拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
最初から余談
石原莞爾を調べていて、何か良さそうな本があったな、そういえばこれ書いた人、先日の「BS歴史館」の2.26事件の回に出ていた人だったっけ
と思い立ってGoogleで検索してみると、下の方にずらずら出る検索キーワードに「セクハラ」という信じられない文字が…そういえばこの人k大教授だったのに「BS歴史館」出ていたときには別の大学の肩書きだった。そうかそういうことだったのか
…
100万年の恋も一瞬に冷めるとはこのことですかな(違)
<教訓>ネット社会ではごまかしはきかないぞ 日頃から身の振り方には気をつけましょう
戦後史の謎?の一つ。
「満州事変の首謀者だったこの人が、どうして東京裁判の被告にならなかったのか?」
ネットでは
・東条英機と仲悪くて、太平洋戦争勃発以前に退職(予備役)させられていた
・昭和20年(1945年)の時点で、既にガンに冒されており死ぬのも時間の問題と思われた
と言うのが2大理由に挙げられていることが多いですが・・・
偶然ネット上に良い回答を見つけた。
ただもう閉鎖して消えたのでコピペをしておきます。
なんと、当該国の中華民国からの訴追リストにも載っていなかったとは、そりゃ起訴される可能性は低いだろうな。
しかし、「石原は犯罪者~」と言い出したのが諸外国ではなく木戸幸一からだったって…後世他の戦犯から木戸がボロクソ言われる理由が何となく分かるような分からないような。
おまけの疑問
石原莞爾を調べていて、何か良さそうな本があったな、そういえばこれ書いた人、先日の「BS歴史館」の2.26事件の回に出ていた人だったっけ
と思い立ってGoogleで検索してみると、下の方にずらずら出る検索キーワードに「セクハラ」という信じられない文字が…そういえばこの人k大教授だったのに「BS歴史館」出ていたときには別の大学の肩書きだった。そうかそういうことだったのか
…
100万年の恋も一瞬に冷めるとはこのことですかな(違)
<教訓>ネット社会ではごまかしはきかないぞ 日頃から身の振り方には気をつけましょう
戦後史の謎?の一つ。
「満州事変の首謀者だったこの人が、どうして東京裁判の被告にならなかったのか?」
ネットでは
・東条英機と仲悪くて、太平洋戦争勃発以前に退職(予備役)させられていた
・昭和20年(1945年)の時点で、既にガンに冒されており死ぬのも時間の問題と思われた
と言うのが2大理由に挙げられていることが多いですが・・・
偶然ネット上に良い回答を見つけた。
ただもう閉鎖して消えたのでコピペをしておきます。
板垣征四郎の訴因 2011/ 7/29 21:59 [ No.343 / 484 ]http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=5&board=1835208&tid=c0p864pbca4a4bda4nbfma4ha4ja4j&sid=1835208&mid=343#under-deli
板垣が有罪と認定された訴因は8項目ですね。
訴因1 侵略戦争の全般的共同謀議
訴因27 対中戦争遂行
訴因29 対米戦争遂行
訴因31 対英戦争遂行
訴因32 対蘭戦争遂行
訴因35 張鼓峰事件遂行
訴因36 ノモンハン事件遂行
訴因54 交戦法違反
たしかに板垣は、満洲事変(訴因1・27)でも有罪判決を受けていますが、近代社会にあっては、A級容疑で死刑にできるほど、人間の生命は軽くありません。
東京裁判で死刑になった被告たちは、訴因54「交戦法違反」または訴因55「交戦法違反防止義務不履行」が命取りになっています。
石原の場合、訴因1・27には該当するでしょうが、訴因54・55については、起訴すら困難かもしれません。
起訴1・27のみの有罪認定者は、荒木貞夫・橋本欣五郎・南次郎の3人であって、いずれも終身禁固刑です。加えて、石原の健康状態では、長期の裁判には堪えられないでしょうから、無理して裁くほどの価値を認められなかったとも考えられます。
石原起訴の可能性 2011/ 8/ 6 11:43 [ No.345 / 484 ]
昭和21年(1946)4月に東京裁判執行委員会が選定した29人の中には、石原の名前も入っているものの、参与検事会議にて、石原と真崎甚三郎・田村浩が外されています。但し、田村は俘虜情報局長としての責任(BC級)から丸の内裁判で起訴されることになります。
しかも、中国外交部が初期に作成したリストでは、石原は指名すらされておらず、どうもあまり重視されていなかった模様です。
すでに拘束されていた木戸幸一などが、尋問で「満洲事変の中心人物」として石原の名前を出したようで、とりあえずリストに入れたものの、当時は満洲事変の実情も解明されておらず、さらに満洲事変以外には裁きようがないため、リストから外されたと考えることもできます。
Re: 石原起訴の可能性 2011/ 8/13 17:24 [ No.346 / 484 ]
