拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
拙ブログの路線からは大きく外れますが、来年の大河のネタ、そして私にもそれなりに縁のあるひとなんで。
さるところから、新島八重の特集を組んでいる小冊子を入手した。
専門的な歴史雑誌などではないが、八重にそれなりに縁のあるところが出したものであり、信頼性は高い。
この特集の内、興味深いのが生前の八重を知っている現存人物の回想録。
…とは言っても、八重は昭和6年(1931年)死去なんで、八重を知ってる人も当時は子供、そして平成も22年の今ではかなりの高年齢…
でも晩年の八重に関する記録は余り残ってないので貴重なお話である。
では早速ご拝聴。
さるところから、新島八重の特集を組んでいる小冊子を入手した。
専門的な歴史雑誌などではないが、八重にそれなりに縁のあるところが出したものであり、信頼性は高い。
この特集の内、興味深いのが生前の八重を知っている現存人物の回想録。
…とは言っても、八重は昭和6年(1931年)死去なんで、八重を知ってる人も当時は子供、そして平成も22年の今ではかなりの高年齢…
でも晩年の八重に関する記録は余り残ってないので貴重なお話である。
では早速ご拝聴。
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2007年に放送されたNHK大河ドラマ 風林火山
のこのシーンにビックリした人は多いと思う。
それは
戦に勝った側(=武田軍)が負けた側の女子供を捕らえ、市場を開いて売買しているという物だった(○。○)。
この話、確か 辺りで最初に指摘されたもので、今では歴史オタクなら知っていて当然の話…だと思う。歴女のみなさんも覚えろよ~ヾ(^^;)
実は
それは
戦に勝った側(=武田軍)が負けた側の女子供を捕らえ、市場を開いて売買しているという物だった(○。○)。
この話、確か 辺りで最初に指摘されたもので、今では歴史オタクなら知っていて当然の話…だと思う。歴女のみなさんも覚えろよ~ヾ(^^;)
実は
前回のお話はこちら
※コメント欄まで読んで下さるとなお話が分かりやすいです
もう一人叔母甥婚をした戦国武将を思い出した
しかもよりによってこいつも島津であるヾ(^^;)
それは…島津忠良・貴久親子の前に立ちふさがった最大のライバル!島津実久!
この人の最初の奥さん、叔母さんだった というか自分で調べてたのにすっかり忘れてた_| ̄|○
島津実久は、系図などを見る限り、薩州家・島津忠興の長男であり、血統的な正当性が弱いわけではなさそう。
そして、既述の通り忠良・貴久親子のライバルになるくらいですから、アホ武将ではあり得ないわけで…
結論:島津義久もアホだから叔母さんと結婚したというわけではなさそうですヾ(--;)
…では何で叔母さんと結婚したんだこいつら(ヲイ)
※コメント欄まで読んで下さるとなお話が分かりやすいです
もう一人叔母甥婚をした戦国武将を思い出した
しかもよりによってこいつも島津であるヾ(^^;)
それは…島津忠良・貴久親子の前に立ちふさがった最大のライバル!島津実久!
