拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
以前からちょっと気になっていたのだが
現在神戸に本社があり、デパ地下スイーツの走りでもある「ガラスコップのプリン」「チーズケーキ」を流行らせた モロゾフ という会社があるが、実は本来の創業者から後から入った出資者が会社を乗っ取ったという噂を聞いていた。
先日機会があり、この両方の関係者による本を読んだのだが
これは創業者側の立場から書かれた本
こちらは後にモロゾフ社長になった人(出資者の息子)の追悼本らしい
両書を読んだ印象では「出資者側がかなり不当な手段で会社を乗っ取った」というのはどうも真実のようである。
上掲書「大正15年の聖バレンタイン」では会社乗っ取りに関してかなり詳細な話が書かれているが、ある時突然、創業者のモロゾフ氏が帳簿類の確認など財務に関する業務から外されるようになり、不信の高まった創業者側が裁判を起こすが、白系ロシア人という立場もあって弁護士に恵まれず、結局裁判に負けて会社から追い出された上に、自分の苗字を取った店名「モロゾフ」の商号まで出資者側に取られてしまう、といった経緯であったようである。現在であればおそらく商号までは出資者に取られることはなかったのではないかと思われる。
そのため、創業者一族は以後自分の苗字を店名に使えないという事態に陥り、その後はヴァレンタイン商店、戦後はコスモポリタン製菓という商号で洋菓子店を経営した。しかし、コスモポリタン製菓は惜しまれつつ2006年8月15日に閉店した。
一方、出資者子息追悼本の「大正ロマンを〜」のほうは「大正15年の〜」より後に上梓されたことから、上記の点について何らかの反論があるかと思いきや
しかし、出資者子息(後の「モロゾフ」社長)の周辺を調べていくと、会計上の問題での対立はなくても、いずれは破たんに向かう運命だったように思えてならない。
というのも、この出資者子息・後のモロゾフ社長である葛野友太郎は学生時代はバリバリの日本共産党活動家であったというのである(後に転向)。そればかりではない、だいたい葛野家自体が神戸有数の富豪であったにもかかわらず、日本共産党と深く関わりのある一族だったのである。葛野友太郎の叔母・龍は、戦前・戦後と日本共産党の幹部として君臨するも100歳になったときに仲間を売っていたことがばれて除名されたというあの野坂参三の妻であった。それどころか、友太郎の父・葛野友槌自体が野坂の縁戚だったという。この関係についてはの巻頭に添付されている「家系図」に詳しい。
しかし、モロゾフ一家はその共産党のために故郷を追われ、流転の末に日本にたどり着いた白系ロシア人である。出資者・葛野一族のこの本性が分かった時点でおそらく不信と対立は深まったことは予想に難くない。それとも葛野一族は最初から白系ロシア人のモロゾフ一家を陥れるつもりで出資したのだろうか…「モロゾフ」=葛野家側が沈黙を守る今となってはその真意は謎である。
しかし、「モロゾフ」といういかにもロシア的な商号(ブランド)を乗っ取りつつ、いかにそのロシア色を消そうと葛野友太郎が躍起になっていたのかは、その後の商品展開から伺える。
上掲書「大正ロマンを〜」によれば、葛野友太郎は「モロゾフ」の看板商品として
・プリン
・チーズケーキ
・アルカディア(クッキー)
を世に送り出すが、どれもロシア起源ではないか、或いはロシア文化の影響の薄いお菓子なのである。まずプリンはフランス菓子だし、チーズケーキは葛野友太郎がドイツで食したときに主力商品にしようとしたという。「アルカディア」の名前は当然ロシア語ではないし、マカロンクッキーはフランス菓子である。
しかし、「モロゾフ」より後にこの業界に参入したパルナス製菓が東西対立激しい中「モスクワの味」をど派手に(苦笑)アピールして成功した状況を葛野はどう思っていたのだろう。
葛野はロシア的な物を避けていたように思える−意識的にか無意識のうちにかは分からないけれど。
拙ブログ関連ネタ こちら
現在神戸に本社があり、デパ地下スイーツの走りでもある「ガラスコップのプリン」「チーズケーキ」を流行らせた モロゾフ という会社があるが、実は本来の創業者から後から入った出資者が会社を乗っ取ったという噂を聞いていた。
先日機会があり、この両方の関係者による本を読んだのだが
これは創業者側の立場から書かれた本
こちらは後にモロゾフ社長になった人(出資者の息子)の追悼本らしい
両書を読んだ印象では「出資者側がかなり不当な手段で会社を乗っ取った」というのはどうも真実のようである。
上掲書「大正15年の聖バレンタイン」では会社乗っ取りに関してかなり詳細な話が書かれているが、ある時突然、創業者のモロゾフ氏が帳簿類の確認など財務に関する業務から外されるようになり、不信の高まった創業者側が裁判を起こすが、白系ロシア人という立場もあって弁護士に恵まれず、結局裁判に負けて会社から追い出された上に、自分の苗字を取った店名「モロゾフ」の商号まで出資者側に取られてしまう、といった経緯であったようである。現在であればおそらく商号までは出資者に取られることはなかったのではないかと思われる。
