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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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当ブログ名物?人探しのコーナーです(^^;)

今までの人探しの記録
「宇土御姉」とか「島津林雪」って誰なの? ※未解決なのでまだ情報お待ちしてます<(_ _)>
「増喜」って誰? と思ったら伊集院忠真のことかよ_| ̄|○
・「春宋(春栄)」って誰? 
「花室大姉」って誰
「藤原祐寿」って誰じゃ
『三川雑記』にでてくる「島津重豪にバカにされたかわいそうなお殿様」



今回のネタは藤原百能という人のお母さん。
「藤原百能」知っている人はそこそこの古代史マニアかと。
拙ブログではこの辺でちょろっとだけご登場されています。藤原仲麻呂にボコボコにされたヾ(^^;)実兄・藤原豊成の正室で高級女官だった、と言った方が通りが良いかも。

この人は藤原京家の初代・藤原麻呂の娘でした。ところが母親については『尊卑分脈』で「母当麻氏」とあるだけで、皆目不詳。
当麻氏というのは用明天皇の皇子・当麻皇子の末裔を称していたという、一応血統ではそこそこの一族なんですが、実際『続日本紀』等を見る限りでは従三位以上の高位に登った官人がおらず、地味な氏族だったと考えられます。

ところが、先日『興福寺流記』と言う史料を読んでいたら興味深い記述を発見。
なんと百能が父と母のために興福寺に寄付をしていたらしい。
記述を引用してみる。
一.東瓦葺堂 一宇
 延暦記瓦葺小塔堂広四丈八尺在板庇敷板云々
(中略)
 <土念>阿弥陀佛像并脇侍并像并僧正三位尚侍商蔵藤原夫人為往生回所也其一切経同夫人奉為所天故正一位右大臣藤原先考左右京大夫藤原先妣従四位下堂麻氏夫人以水田五十町永入寺社安置 所像及一切経論夜々長鑄燃燈日々屈三僧轉一切経谷三所息延暦弘仁記同之
http://webarchives.tnm.jp/dlib/img/3846;jsessionid=34E6798D63AE4F2273FE6FEEF9F10CF3/thumb/L0254478.jpg
どうも転写されるうちに誤記があったらしく、変な漢字が出て来たりとか読みにくい文章になっていますが、簡単に訳してみると
「阿弥陀仏像と脇侍、他の像、僧は正三位尚侍兼尚蔵の藤原夫人(=百能)が往生を願って納めた物である。その一切経も同夫人が夫の故正一位右大臣藤原(豊成)、亡父・左右大夫藤原(麻呂)、亡母従四位下当麻氏夫人のために水田50町を寺社に長く納め(行わせたものである)。一切経は夜々長く灯明を灯して僧侶が唱えていると…延暦記、弘仁記に同じ記述がある」
というところかと。
この東瓦葺堂は、孝謙・称徳天皇が天平宝字8年にあの現存世界最古の印刷物として知られる陀羅尼経+百万塔を納めるために造ったお堂のようなんですが、そこに百能は後から阿弥陀三尊像他を寄付して夫・豊成と両親の供養をしたようです。
拙ブログ的に重要なのは
先妣従四位下堂麻氏夫人
というところ。つまり、百能の母は
・従四位下の女官
・従四位下当麻某の娘
のどちらかと言うことではないかと考えます。
…つまり『続日本紀』などで「従四位下当麻○○」という人を捜していったら、百能のおかあさん(かその親)にぶち当たる可能性は高い!?

では探してみましょう!

(1)女官従四位下当麻○○
古代の日本人捜しといえば!ヾ(^^;)…の『日本古代人名事典』(4巻し~て 吉川弘文館)を探したのですが…いませんでした!_(。_゜)/というか、当麻氏の女性って史料には淳仁天皇の母・当麻山背しか登場せんのな…。
(2)従四位下当麻○○
やはり先述の『日本古代人名事典』4巻を使って探してみる。
・当麻桜井:?-和銅8年2月14日(715年3月23日)。最終官位従四位下。
 『日本書紀』によれば持統天皇3年(689年)に判事に任ぜられるが、この時同時に判事になった一人に藤原不比等がいたという興味深い記述がある。
・当麻智徳:?-和銅4年5月11日(711年6月1日)。最終官位従四位上。
該当者はこの2人だけです。あと従五位辺りの当麻氏官人は多数いましたが、年代が合いませんでした。

と言う事で、管見による該当者は2名のみ。
桜井か、智徳か、「上」と「下」の記入間違いはよくあるので判断が難しいのですが、個人的には藤原麻呂の父・不比等と職務上のつながりがある当麻桜井が百能の母方祖父の可能性が高いと考えます。

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…自分で書いといて何だが、何か扇情的なタイトルだな(-_-;)
前の話はこちらです。


さて。
前の話で私はこんな事を書いていた。
ところでwikipediaでは許麻呂の母である橘佐為の娘=藤原是公の妻となって真友、雄友を生んだ橘佐為の娘=橘真都我と言う恐ろしいことが書いてあるんですが…どうなんでしょ?これがホントだったら是公はお父さんの奥さんをお父さんが死んだ後横取りしたということになりますがね…モンゴルじゃ普通にあったことのようですが、古代日本じゃどうなんだろうか余り前例がないような。
…まず、このwikipediaの話が本当なのかどうか、実際の史料に当たって調べてみようではありませんか。