この人の最初の奥さん、叔母さんだった というか自分で調べてたのにすっかり忘れてた_| ̄|○
島津実久は、系図などを見る限り、薩州家・島津忠興の長男であり、血統的な正当性が弱いわけではなさそう。
そして、既述の通り忠良・貴久親子のライバルになるくらいですから、アホ武将ではあり得ないわけで…
結論:島津義久もアホだから叔母さんと結婚したというわけではなさそうですヾ(--;)
…では何で叔母さんと結婚したんだこいつら(ヲイ)
『平清盛』保元の乱が終了したのですが、この数回はダントツに面白かったです。
えー一番の見所は機動戦士Tametomo…じゃなくてヾ(^^;)山本耕史さんの藤原頼長かな?山本さんの素とは真逆のキャラでしたが、やってくれるとは思ってましたがここまでとはね。
低視聴率ということは見てない人の方が多いということですが、もったいないなー。
さて、このドラマの前半のキーの一つであった「藤原摂関家と清和源氏」。
大河『平清盛』では
源氏は摂関家御用達の侍だったのですが、将来への意見の対立から摂関家に近い父・為義と摂関家を見限った長男・義朝で分裂、また義朝の兄弟の多くが為義につき、当時の摂関家当主(藤氏長者)だった藤原頼長の味方をするのですが、頼長側(崇徳上皇側)はあっけなく敗北。結果源氏は義朝を除くほとんどが戦死・刑死し、源氏の勢力は一気に後退。これにより自由に動かせる武力を失った摂関家も衰退していったのでした…。
…という描かれ方をしてたと思うのですが、合ってるかな(^^;)
実はここからが拙HP+ブログにもちょっと関わってくる話。
島津家は自称「源頼朝の隠し子の末裔」…なのですが、こんなの嘘っぱちにきまっとるわい!というのが研究者の通説になっており、私も同意してます。
では、本当の起源はどうなのかというと、これがまともな史料が無くて余り分からない…その乏しい史料の中研究された方がいまして、 研究成果はこれらの本にまとまってます。
簡単に説明しますと
・島津氏は源頼朝の隠し子の末裔じゃないよ
・この人の養子になった!…と言われている惟宗広言も先祖じゃありません
・通字から見ると惟宗忠康がほんとのご先祖
・惟宗氏は渡来人の秦氏の末裔なんで源氏でもないし藤原氏でもないのです
・元々は摂関家に仕えるお侍だったのです ←ここ重要
・忠久が鎌倉幕府から薩摩+大隅守護に任命されたのも、そもそも摂関家が持っていた島津荘(日向国)の代官で南九州に縁があったからなのです
…で、やっと今回の本題になるのですが(^^;)
では島津さんはいつ頃から藤原摂関家に仕え始めたのでしょう?
清和源氏と一緒に仕えていたのか?それとも前出のように保元の乱で源氏が弱体化した後に仕え始めたのか?
…やっぱりこの辺も史料ないのかなあ…
えー一番の見所は機動戦士Tametomo…じゃなくてヾ(^^;)山本耕史さんの藤原頼長かな?山本さんの素とは真逆のキャラでしたが、やってくれるとは思ってましたがここまでとはね。
低視聴率ということは見てない人の方が多いということですが、もったいないなー。
さて、このドラマの前半のキーの一つであった「藤原摂関家と清和源氏」。
大河『平清盛』では
源氏は摂関家御用達の侍だったのですが、将来への意見の対立から摂関家に近い父・為義と摂関家を見限った長男・義朝で分裂、また義朝の兄弟の多くが為義につき、当時の摂関家当主(藤氏長者)だった藤原頼長の味方をするのですが、頼長側(崇徳上皇側)はあっけなく敗北。結果源氏は義朝を除くほとんどが戦死・刑死し、源氏の勢力は一気に後退。これにより自由に動かせる武力を失った摂関家も衰退していったのでした…。
…という描かれ方をしてたと思うのですが、合ってるかな(^^;)
実はここからが拙HP+ブログにもちょっと関わってくる話。
島津家は自称「源頼朝の隠し子の末裔」…なのですが、こんなの嘘っぱちにきまっとるわい!というのが研究者の通説になっており、私も同意してます。
では、本当の起源はどうなのかというと、これがまともな史料が無くて余り分からない…その乏しい史料の中研究された方がいまして、 研究成果はこれらの本にまとまってます。
簡単に説明しますと
・島津氏は源頼朝の隠し子の末裔じゃないよ
・この人の養子になった!…と言われている惟宗広言も先祖じゃありません
・通字から見ると惟宗忠康がほんとのご先祖
・惟宗氏は渡来人の秦氏の末裔なんで源氏でもないし藤原氏でもないのです
・元々は摂関家に仕えるお侍だったのです ←ここ重要
・忠久が鎌倉幕府から薩摩+大隅守護に任命されたのも、そもそも摂関家が持っていた島津荘(日向国)の代官で南九州に縁があったからなのです
…で、やっと今回の本題になるのですが(^^;)
では島津さんはいつ頃から藤原摂関家に仕え始めたのでしょう?
清和源氏と一緒に仕えていたのか?それとも前出のように保元の乱で源氏が弱体化した後に仕え始めたのか?
…やっぱりこの辺も史料ないのかなあ…