝 戦場に出ること57度。全く無傷だった武勇
森長可 力自慢森一族の中でも最強の荒武者! 
山中鹿介 身長六尺三寸の怪力で尼子に忠節を尽くす
前田慶次 敵のみならず主君・利家も翻弄した傾奇者
真柄直隆 「真柄斬り」を振るい徳川軍を切り崩す
山県昌景 敵もその武勇を恐れた赤備えの元祖! 
渡辺勘兵衛 「槍の勘兵衛」の異名を取った抜群の戦働き
…いやノミネートの条件が色々付いたせいもあるかも知れないが
いわゆる「猪武者」と言われる人が多いような(ヲイ)

ちなみに我等のヾ(^^;)島津家からは島津豊久がノミネートされてます。
やっぱり『ドリフターズ』の影響で脳筋猪武者のイメージが強いのかな。個人的にはそうじゃなくて意外に気配りの人だったように思うんですけどね。それを発揮する前に戦死されただけで(´;ω;`)

なお、結果は『歴史人』2017年6月号に掲載されるそうな。

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『NMBとまなぶくん』と言う深夜番組を偶然見ていたら
東大史料編纂所教授の本郷和人氏が出演していて、最後に好きなNMBのメンバーまで明言してお帰りになられた件。

日本の周りはきな臭いはずだが、日本は平和であるヾ(^^;)
てゆーか、東大史料編纂所もずいぶんとライトになりましたね~。



では本題。
以前島津常子のことを調べていたときに、関連して検索していたら
 かなり吹っ飛ぶような人物だったヾ(^^;)
ので驚いてしまった。
ある意味(ヲイ)スゴイ人物なのに、余り知られてないような。
今回関連で紹介してしまおう。
しかし、こんなすごい?ネタは津野田さんとか別府小吉以来のようなヾ(--;)
では気になる方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ。

※この記事に出てくる写真は『宮家三代の秘蔵写真』か『伯爵鹿島萩麿』からの引用になります。
※上記の文でお察しの方も多いかと思いますが、未成年にお見せしづらいネタが絡んできますので、その手の話が苦手な方はスルーでお願いします



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『最後の姫君』ではこういう女性も紹介されていた。 山内容堂の娘である光姫。
写真はこちら  関係ないが、帯の位置がかなり下なのでビックリ。こんなのでずれることはなかったんだろうか…
このお姫様、余り注目されることはないのですが、なかなか微妙な生涯を送られてます。 ある意味容堂の[影]を象徴しているような。 興味深いので紹介しちゃおう。
興味のある方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ。
※この記事に掲載される写真は上の一枚も含めてすべて『最後の姫君』から引用した物です

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前の話はここら



島津常子には成人しただけでも実に上下合わせて14人もの兄弟がいました。今じゃ考えられない数ですね。
もちろん、この時代のことですから、お母さんは同じではなく
9人:妾 山崎須磨子
5人:妾 菱刈久
となっています。てゆーか、9人でも多いぞヾ(^^;)

薩摩藩が明治維新時に勝者の側に立ったお陰かどうか、女性はそこそこ良いところに嫁がれています
…といっても、常子みたいにずるずる行き遅れて諦めたころ?に宮家から話が来たと言うことも割とあったようですが(^^;)
余りにも家柄が良すぎても、今度は相手を選ぶので、意外に華族のお姫様の婚家探しは大変だったようです。

前回のお話で紹介した『幕末300藩 古写真で見る最後の姫君達』では、常子が2人の妹と一緒に撮影した写真が出ています。常子がようやくヾ(^^;)結婚がきまった明治35年に撮られた記念写真です。

一番左の洋服姿の女性が常子で、真ん中で立っているのが正子、右で椅子に座っている一人年少の女の子が為子 というのは前回で紹介済みか。
正子に関しては同じ本の「近衛泰子」の項目の方で詳しく登場しています。

この二人の妹も興味深い生涯を送ってられます。
ついでに(ヲイ)紹介してしまおう。
※興味のある方は「つづきはこちら」をクリックぷりーず
※この記事で紹介する写真は1枚を除き『幕末300藩 古写真で見る最後の姫君達』から引用した物です



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先日、本屋でちらっと立ち読みした本関連でネットで検索し、今頃になってトランプ大統領の黒幕?と言われる人物「スティーブン・バノン」という名前を知ったわけだが(汗)
このバノンという人物、ある歴史観を“信仰”しているらしい。その歴史観というのが「フォースターニング」論と言われる物で、国の命運は4つのステージをぐるぐるぐるぐると繰り返している…というもの。これだけでは何が問題なのか分かりにくいが、この論では個人主義が最高潮に達し狂信的な投機が賞賛された(→今の時代に似てますね)後には、一転して国家権力が強化され市民が集団に動員されるという最後のステージが待っている…というもの。この「フォースターニング」論を主張した人は「森は定期的な山火事を必要としているし、川にも洪水が必要だ。社会も同じであり、新たな黄金時代を迎えるためにわれわれには支払わなければならない代償がある」と言う比喩ではあるが、社会制度が硬直したときには戦争をも含めた破壊行動も全然否定してないというかむしろ推奨してるような雰囲気があるのがコワイ

とここまで読んで、これどこかで見たことあるな~と思ったわけです。
これって、石原莞爾の「最終戦争論」そっくりじゃないか?、と。
最も「最終戦争論」は大戦争の後には恒久的な平和が来る=歴史はループしてない、という点で「フォースターニング」論と違う点もありますが。

ともかく、こういうテロや紛争多発の似たような時代に、似たような思想がじわじわ支持を得ているところがコワイ。
石原莞爾自身もそうだった(と私は考えている)ように、自分の信念に基づいて火に油付けて自ら戦争の火種を巻いてしまう場合もありますしね。

ちなみにこの「フォースターニング」論は翻訳本が出たそうです。訳者自身もトンデモ本と思ってられる節がありますが(苦笑)



では気を取り直して本題。

最後の鹿児島藩主であり、明治に公爵となった島津忠義の娘からは2人も皇族妃になった人が出ました。
一人が前回紹介した三女(実際は四女)・常子です

もう一人の宮妃の方が有名かも知れない。
ちうのも、その人は今の天皇陛下の曽祖母になるからです。

ただ、かえってこういう背景があるためからか、有名人の割りにはその生活ぶりとかを伝える資料とか本をほとんど見たことがない。
今回『闘う皇族』(浅見雅男)と『少年皇族が見た戦争』(久邇邦昭 ちなみに今回のネタの孫になる)
を参考に書いてみる。
ただこの二冊の本でも、記述はかなり乏しいのが現状ですが…。

今回のネタは 久邇宮邦彦王妃・倶子(ちかこ) です。
※なおこの記事中に掲載した写真は上記2本及び『近代皇族の記憶-山階宮家三代』から引用した物です



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