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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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木曜日の夜9時に放送されているNHKBSプレミアム『ザ・プロファイラー』の12/8のネタはなんと
 石原莞爾
です。
太平洋戦争に反対した元・陸軍官僚がいる。一連の戦争の契機となった満州事変を引き起こした張本人・石原莞爾である。石原が満州事変を引き起こした背景には、将来、日米による「世界最終戦争」が勃発するという独自の考え方があった。その最終戦争に備えるため、日中戦争では、戦線拡大に反対。東条英機と対立し、陸軍を追われる。石原莞爾の生涯が我々に問いかけるものとは?
(『ザ・プロファイラー』公式HP紹介より)
ご存じの通り、満州事変を起こした人物なので取り扱いが難しいためか、私の記憶で彼を取り上げたドキュメンタリーは、20年以上前にテレビ朝日で放送された『満州国』ぐらいしか存じません。
今後彼を取り上げた番組が作られる機会もそうそうないかと思いますので、ご興味のある方は如何でしょうか。

ゲストは一ノ瀬俊也氏と川田稔氏の予定の様なんで、評価は辛口傾向と予想してます。



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何とこのカテゴリ、遂に100件目になりました…※番外編を入れるともっと多い
ずるずるこんな長くおつきあいすることになるとは
ちなみにかなり前になりますが、前回のお話はこちらです。

表題の本ですが
結局どうしても内容が気になったので四方八方の図書館を手を尽くして探してもらい、ようやく借りることができました。
…いや、実は奈良県の奈良県立図書情報館にあるのは知っていたのだが、禁帯出で借りられないし、行くのが大変なんで…千田館長のケチ~ヾ(^^;)

読んでみた感想。
※下の方にある「つづきはこちら」をクリックお願いします

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昨日はとんでもない歴史が動く瞬間にいたわけですが、為替レートの変動もすごかったですね。
2016/06/24円ドルレート最安値$1=¥106.77(日本時間6:30) 最高値$1=¥99.10(日本時間11:30) (○。○)
ジェットコースターやフリーフォールもビックリのこの上下動、死人が出てないことを祈ります…
かくいう私は子供の学校の行事で呼び出し食らって、ニュースを知ったのが昼の14:00。儲けるも損するも何も、もう終わってた⊂(。Д。⊂⌒`つ



さて。
以前拙ブログに時々コメントも頂戴していた桐野作人氏は、今は専らtwitterが主戦場ヾ(^^;)なんですな。
公式ブログしか見てないので今頃になって気が付くf(^_^;)
ちらちら見ていると、こんな気になる記事があった。
伊佐盆地を探索。菱刈氏の馬越城は島津方の猛攻によって陥落した。地元の郷土資料館の関係者の案内でブッシュをかき分け、何とか上まで登る。片隅に馬越城の石碑あり。揮毫は末裔の菱刈隆陸軍大将。なお、菱刈氏の先祖は悪左府藤原頼長。
https://twitter.com/kirinosakujin/status/741161472231931904

※下線はばんない補足
菱刈隆は、実は満州事変と間接的に関わりがある。
満州事変勃発直前まで関東軍司令官だったのが、実はこの菱刈隆。が、同時代人の日記とか回想録を見ると、あんまり評価が宜しくない人物のようだ…。
たとえば畑俊六は「薩摩藩閥と言うだけで何の取り柄もない」と酷評。まあ、菱刈の前任者が畑俊六の兄(英太郎)で、関東軍の問題が原因で客死したそうなんで、割り引いて読む必要がありそうだが。
石原莞爾か板垣征四郎かどちらかが、関東軍司令官が菱刈隆から本庄繁に交代したとき「やった!これで事変が起こせる!」と言ってたとか言う話も聞いたことがあるのだが、これは明確な出典を失念してしまった(ごめんなさい)
実は菱刈は満州国成立後もう一度関東軍司令官に返り咲いたのだが、この2回目の赴任はさんざんな結果になったようで、岡村寧次も同情している

なお、軍人の息子は軍人になるというパターンが多いのだが、菱刈隆の息子は身体が弱かったらしく軍人にはならず、東京大学文学部で日本史を専攻、身体が弱かったために学徒出陣にも引っかからず終戦を迎え、その後は東京で高校教師となっている。
大学で勉強させてもらえなかった学生時代については、この本に詳しい。 『学徒出陣の記録』(中公新書)
あの色川大吉氏とか土田直鎮氏と同級生だったみたい。




