忍者ブログ
拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
NHKEテレの夜9時半からの、いつもなら茶道とか初心者の山登りとか中高年のネット教育とか(^^;)やっているコーナーで、こんなのが始まるそうです。
 「姫旅」
2016年の12月から来年1月までを年をまたいだ連続放送になるようです。
お正月は特番が入るのでお休みになります、ご注意を。
講師は重度のAKB48中毒患jy…違う、東大史料編纂所教授の本郷和人氏ですヾ(--;)。最近露出度が高いですね~この方。

取り上げるネタは以下の通り
第1回
女城主 家を守り抜く! ~井伊直虎~
Eテレ 12月 6日(火)
Eテレ再放送 12月13日(火)
第2回
絶世の美女 マル秘 結婚生活 ~お市の方~
Eテレ 12月13日(火)
Eテレ再放送 12月20日(火)
第3回
いちずな愛に生きて ~松姫~
Eテレ 12月20日(火)
Eテレ再放送 12月27日(火)
第4回
“賢夫人”の苦悩 ~まつ~
Eテレ 12月27日(火)
Eテレ再放送 1月 10日(火)
第5回
“愛憎”夫婦生活 ~細川ガラシャ~
Eテレ 1月10日(火)
Eテレ再放送 1月17日(火)
第6回
トップレディーへの転身 ~北政所~
Eテレ 1月17日(火)
Eテレ再放送 1月24日(火)
第7回
悲劇のプリンセス ~千姫~
Eテレ 1月24日(火)
Eテレ再放送 1月31日(火)
第8回
すご腕!女BOSS ~春日局~
Eテレ 1月31日(火)
Eテレ再放送 2月7日(火)
…個人的にラインアップがべたべたすぎてつまんないヾ(^^;)亀寿はともかく(ヲイ)誾千代も取り上げないのね(´・ω・`)

拍手[0回]

PR
前の話はこちら



『北海道戦国史と松前氏』を読んだときに参考史料としてあげられた『三川雑記』と言うのが何だか気になって地元の図書館を検索してみたら、何と所蔵してたので取り寄せてみた。
江戸時代後期の儒学者・山田三川という人が書いた雑記録、といった内容です。文体は漢字カナ交じり文で、古文苦手な人も何とか読めると思います(多分)

が、問題なのはかなり古い本(昭和47年刊)なんで、索引の類が全くついてないこと_| ̄|○
目的の文がどこに載っているのか皆目検討がつかない…。
仕方ないので、貸出期間の2週間…いや実際オーバーして2週間超えたけど(図書館の皆様ごめんなさい)、必死になって読みましたよ、全555ページ⊂(。Д。⊂⌒`つ


内容は、江戸時代も幕末近くになった天保頃からの、外圧と飢饉による内政混乱の日本の諸事情を書いていて興味深い物でした。幕末史に興味のある方は必読かと。
あと、江戸後期には戦国時代の話がどう伝わっていたかというのが伺える話もあります。

いくつか、島津氏(鹿児島藩)についても言及している個所があったので紹介させて頂きます。
ただし、原文通りに入力するとかなり大変なので、意訳と言うことで。興味のある方は図書館で借りてみて原文を確認して下さい(汗)

ではまいる
※「つづきはこちら」をクリックプリーズ


拍手[0回]

木曜日の夜9時に放送されているNHKBSプレミアム『ザ・プロファイラー』の12/8のネタはなんと
 石原莞爾
です。
太平洋戦争に反対した元・陸軍官僚がいる。一連の戦争の契機となった満州事変を引き起こした張本人・石原莞爾である。石原が満州事変を引き起こした背景には、将来、日米による「世界最終戦争」が勃発するという独自の考え方があった。その最終戦争に備えるため、日中戦争では、戦線拡大に反対。東条英機と対立し、陸軍を追われる。石原莞爾の生涯が我々に問いかけるものとは?
(『ザ・プロファイラー』公式HP紹介より)
ご存じの通り、満州事変を起こした人物なので取り扱いが難しいためか、私の記憶で彼を取り上げたドキュメンタリーは、20年以上前にテレビ朝日で放送された『満州国』ぐらいしか存じません。
今後彼を取り上げた番組が作られる機会もそうそうないかと思いますので、ご興味のある方は如何でしょうか。

