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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
…毎年の事ながら、3が日の間に挨拶をUP出来ない(-_-;)
本年も拙ブログを宜しく御願い致します<(_ _)>

今年の目標としてはもうちょっと更新頻度を上げたいです。中途半端に書きためている記事が山のように_| ̄|○
個人的には年齢の問題もあり、ぼちぼち「終活」始めたいです。下手すると蔵書を家人にゴミとして処分される可能性が高いので…まあ、大した本はないのですが、絶版書なんかちらほら混じっていたりするので図書館に寄贈したいのが希望ではあります。が、こんなの遺言書に書いたとしても、ちゃんと弁護士が実行してくれるか不安が。

と、細々用事が溜まっているのを少しずつ着実に処理して軽くしていきたいな~と言うのがささやかな目標です。

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東京の方にはもしかしたらISテロよりトランプ当選よりも熊本の地震より糸魚川の大火よりも気になったニュースかも知れない「小池百合子東京都知事誕生」。全国ネットのニュースでも小池知事の発言が一挙一動報じられることが多かったわけですが、正直東京都民じゃない人には興味ないというか(ヲイ)

気を取り直して

元々小池氏は東京都は縁もゆかりもない人で、出身は兵庫県で、事実衆議院選挙も途中までは兵庫県から出馬していたわけですが、その小池氏の父親がなかなかとんでもない人らしい、と言う話は上記の東京都知事当選の時に、週刊誌か何かの記事で初めて知ったのであった。「戦前からアジア問題、特にアラブ問題に関心があって、その流れで小池氏をカイロ大学に留学させた」らしいという。確か『週刊文春』か『週刊新潮』、いや『週刊ポスト』だったか。小池氏はあの年代の女性、いや今の日本でも珍しい「アラブ圏に留学歴のある女性」と言うのが印象には残っていた。

ところが、先日発売された『新潮45』では、上記の話について別の説を伝えている。
〈「芦屋生まれの芦屋育ち。父は石油を扱う貿易商で、何不自由なく豪邸に育ち、お嬢さん学校として知られる甲南女子中高に進学した」
 
 そんな風に彼女の経歴は語られがちだが、内実は少し違ったようだ〉※〈〉は本文より引用、以下同。

 と石井氏が書くとおり、昭和27年に生まれた小池氏が育った家は、いわゆる芦屋の豪邸街とは離れた場所にあった。父は“貿易商”以前に闇屋稼業などに携わっており、戦時中は右翼的な思想団体「スメラ塾」のメンバーとして活動していた経歴の持ち主だ。

〈このスメラ塾で叩きこまれた、一種独特な思想や世界観を戦後も勇二郎は手放すことができず、幼い自分の息子(※小池氏の兄の勇)や娘にも語って聞かせたという。政治家・小池百合子の少々、右派的な歴史観も、ここに由来するのかもしれない〉
■「一家心中する」

 石井氏が“破天荒”と形容する勇二郎は、政治好きの人物だった。昭和44年には、衆議院選に兵庫二区から立候補。わずか7千票しか獲得できず落選に終わる。この時には事業が揺らいでおり、

〈百合子は選挙中、「落選したらどうなるの」と母に聞き、母は「一家心中する」と答えたという。高校生の百合子は落選の日、事務所で泣きじゃくっていたというが、心中という言葉が頭によぎっていたのかもしれない〉

 小池氏はこの1年余り後、関西学院大学に入学、半年後に退学し、カイロへの留学を決めている。小池氏自身は“アラビア語の通訳になることを目指して”とその理由を著書で説明しているが、

〈関西にはいたくない。破産するかもしれない親がいる。その波をかぶらないように、自分で自分を養い、生きていかなくてはならない。そう考えたとき、彼女は決断し、カイロへと渡ったのではないだろうか(略)彼女のサバイバルな、挑戦し続ける人生はここから始まっている〉

 と石井氏は読む。
(以下略)
http://www.dailyshincho.jp/article/2016/12270810/?all=1
この記事を書いた「石井氏」とは石井妙子氏。囲碁専門の記者からノンフィション作家に転向されたという変わった経歴のようです。
石井氏は、小池氏のカイロ大学留学を「生活のため」と考えているようだが、何しろ今から40年前の女子大生が通訳になるために留学先としてアラブ圏選ぶかなあ?と思われるので、これは某雑誌に載っていた「父親の意向で留学させられた」のが正解じゃないかと。