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昨日放送の『英雄たちの選択』(NHKBSプレミアム)は鍋島閑叟(直正)がネタだったんだが、閑叟は佐賀藩が明治維新後「薩長土肥」と言われる勇躍のきっかけを作った人物でもある一方、その4藩出身者の中では佐賀藩士が傍流になってしまう原因を作った人物でもあるんだな、とか。
今田新太郎関連で昭和初期の陸軍軍人を調べていると、急進派軍人には旧佐賀藩出身者が多いんだな。真崎甚三郎然り、5.15の三上卓とか。
昭和初期の急進派軍人と言えば旧奥羽越関係者(石原莞爾とか)が多いと言われるが、「維新で新政府側だったのにその後はいまいち」だった旧佐賀藩関係者というのも気になる。そういえば、やはり佐賀藩と似たような立場になってしまった旧土佐藩関係者はその後自由民権運動に足突っ込んだ人が多かったですな。中江兆民(今田の親友だった中江丑吉の父)も旧土佐藩関係者。



では本日の本題。
…アクセス解析を調べている最中に、うっかり見つけてしまった…ヾ(^^;)

今田新太郎の陸士・陸大の同期生で親友だったらしい高嶋辰彦。
が!どうも調べた限りではその思想は今田とはちょっとずれていた様に思われる。
(※拙ブログでの彼に関する記事はこちら参照 5)
高嶋の著書の一部は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーなどでも読める

なにしろ戦前の本なので、読むのが結構めんどくさそうな物。ということで、一度もちゃんと目を通してなかったのだが…
現代日本人には…いや現代人じゃなくても、理解不能な彼の思想を分かりやすく???した物を見つけてしまったのである…うっかりヾ(^^;)

以下、かなりすごい代物をご紹介するので、時間のない方はスルーで
覚悟のある方は下の「つづきはこちら」をクリックプリーズ
石原完爾はとっても真人間だったのかもなー、とか何か妙な錯覚を抱かせるような内容です(をい)

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今回のネタの五郎丸保という人物を名前だけでも知ってたらかなりの日本近現代史通。
今をときめくラグビーのあの人の親族かどうかは不明です が かなりの珍名字なのでその可能性はなきにしもあらずかも知れない。
なお昔々「源五郎丸洋」というのがおりましてな(^^;)というと年齢と出身地がばれるヾ(--;)


拙ブログで「五郎丸保」という人物について、少しだけ触れたことがある。 写真はこちら
恐らく満州青年協会の関係者で山口重次に近く、浅原健三とは不仲だったと言う事までは分かるが、それ以外のことはさっぱり…

拙ブログへのアクセス履歴を見ていると、たまにこの人物関係でたどり着く人がいるようだ。
ちょっと気になったので検索してみた。
・戦中に大日本興亜協会なる団体の役員になっているらしい。参考こちら
戦後は亜細亜大学の理事になっている。昭和29年(1954年)~昭和31年(1956年)の間のこと。その後は再選されなかったようす。
国立国会図書館に所蔵されている石原莞爾の関係史料は元々はこの五郎丸の持ち物だったらしい。所蔵経緯については説明がなかったので不明(なんだが、山口重次史料同様古本屋から救済のパターンだろうか)

「大日本興亜協会」は名前から見て翼賛的な性格を持っていたところではないかと推測されますが、これがネットで検索しても余り良く分からなかった…。戦後亜細亜大学の理事を短期間ですが務められたのはこの大日本興亜協会の縁による物と思われます(※亜細亜大学は「興亜専門学校」という学校の後裔という)

と言う事で、やっぱり石原莞爾と浅原と今田を酷い目に会わせるきっかけを作ったという以外の事蹟はあんまりよくわからんかったです(爆)
ただ戦中はそれなりの団体の役員になり、戦後もちょっとではありますが亜細亜大学の理事もやってたくらいなんで、満州国協和会を失意のまま去り、戦後書いた回想録は出版元によって跡形もなく改竄されたという山口重次に比べたら幸せな人だったんじゃないでしょうか、たぶん。
※ということでこの人同様情報求む。コメントお待ちしてまーす。

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