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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
唐突ですが、今日は塙保己一の誕生日だそうで、

生きてたら271歳だそうですよ~ヾ(^^;)



では本題。

以前、拙ブログでは
拙ブログ的には表題にもした「若杉参謀」とあの熱すぎる男?津野田少佐の「東條英機暗殺未遂事件」での絡みでちょっと出てこられました。あの事件に関して三笠宮様の証言はころころ変わっているようなんですが、結局真相は黙ったままあの世に行かれたような気がします。
http://sheemandzu.blog.shinobi.jp/Entry/1018/
と書いていた

…のですが。

何と三笠宮殿下が亡くなられて2年目の今になって、ご自身による証言が登場。
実際のインタビューは2006年のことだそうですので、御年90歳の時の証言になります。
それが明らかにされた本がこれ→

以下、津野田事件に関する証言をピックアップ。
※ご興味のある方は「続きはこちら」をクリックお願いします<(_ _)>



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東京の方にはもしかしたらISテロよりトランプ当選よりも熊本の地震より糸魚川の大火よりも気になったニュースかも知れない「小池百合子東京都知事誕生」。全国ネットのニュースでも小池知事の発言が一挙一動報じられることが多かったわけですが、正直東京都民じゃない人には興味ないというか(ヲイ)

気を取り直して

元々小池氏は東京都は縁もゆかりもない人で、出身は兵庫県で、事実衆議院選挙も途中までは兵庫県から出馬していたわけですが、その小池氏の父親がなかなかとんでもない人らしい、と言う話は上記の東京都知事当選の時に、週刊誌か何かの記事で初めて知ったのであった。「戦前からアジア問題、特にアラブ問題に関心があって、その流れで小池氏をカイロ大学に留学させた」らしいという。確か『週刊文春』か『週刊新潮』、いや『週刊ポスト』だったか。小池氏はあの年代の女性、いや今の日本でも珍しい「アラブ圏に留学歴のある女性」と言うのが印象には残っていた。

ところが、先日発売された『新潮45』では、上記の話について別の説を伝えている。
〈「芦屋生まれの芦屋育ち。父は石油を扱う貿易商で、何不自由なく豪邸に育ち、お嬢さん学校として知られる甲南女子中高に進学した」
 
 そんな風に彼女の経歴は語られがちだが、内実は少し違ったようだ〉※〈〉は本文より引用、以下同。

 と石井氏が書くとおり、昭和27年に生まれた小池氏が育った家は、いわゆる芦屋の豪邸街とは離れた場所にあった。父は“貿易商”以前に闇屋稼業などに携わっており、戦時中は右翼的な思想団体「スメラ塾」のメンバーとして活動していた経歴の持ち主だ。

〈このスメラ塾で叩きこまれた、一種独特な思想や世界観を戦後も勇二郎は手放すことができず、幼い自分の息子(※小池氏の兄の勇)や娘にも語って聞かせたという。政治家・小池百合子の少々、右派的な歴史観も、ここに由来するのかもしれない〉
■「一家心中する」

 石井氏が“破天荒”と形容する勇二郎は、政治好きの人物だった。昭和44年には、衆議院選に兵庫二区から立候補。わずか7千票しか獲得できず落選に終わる。この時には事業が揺らいでおり、

〈百合子は選挙中、「落選したらどうなるの」と母に聞き、母は「一家心中する」と答えたという。高校生の百合子は落選の日、事務所で泣きじゃくっていたというが、心中という言葉が頭によぎっていたのかもしれない〉

 小池氏はこの1年余り後、関西学院大学に入学、半年後に退学し、カイロへの留学を決めている。小池氏自身は“アラビア語の通訳になることを目指して”とその理由を著書で説明しているが、

〈関西にはいたくない。破産するかもしれない親がいる。その波をかぶらないように、自分で自分を養い、生きていかなくてはならない。そう考えたとき、彼女は決断し、カイロへと渡ったのではないだろうか(略)彼女のサバイバルな、挑戦し続ける人生はここから始まっている〉

 と石井氏は読む。
(以下略)
http://www.dailyshincho.jp/article/2016/12270810/?all=1
この記事を書いた「石井氏」とは石井妙子氏。囲碁専門の記者からノンフィション作家に転向されたという変わった経歴のようです。
石井氏は、小池氏のカイロ大学留学を「生活のため」と考えているようだが、何しろ今から40年前の女子大生が通訳になるために留学先としてアラブ圏選ぶかなあ?と思われるので、これは某雑誌に載っていた「父親の意向で留学させられた」のが正解じゃないかと。

それにしても「大事な?娘を男尊女卑激しいアラブ圏に留学させる」ほどのアジア主義者だった小池氏の父親ってどんな人?と思っていたのだが、石井氏の取材に依れば戦前に「スメラ会」なる団体に参加していたという。

このスメラ会、拙ブログでもちょっとだけ登場したことがある。
この記事 こっちの記事にも
拙ブログではこの団体についてはほとんど解説してないので、詳しい話はこちらを見て頂きたいのだが、その内容たるや、石原莞爾の東亜連盟がものすごくまともな団体に見えるくらいぶっ飛んでいるのであるヾ(^^;)。石井氏は「右翼的な思想団体」と簡単に書いているが…いや確かに「左翼団体」ではないのは確かだけれど、他の右翼団体が「これとは一緒にしないでくれ」と思うだろうくらい斜め上に突き抜けてるので…。

