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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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前回のお話はこちら
※コメント欄まで読んで下さるとなお話が分かりやすいです

もう一人叔母甥婚をした戦国武将を思い出した
しかもよりによってこいつも島津であるヾ(^^;)

それは…島津忠良・貴久親子の前に立ちふさがった最大のライバル!島津実久
この人の最初の奥さん、叔母さんだった というか自分で調べてたのにすっかり忘れてた_| ̄|○

島津実久は、系図などを見る限り、薩州家・島津忠興の長男であり、血統的な正当性が弱いわけではなさそう。
そして、既述の通り忠良・貴久親子のライバルになるくらいですから、アホ武将ではあり得ないわけで…

結論:島津義久もアホだから叔母さんと結婚したというわけではなさそうですヾ(--;)

…では何で叔母さんと結婚したんだこいつら(ヲイ)

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内部固め
記録が少なく、自分の推測ですが、二代目国久の後で周囲を巻き込むほど大きな家督争いがあったんでからです。
時乃栞 2012/06/13(Wed)06:15:37 編集
続き
で、父の重久が隠居恐らく強制。
忠興が家督争いの末に当主になった。
親子間の仲は不明ですが、伊作へ嫁いだ娘と実久妻との年齢差を考えると、重久は地味に長生きっぽい(; ̄ェ ̄)
忠興娘が宗家へ、重久娘は忠良娘へ嫁いでるから、
親子反目は続いてたんじゃないでしょうか。
そこで、薩州家内部の統合として実久が実叔母と結婚した〜と推測してました。

拙ブログで、薩州家連載してた時も重久の記録がほとんど無くて、推測でまとめるしか無かったです。(; ̄ェ ̄)

島津分家で、まだ近親婚があったような〜(; ̄ェ ̄)
時乃栞 2012/06/13(Wed)06:30:54 編集
無題
コメントありがとうございます。

やっぱりこの辺りはよく分からないみたいですね。
推理によると薩州家は御家騒動?があり、その和解としての結婚のようですが、義久の場合は御家騒動はなかったみたいですし。
謎は深まるばかりでございます。
ばんない 2012/06/13(Wed)23:51:30 編集
日新斎
日新斎は自分の娘を溺愛してたのかなぁ。
夫人の記録が少ないのも、謎が深まる要因ですよね。
貴久の子供は男子だけだから、じーちゃん娘は貴重な政略結婚用ストック。
それを孫に嫁がせるんだから、ちょいちょい娘に会う為か⁇
なんて勘ぐりたくなります。
ミステリアス義久〜ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
時乃栞 2012/06/14(Thu)09:35:47 編集
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