そのため、創業者一族は以後自分の苗字を店名に使えないという事態に陥り、その後はヴァレンタイン商店、戦後はコスモポリタン製菓という商号で洋菓子店を経営した。しかし、コスモポリタン製菓は惜しまれつつ2006年8月15日に閉店した。
一方、出資者子息追悼本の「大正ロマンを〜」のほうは「大正15年の〜」より後に上梓されたことから、上記の点について何らかの反論があるかと思いきや
外国人との共同経営にありがちなトラブルで(中略)バレンタイン氏は会社を去りました。
とあるだけである。おそらく有効な反論ができないためさわらず触れずと言う書き方しかできなかったのであろう、と思わざるを得ない。
しかし、出資者子息(後の「モロゾフ」社長)の周辺を調べていくと、会計上の問題での対立はなくても、いずれは破たんに向かう運命だったように思えてならない。
というのも、この出資者子息・後のモロゾフ社長である葛野友太郎は学生時代はバリバリの日本共産党活動家であったというのである(後に転向)。そればかりではない、だいたい葛野家自体が神戸有数の富豪であったにもかかわらず、日本共産党と深く関わりのある一族だったのである。葛野友太郎の叔母・龍は、戦前・戦後と日本共産党の幹部として君臨するも100歳になったときに仲間を売っていたことがばれて除名されたというあの野坂参三の妻であった。それどころか、友太郎の父・葛野友槌自体が野坂の縁戚だったという。この関係についてはの巻頭に添付されている「家系図」に詳しい。
しかし、モロゾフ一家はその共産党のために故郷を追われ、流転の末に日本にたどり着いた白系ロシア人である。出資者・葛野一族のこの本性が分かった時点でおそらく不信と対立は深まったことは予想に難くない。それとも葛野一族は最初から白系ロシア人のモロゾフ一家を陥れるつもりで出資したのだろうか…「モロゾフ」=葛野家側が沈黙を守る今となってはその真意は謎である。
しかし、「モロゾフ」といういかにもロシア的な商号(ブランド)を乗っ取りつつ、いかにそのロシア色を消そうと葛野友太郎が躍起になっていたのかは、その後の商品展開から伺える。
上掲書「大正ロマンを〜」によれば、葛野友太郎は「モロゾフ」の看板商品として
・プリン
・チーズケーキ
・アルカディア(クッキー)
を世に送り出すが、どれもロシア起源ではないか、或いはロシア文化の影響の薄いお菓子なのである。まずプリンはフランス菓子だし、チーズケーキは葛野友太郎がドイツで食したときに主力商品にしようとしたという。「アルカディア」の名前は当然ロシア語ではないし、マカロンクッキーはフランス菓子である。
しかし、「モロゾフ」より後にこの業界に参入したパルナス製菓が東西対立激しい中「モスクワの味」をど派手に(苦笑)アピールして成功した状況を葛野はどう思っていたのだろう。
葛野はロシア的な物を避けていたように思える−意識的にか無意識のうちにかは分からないけれど。
拙ブログ関連ネタ こちら
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無題
こんばんは。初めましてでしょうか。
葛野家がそういう家系かどうかは、おつきあいもないので分かりませんが、野坂参三はクズだと思いましたね。野坂参三に関してはこのブログで取り上げた本より、それが参考にしたこちらの本の方が詳しいです。野坂に引導を渡した本とも言われています。『闇の男-野坂参三の百年』(文藝春秋社、絶版)
コスモポリタンのお菓子は確かにもう一度食べてみたいお菓子ですね。水道筋にあった「ハイジ」は職人の小山氏が三田市に独立されて盛業中ですが、コスモポリタンの職人さんで技術を引き継いで独立された方はいらっしゃらないんでしょうか…。
では失礼します。
葛野家がそういう家系かどうかは、おつきあいもないので分かりませんが、野坂参三はクズだと思いましたね。野坂参三に関してはこのブログで取り上げた本より、それが参考にしたこちらの本の方が詳しいです。野坂に引導を渡した本とも言われています。『闇の男-野坂参三の百年』(文藝春秋社、絶版)
コスモポリタンのお菓子は確かにもう一度食べてみたいお菓子ですね。水道筋にあった「ハイジ」は職人の小山氏が三田市に独立されて盛業中ですが、コスモポリタンの職人さんで技術を引き継いで独立された方はいらっしゃらないんでしょうか…。
では失礼します。
無題
名無し(書き人知らず)で書き込まれた方(pw126xxxxxxxxxx.5.kyb.panda-world.ne.jp)へ
基本的に名無しの方には返答しないのですが、内容が気になりますので質問させて頂きます。
具体的にはどの辺が「いい加減」なのでしょうか。一応それなりに本を参照しながら書いておりますし、念のためネットで検索してみると、他の方も大方同様のことを書いておられるようです。
なお、次回からはハンドルネームを付けて書き込みされるよう宜しく御願いします。
基本的に名無しの方には返答しないのですが、内容が気になりますので質問させて頂きます。
具体的にはどの辺が「いい加減」なのでしょうか。一応それなりに本を参照しながら書いておりますし、念のためネットで検索してみると、他の方も大方同様のことを書いておられるようです。
なお、次回からはハンドルネームを付けて書き込みされるよう宜しく御願いします。