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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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大河ドラマ『八重の桜』が始まりますねー
NHKが女性を主人公に大河すると大概ありえないスーパーウーマンになる傾向が強いのですが
どうも今回もそれっぽいです…関係者ながらかなり期待せずに見ることにしますヾ(^^;)

さて今回の大河の主人公・山本八重(のち新島八重子)も実際は綾瀬はるかとはとっても似つかないブ○だったのは、既に皆様ご存じと思います。第一夫の新島襄が手紙でブスと明言しているくらいだし…あ、言っちゃったヾ(--;)
ところが、拙HP+当ブログでネタにしている島津家も、その節目には必ずブスの存在があったのです…

(1)島津亀寿
拙HP参照。ただし、彼女がブスかどうかについては反論もある。こちらとかこちらとかこちらとか。
島津義久の三女(末娘)ながら実質的な惣領娘として島津本家の家督決定権を保持し、二度目の夫・島津忠恒(家久)に実質離婚された上、本城である鹿児島城から追放されても、次期当主を決めるなど発言力を保った。それを忠恒(家久)が恨みに思っていたのは、彼女の3回忌法要をまともにしなかったことからも伺える。

(2)浄岸院竹姫
拙ブログこちら参照。上の島津亀寿と違って、確実にブス(※当時基準)と言うことが判明している人物である。
『島津重豪』(人物叢書)によると、島津重豪の養育に携わり、また重豪の娘・広姫と13代将軍・徳川家斉の婚約を遺言で命じたという、その後の島津家の命運を変えた人物である。

(3)天璋院篤姫
大河ドラマで一気に有名人になったのでご存じじゃない人探す方が難しい。
写真が何枚か残っているがその1 その2、美人かどうかはアヤシイというのが衆目の一致するところであろう。
ただ、大河ドラマ化される前までは「聡明ながら徳川慶喜とは仲が悪かった」「家臣思いで、援助のために散財し貧乏だった」…と言うくらいしか知られてなかったが、ドラマ化で一気に便乗研究や便乗本が出て、その結果
財政逼迫の時期なのに食事など贅沢をやめられなかった
養父・島津斉彬に徳川慶喜擁立を命令されていたのに、大奥の女中に丸め込まれて反慶喜にあっさり鞍替えしてしまった
江戸城開城後も、新政府軍に反抗の姿勢を曲げず、奥羽越列藩同盟に抵抗の命令をしたりしていた
とか、余り聡明とは言えない部分が判明。彼女のためには、大河ドラマ化されない方が本当は良かったのかも?

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勘三郎があんな若くで死んでしまうとは思わなかった…
追悼番組を片っ端から観ているが、穴がふさがらない…そんな熱心なファンではなかったと思ってたんだけどな。


さて
昨年話題になったNHKの朝の連ドラ『カーネーション』はいまだ記憶に新しい人が多いんではないかと思う。
ファッションデザイナー・コシノ3姉妹の母である小篠綾子の一生をネタにしたドラマであった。

さて、この元ネタになったと思われる本を入手して読んでみた。『カーネーション』本放送中は、図書館でも何ヶ月も待たないと借りられなかったんだよね。

で、この本の最初の部分に、気になる記述を見つけてしまったのである。

そんな家々の婚礼は、豪華を極めた物であった。
例えば隅谷家(※主人公・小篠綾子の母の実家)の場合、慶応年間に生きた当主・小次郎は”梯子に上って火を付けなければならないほどの大きな灯籠がある”大阪長柄の尾上家から、次の当主・小三郎は”豪華な駕籠に乗り、京都御所の近くの屋敷からお輿入れしてきた”京都お花畠の吉川家から、それぞれ嫁を迎えている。その小三郎の息子・小一郎が、綾子の祖父に当たる。
(上掲書p.16)

気になるのはこの箇所

京都御所の近くの屋敷からお輿入れしてきた”京都お花畠の吉川家

これが何で気になるかというと、幕末の京都において、大河ドラマ『篤姫』で有名になった小松帯刀が近衞家から屋敷を給わり別邸としていたのだが、それを「御花畑(御花畠)」とよんでいた…と言う話を桐野作人氏のブログ「膏肓記」で紹介されていたのを覚えていたのである。 →参考     
 

さて、小篠綾子の母方ご先祖は近衞家の関係者なのか?それとも単なる偶然なのか?

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これからちょっとミニ特集?
ネタは、年末なのにめでたかる「伊集院忠棟」でーす(^^;)


(1)字の謎
祖父・忠朗は「源四郎」、息子・忠真は「源次郎」
が、忠棟は「源太」 “郎”がついてない… ※参考史料「本藩人物誌」
単に忠棟は正真正銘の長男で、忠真は実は次男でした(参考この記事)と言うだけなのかも知れないが…
でも忠朗は長男と書いてあるなあ…

ちなみに父・忠倉(忠朗嫡子)は不明。

(2)名乗りの謎
祖父・忠朗は「大和守」父・忠倉も「大和守」
忠棟は全く関係ない「右衛門大夫」
なんでだろ~
※「右衛門大夫」についてはこちら(wikipedia)

ちなみに忠真は名乗りを決める前に自害に追い込まれました…

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国立国会図書館から論文を取り寄せようとして検索したら、自分が卒論のネタに使おうとしたネタ(結局捨てた)で書かれた論文を偶然見つけた。がっくり_| ̄|○

以上、雑談終了(^^;)

さて表題、管見では「薩藩旧記雑録」には関係史料を見いだせなかった(見落としの可能性有り)。

しかし、昨年見に行った「細川家の至宝展」図録の掲載論文ではこう紹介されていた。

島津義久(一五三三~一六一一)に天正十六年八月(※に相伝した ばんない補足
(「古今伝授と細川幽斎-歌道に見る戦国のネットワーク」冨坂賢 p.301)

この年って、前年に豊臣秀吉の前に完膚無きまでに粉砕され、かなり悲惨な状況の年…だったように思うのだが。うーむ。

ちなみに図録論文がこの件に関して参照にした史料は不明。「綿考実録」あたりかなあ。


拙ブログ関連 こちら

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拙HPもリンクされておりお世話になっております

発売記念のこの記事は拙ブログのこの記事に関係のある話ですな。家康と氏真のからんだこんな話だったのか(違)

あと、くしくも桐野作人氏の「さつま人国誌」(南日本新聞連載)の最新記事は、これの元ネタだったのかも。
義久「義弘なんぞ京都か鹿児島で切腹プレイさせますから、それでOKでしょ?」
家康「そこまでせんでいいって(意訳「何がうれしくて60代のジジィの切腹プレイを見たい物か!」)」
ってところでしょうか。

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