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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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昨日はとんでもない歴史が動く瞬間にいたわけですが、為替レートの変動もすごかったですね。
2016/06/24円ドルレート最安値$1=¥106.77(日本時間6:30) 最高値$1=¥99.10(日本時間11:30) (○。○)
ジェットコースターやフリーフォールもビックリのこの上下動、死人が出てないことを祈ります…
かくいう私は子供の学校の行事で呼び出し食らって、ニュースを知ったのが昼の14:00。儲けるも損するも何も、もう終わってた⊂(。Д。⊂⌒`つ



さて。
以前拙ブログに時々コメントも頂戴していた桐野作人氏は、今は専らtwitterが主戦場ヾ(^^;)なんですな。
公式ブログしか見てないので今頃になって気が付くf(^_^;)
ちらちら見ていると、こんな気になる記事があった。
伊佐盆地を探索。菱刈氏の馬越城は島津方の猛攻によって陥落した。地元の郷土資料館の関係者の案内でブッシュをかき分け、何とか上まで登る。片隅に馬越城の石碑あり。揮毫は末裔の菱刈隆陸軍大将。なお、菱刈氏の先祖は悪左府藤原頼長。
https://twitter.com/kirinosakujin/status/741161472231931904

※下線はばんない補足
菱刈隆は、実は満州事変と間接的に関わりがある。
満州事変勃発直前まで関東軍司令官だったのが、実はこの菱刈隆。が、同時代人の日記とか回想録を見ると、あんまり評価が宜しくない人物のようだ…。
たとえば畑俊六は「薩摩藩閥と言うだけで何の取り柄もない」と酷評。まあ、菱刈の前任者が畑俊六の兄(英太郎)で、関東軍の問題が原因で客死したそうなんで、割り引いて読む必要がありそうだが。
石原莞爾か板垣征四郎かどちらかが、関東軍司令官が菱刈隆から本庄繁に交代したとき「やった!これで事変が起こせる!」と言ってたとか言う話も聞いたことがあるのだが、これは明確な出典を失念してしまった(ごめんなさい)
実は菱刈は満州国成立後もう一度関東軍司令官に返り咲いたのだが、この2回目の赴任はさんざんな結果になったようで、岡村寧次も同情している

なお、軍人の息子は軍人になるというパターンが多いのだが、菱刈隆の息子は身体が弱かったらしく軍人にはならず、東京大学文学部で日本史を専攻、身体が弱かったために学徒出陣にも引っかからず終戦を迎え、その後は東京で高校教師となっている。
大学で勉強させてもらえなかった学生時代については、この本に詳しい。 『学徒出陣の記録』(中公新書)
あの色川大吉氏とか土田直鎮氏と同級生だったみたい。




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