この「スメラ会」、今田新太郎の友人だった高嶋辰彦や佐藤栄作のブレーンだったという噂のある仲小路彰等が中心となって結成され、去年謎めいた生涯の末物故された原節子もちょっと関係していたという。
小池氏の父は既に故人のようだが、小池氏ももしかしたら高嶋辰彦とか仲小路、そしてまさかの原節子の秘話とか…聞いてないだろうなあ、聞いていたとしても父親の話をすると烈火の如く怒る(上記石井氏記事による)そうなんで、聞き出すのは不可能かと。



今年の更新はこれで最後になります…こんなネタで締める羽目になるとは(苦笑)
ちなみにこの記事で紹介した「ザ・プロファイラー」放送直後が、今年一番拙ブログへのアクセス数が伸びました(^^;)

なかなか更新もままならない拙ブログですが、今年度もご訪問ありがとうございました。

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木曜日の夜9時に放送されているNHKBSプレミアム『ザ・プロファイラー』の12/8のネタはなんと
 石原莞爾
です。
太平洋戦争に反対した元・陸軍官僚がいる。一連の戦争の契機となった満州事変を引き起こした張本人・石原莞爾である。石原が満州事変を引き起こした背景には、将来、日米による「世界最終戦争」が勃発するという独自の考え方があった。その最終戦争に備えるため、日中戦争では、戦線拡大に反対。東条英機と対立し、陸軍を追われる。石原莞爾の生涯が我々に問いかけるものとは?
(『ザ・プロファイラー』公式HP紹介より)
ご存じの通り、満州事変を起こした人物なので取り扱いが難しいためか、私の記憶で彼を取り上げたドキュメンタリーは、20年以上前にテレビ朝日で放送された『満州国』ぐらいしか存じません。
今後彼を取り上げた番組が作られる機会もそうそうないかと思いますので、ご興味のある方は如何でしょうか。

ゲストは一ノ瀬俊也氏と川田稔氏の予定の様なんで、評価は辛口傾向と予想してます。



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何とこのカテゴリ、遂に100件目になりました…※番外編を入れるともっと多い
ずるずるこんな長くおつきあいすることになるとは
ちなみにかなり前になりますが、前回のお話はこちらです。

表題の本ですが
結局どうしても内容が気になったので四方八方の図書館を手を尽くして探してもらい、ようやく借りることができました。
…いや、実は奈良県の奈良県立図書情報館にあるのは知っていたのだが、禁帯出で借りられないし、行くのが大変なんで…千田館長のケチ~ヾ(^^;)

読んでみた感想。
※下の方にある「つづきはこちら」をクリックお願いします

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昨日はとんでもない歴史が動く瞬間にいたわけですが、為替レートの変動もすごかったですね。
2016/06/24円ドルレート最安値$1=¥106.77(日本時間6:30) 最高値$1=¥99.10(日本時間11:30) (○。○)
ジェットコースターやフリーフォールもビックリのこの上下動、死人が出てないことを祈ります…
かくいう私は子供の学校の行事で呼び出し食らって、ニュースを知ったのが昼の14:00。儲けるも損するも何も、もう終わってた⊂(。Д。⊂⌒`つ



さて。
以前拙ブログに時々コメントも頂戴していた桐野作人氏は、今は専らtwitterが主戦場ヾ(^^;)なんですな。
公式ブログしか見てないので今頃になって気が付くf(^_^;)
ちらちら見ていると、こんな気になる記事があった。
伊佐盆地を探索。菱刈氏の馬越城は島津方の猛攻によって陥落した。地元の郷土資料館の関係者の案内でブッシュをかき分け、何とか上まで登る。片隅に馬越城の石碑あり。揮毫は末裔の菱刈隆陸軍大将。なお、菱刈氏の先祖は悪左府藤原頼長。
https://twitter.com/kirinosakujin/status/741161472231931904

※下線はばんない補足
菱刈隆は、実は満州事変と間接的に関わりがある。
満州事変勃発直前まで関東軍司令官だったのが、実はこの菱刈隆。が、同時代人の日記とか回想録を見ると、あんまり評価が宜しくない人物のようだ…。
たとえば畑俊六は「薩摩藩閥と言うだけで何の取り柄もない」と酷評。まあ、菱刈の前任者が畑俊六の兄(英太郎)で、関東軍の問題が原因で客死したそうなんで、割り引いて読む必要がありそうだが。
石原莞爾か板垣征四郎かどちらかが、関東軍司令官が菱刈隆から本庄繁に交代したとき「やった!これで事変が起こせる!」と言ってたとか言う話も聞いたことがあるのだが、これは明確な出典を失念してしまった(ごめんなさい)
実は菱刈は満州国成立後もう一度関東軍司令官に返り咲いたのだが、この2回目の赴任はさんざんな結果になったようで、岡村寧次も同情している

なお、軍人の息子は軍人になるというパターンが多いのだが、菱刈隆の息子は身体が弱かったらしく軍人にはならず、東京大学文学部で日本史を専攻、身体が弱かったために学徒出陣にも引っかからず終戦を迎え、その後は東京で高校教師となっている。
大学で勉強させてもらえなかった学生時代については、この本に詳しい。
あの色川大吉氏とか土田直鎮氏と同級生だったみたい。




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