長くなりそうなので、ご興味のある方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ。


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実は去年の秋ぐらいから、記事を書けなくなり、2018年のうちは書きためていた物を使ったりして何とかしたのですが、年が明けると全く書けなくなってしまい、現在に至っています。

日常生活でも薬の力を借りて何とか見た目は正常に見えているようですが、思索の時間を与えてくれない家族に対するおもいが溜まっている状態です。

いよいよ今晩で元号が変わるわけですが、考えることはいっぱいあったのに、それを文章に出来なかったのが残念です。
思い返せば平成は良い時代ではなかったというのは日本のみなさんなら同じ考えかと思います。
「令和」はまともな時代になれるのでしょうか。
「令和」もいきなりクサされたりけなされたりしているようですが、「昭和」にリスペクトされた元号の様に感じられてちょっと心配です。昭和も前半は混迷から転落の一途でかなりメチャクチャでしたからね…

皆様なんとか生き延びて下さいね
では

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平成最後の年末ですが、皆様如何お過ごしでしょうか。
拙ブログを見返してみると、毎年最後には「今年も大変な一年だったなあ」と振り返るのが通例になってきてますが、今年はとりわけ異変の多い一年でした。
7月の大豪雨、それが終われば連日40度越えの猛暑、ちょっとお盆過ぎてマシになったと思えば台風20号、21号の連発、21号の翌日は北海道で大地震…
自然災害をのけても、走行中の新幹線で通り魔とか頭のおかしい人や、北朝鮮+中国の不穏な動きが更に目立つように。
平成最後の年は、名前に反して「平らか成らざる」1年でした…

平成の30年間、実は私の人生の中盤大半を占めているのですが(年がばれる罠)、
振り返ってみると、平成という時代そのものが平穏でなかったように思います。
バブルの崩壊、阪神大震災、オウム真理教事件で始まり、この30年間の歩みというのは「日本の転落」そのものだったように思います。
私的な話しで恐縮ですが、個人的にもこの30年間はかなりつらかったです。
その30年の中で「戦国島津氏(の女性)」や「今田新太郎」という埋もれていたネタ(と私は勝手に思っています 失礼ご容赦)に遭遇して、HPを立ち上げたり、ブログを書けたのは数少ない僥倖だったのかなあ、とも思います。

…世間様の役にどれくらい立てているのか分からないんですが。

更に振り返ってみると、1945年に戦争に負けた時点から日本国民は必死になって這い上がってきたのですが、その到達点「世界で一番長寿」に実際になってみるとちっとも幸せじゃなかったという…戦後約70年の歩みが、結局「壮大な実験の破綻」だったというのは認めたくないのですが、連日報道される山のような高齢者問題を見ると、認めざるを得ないでしょう。



さて。
今年は前年度までよりは更新頻度が上げられたのが個人的には良かった点かな、と自己満足しています。ただ、内容が拙ブログの本来のネタである戦国島津がらみじゃなく、古代日本史ネタに偏って、昔からの読者の皆様には申し訳なくお詫び申し上げます<(_ _)>  平成もまもなく終わり、今まで死蔵していた自分の考えなどの諸々を整理していきたいなと言うのが、これから迎える新しい時代での私のテーマです。これを世間では「終活」という(苦笑)
…しかし、今年の猛暑ではエアコンかけて部屋冷やしても肝心の頭が働かず、やっと9月に入って涼しくなってきたと思ったところで、私生活でつらいことがあってどうしようもない事態に陥ってしまいまして。実は夏場以降の更新ネタの大半が、6月以前に書いていた物です。今頃ネタ晴らし(^^;) 来年以降も日本はこんな調子なんでしょうか。よく「熱帯の人間はサボりが多い」なんて酷評されてますが、サボりが多いんじゃなくて、暑さで動けないんですね…今回しみじみ悟りました。

拙HPも今年は3年ぶりに(ヲイ)更新しました。手直し程度なんですが(^^;)
来年以降もさくさくと進めていけたらいいなあ、と思っております。

では皆様、良いお年をお迎え下さい<(_ _)>

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前の話はこちらです。 前編 後編



実は、図書館で検索していて偶然に『学徒出陣の記録』には続編があったことを知る。
今回借りて参りました。
 『学徒出陣から五十年』
前作は中公新書というメジャーどころから出されたのですが、こちらはどうも自費出版だったようで、それが気が付かなかった一因かと思われます。ただ、本自体のパッと見た目は中公新書っぽいんだよなあ(^^;)

実はこの本がだされた1993年(平成4年)時点で、この記事のネタ主ヾ(--;)・土田直鎮氏はガンのため死去されています…なので、前回(昭和43年)以後の考え方の変遷などを伺う文章が載せられていないのが残念なのですが、亡くなる直前に書かれたコラムなどが掲載されており、戦後の土田氏の歩みを伺うことは可能です。
こちらの本と、『歴史と私』(中公新書)を併用して、「過激な歴史学徒」土田直鎮青年がその後どうなったのかを、簡単にたどってみる。

ご興味のある方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ。


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