ゲストは一ノ瀬俊也氏と川田稔氏の予定の様なんで、評価は辛口傾向と予想してます。



拍手[0回]

…とかいうミーハーな本を借りてしまった_| ̄|○
詳しい内容は

さすがミーハー本らしく島津も取り上げていたのだがヾ(^^;)
やや引っかかる文が…
弟なくして義久の功績無し(p.100)
とか
このように歴史を振り返れば、弟たちの功績や犠牲が、義久を支えていたのだ。(p.101)
とか



やっぱり世間の一般認識は「島津義久は弟たちがいなければヤバイ戦国大名」なんでしょうね(T∀T)
いや私も何となくそうかもと うわ何を(以下略)

拍手[1回]

先日『北海道戦国史と松前氏』という本を読了した。
松前氏こと蠣崎氏と言う大名を一般向けに説明した本としては初めての物なのではないだろうか。
アイヌとの微妙な関係とか、松前藩公式史料に載っている創始期の記述はuso800とか(爆)なかなか興味深い内容でした。

ところでこの本の前書きで、著者の新藤透氏は江戸時代の松前の殿様に関する興味深いエピソードを紹介している。
どの藩主か分からないが、薩摩藩主の島津重豪に、先代藩主伊達候の前で「エゾ大王」呼ばわりされ、「恥辱」に思ったというエピソードがある(山田三川『三川雑記』)
p.10
新藤氏は重豪に公の場で揶揄されてしまったというかわいそうな松前藩主について「どの藩主か分からない」としている。
確かに島津重豪は名前の通りの豪傑で、89才で死ぬ直前までぶいぶい言わせてた(^^;)殿様ではあるが、その生きてた時代とかぶっている松前の殿様を挙げていったら何となく該当者は分かるんではなかろうか。

では、重豪の生きてたころにかぶってた松前藩主の名前を列挙してみましょう。

島津重豪:1745年11月29日~1833年3月6日
 このうち江戸で暮らしていたのは1754~ 藩主在任は1755~1787

重豪と不幸にしてかぶったと思われるヾ(^^;)松前氏当主
・松前邦広:1705~1743 このうち藩主在任年1721~1743
・松前資広:1726~1765 このうち藩主在任年1743~1765
・松前道広:1752~1832 このうち藩主在任年1765~1792
・松前章広:1775~1833 このうち藩主在任年1792~1833

このうち邦広は重豪の東上より前に死んでるので除外。
残るは3人だが、
資広は重豪より20才近く年上なんで、いくら石高で島津氏が上と言ってもここまで無茶苦茶言えるかなと。
章広は1799年に東蝦夷地を幕府に没収され、1807年には正式に陸奥国に転封されてしまうと言う目に遭っており、いくら冗談でも「蝦夷地の王様」と言える状態ではなくなっていた。
最後の道広だが、(wikipedia情報で悪いのだが)あの一橋治斉や島津氏、伊達氏と派手に交遊していたという。更に一橋治斉は島津重豪の岳父にも当たる。これらからみて道広は島津重豪と親しかったと推定され、重豪に「や~いエゾ大王!」ヾ(^^;)と言われてもおかしくない状況にあったと思われる。

ところで、北のアヤシイ殿様ヾ(^^;)が松前氏なら南のアヤシイ殿様が島津氏であることに異論のある人はいないだろう。松前氏がアイヌを介した北方貿易で利益を上げていたのに対し、島津氏は琉球を介した中国との密貿易で稼いでいたのであった。
なんで、島津重豪は松前道広のことをこんな風に笑いものにできる立場にないと思うんだが…。

拍手[2回]

カレンダー
11 2016/12 01
S M T W T F S
3
5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新コメント
[11/21 ばんない]
[11/21 ばんない]
[11/21 ばんない]
[11/19 書き人知らず]
[11/13 時乃栞]
ブログ内検索
プロフィール
HN:
ばんない
性別:
非公開
自己紹介:
初めての方はこちらの説明をお読み下さい。リンク・引用の注意もあります。

プロフ詳細はこの辺とかこの辺とか
カウンター
バーコード
アクセス解析
P R
Template by Crow's nest 忍者ブログ [PR]