それにしても「大事な?娘を男尊女卑激しいアラブ圏に留学させる」ほどのアジア主義者だった小池氏の父親ってどんな人?と思っていたのだが、石井氏の取材に依れば戦前に「スメラ会」なる団体に参加していたという。

このスメラ会、拙ブログでもちょっとだけ登場したことがある。
この記事 こっちの記事にも
拙ブログではこの団体についてはほとんど解説してないので、詳しい話はこちらを見て頂きたいのだが、その内容たるや、石原莞爾の東亜連盟がものすごくまともな団体に見えるくらいぶっ飛んでいるのであるヾ(^^;)。石井氏は「右翼的な思想団体」と簡単に書いているが…いや確かに「左翼団体」ではないのは確かだけれど、他の右翼団体が「これとは一緒にしないでくれ」と思うだろうくらい斜め上に突き抜けてるので…。

この「スメラ会」、今田新太郎の友人だった高嶋辰彦や佐藤栄作のブレーンだったという噂のある仲小路彰等が中心となって結成され、去年謎めいた生涯の末物故された原節子もちょっと関係していたという。
小池氏の父は既に故人のようだが、小池氏ももしかしたら高嶋辰彦とか仲小路、そしてまさかの原節子の秘話とか…聞いてないだろうなあ、聞いていたとしても父親の話をすると烈火の如く怒る(上記石井氏記事による)そうなんで、聞き出すのは不可能かと。



今年の更新はこれで最後になります…こんなネタで締める羽目になるとは(苦笑)
ちなみにこの記事で紹介した「ザ・プロファイラー」放送直後が、今年一番拙ブログへのアクセス数が伸びました(^^;)

なかなか更新もままならない拙ブログですが、今年度もご訪問ありがとうございました。

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島津忠恒(以下「忠恒」)「おい亀寿、今年の大河見てたか?」
島津亀寿(以下「亀寿」)「見てましたけど…まさかそれ言うだけのためにわざわざ国分から私を呼んだんですか?」
忠恒「(ぎく)」
亀寿「藩主の仕事って、そんなに ひま なんですか」
忠恒「るせ~~~~~~~~~!」
亀寿「…相変わらずお元気そうで何よりでございますな」
忠恒「思い出した、もうひとつ言いたいことがあったんだ」
亀寿「なんですか、どうせたいしたことじゃないでしょうけど」
忠恒「…こまごまちくちくいうなあ…たいしたことあるぞ、俺の大坂の陣最大の見せ場が取られてしまったんだ…」
亀寿「見せ場って、そもそもあなたは大坂の陣は欠席だったじゃないですか」
忠恒「ぎくぎく」
亀寿「それと念のため聞きますが、見せ場って”真田日本一の兵!”っていったとか言うあの話ですか?」
忠恒「そうだよ、アレは俺の自慢の台詞だったのに…なのになのに上杉景勝が言ってたことになってた(涙)
亀寿「…しかし、もともとあの話はその時在坂だった御家老の町田様の受け売りなんでしょ?」
忠恒「ぎくぎくぎく」
亀寿「後の世の方が、何か誤解してこんな風にとかあんな風にとか良いように解釈して下さってますが、実は『こんな面倒なのと当たらなくて良かった~~~~~~~~~~!』と思っていることは、黙っとくことにしましょ」
忠恒「をい」
…では漫談は終了して、以下個人的な感想を(^^;)


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前の話はこちら 



今回は前回、前々回の範疇に入れないこぼれ話を紹介。一応タイトルは「江戸後期世相」としてますが、実は『三川雑記』自体世相話の固まりなんで、こういうタイトルにすると、全文紹介しなければいけないことになるのだが…ご勘弁を(^^;)

では
※ご興味のある方は「つづきはこちら」をクリック

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前回の話はこちら



『三川雑記』の著者・山田三川は元々は津藩の町医者の息子だったのが、儒学者となって松前藩に採用されます。
そのため他藩、特にお隣さんというべき東北諸藩と、密貿易仲間ヾ(--;)の九州諸藩の動向には大変興味があったようで、その辺に関するいろんな噂話?の類が面白いです。
いくつか目に付いた物をご紹介します。
前回同様に意訳なので、更に興味のある方は図書館で借りて読まれることをオススメします。
ではさっそく

※「つづきはこちら」をくりっく



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