極東軍事裁判関係書については、最近全く目を通すことがなく、失礼しました。
以後、幾つかの文献を読み漁ってみました。
訴因54と55が基本的には死刑判決の要因とはなっていますが、実質的には対米開戦の軍政要職者が死刑という結果となっています。
マッカーサーがGHQ司令官として、日本を統治するに当たり、天皇を退位、訴追することなく、逆に天皇を利用しての統治に当っています。天皇を訴追しない以上は、統帥権最高責任者の天皇の下にあった軍令関係者を死刑対象者から外しています。従って、軍政関係要職者(広田弘毅を除いて)が死刑対象者となっています。特に陸軍の軍政関係者です。
石原は、木戸幸一の満州事変の首謀者との指摘があり、石原も極東軍事裁判酒田臨時出張尋問で、自ら満州事変の首謀者で起訴されるべきであり、極東軍事裁判の最高戦犯はトルーマンであると滔々と述べたという有名な尋問内容は、臨時出張尋問書に全く記載がなく、他に明らかな証拠もないことから、石原弁論内容の真否さえも賛否両論です。
石原の弁舌に、東京裁判での法廷混乱を恐れたGHQ側が隠匿した可能性はありますが、確かに満州事変のみでは死刑の対象外で、対米英戦時は東条により予備役に編入されていたことからも起訴を免れていたでしょう。
なんと、当該国の中華民国からの訴追リストにも載っていなかったとは、そりゃ起訴される可能性は低いだろうな。
しかし、「石原は犯罪者~」と言い出したのが諸外国ではなく木戸幸一からだったって…後世他の戦犯から木戸がボロクソ言われる理由が何となく分かるような分からないような。
おまけの疑問
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憲法記念日にふさわしいネタ!(ヲイ)
満州事変が関東軍の自作自演とばれたのは昭和32年(1957年)に『知性』と言う雑誌に載った花谷正手記(実は秦正彦氏の聞き取り)
…と思っている人が多いようだが と言うか私もそう思っていたのだが
今回調べてみてビックリ。
満州事変が関東軍の自作自演という話自体は早々とばれていたのである!
(1)昭和13年(昭和13年)に建国大学教授として赴任した中山優が、石原莞爾に
「柳条湖事件って、関東軍の自作自演でしょ?」
と問いただしたところ
莞爾はあっさり認めてしまった。呆れた中山が
「良心はとがめなかったのですか?」
と聞いたら、
「ただ天皇の威厳を損なわないように気を配った」
と答えたという。
-この話は莞爾の死んだ翌年、それも莞爾の追悼本『石原莞爾研究』(昭和25年(1950年)発行)で暴露されている。
…っていうか、昭和天皇はこの件ではずいぶんとご心襟を悩ませたつまっておられるようだぞ。ホントに、莞爾め…ヾ(--;)
(2)陸軍の広報課とも言える「新聞課」の職員が、記者達に「今回の事件(=柳条湖事件)は関東軍の陰謀だから」としゃべっていたらしい。しゃべったのは事件のあった昭和6年(1931年)である。
参考
お前らまとめて死ねよ
満州事変が関東軍の自作自演とばれたのは昭和32年(1957年)に『知性』と言う雑誌に載った花谷正手記(実は秦正彦氏の聞き取り)
…と思っている人が多いようだが と言うか私もそう思っていたのだが
今回調べてみてビックリ。
満州事変が関東軍の自作自演という話自体は早々とばれていたのである!
(1)昭和13年(昭和13年)に建国大学教授として赴任した中山優が、石原莞爾に
「柳条湖事件って、関東軍の自作自演でしょ?」
と問いただしたところ
莞爾はあっさり認めてしまった。呆れた中山が
「良心はとがめなかったのですか?」
と聞いたら、
「ただ天皇の威厳を損なわないように気を配った」
と答えたという。
-この話は莞爾の死んだ翌年、それも莞爾の追悼本『石原莞爾研究』(昭和25年(1950年)発行)で暴露されている。
…っていうか、昭和天皇はこの件ではずいぶんとご心襟を悩ませたつまっておられるようだぞ。ホントに、莞爾め…ヾ(--;)
(2)陸軍の広報課とも言える「新聞課」の職員が、記者達に「今回の事件(=柳条湖事件)は関東軍の陰謀だから」としゃべっていたらしい。しゃべったのは事件のあった昭和6年(1931年)である。
参考
柳条湖事件早々の頃、記者クラブで話していた若い記者クラブ員達の前で、新聞部員の谷萩那華雄大尉が「実はあれは関東軍がやったんだよ」とこっそり耳打ちした
満州事変勃発当初の軍部の新聞対策と論調に対する認識(「日本大学大学院総合社会情報研究科紀要」№6 347-358 2005年)p.353
お前らまとめて死ねよ
まだまだ続くマイブーム莞爾。
こんなのブームにしてる奇人、私だけでしょうか…やっぱわたしだけですよね_| ̄|○
気を取り直して
石原莞爾という人物を構成する重大要素としてやっぱり「日蓮宗」は外せない。正確に言えば日蓮宗系の新興宗教の国柱会ですが。逆に言えば日蓮宗にこだわりすぎたのが彼の欠点というか。戦略本に堂々と日蓮様の予言なんて書いちゃいけませんて(^^;)
ところが、莞爾はこの日蓮宗のネットワークのおかげでいろんな恩恵を受けたようだ。
戦後、莞爾が郷里に開拓した西山農場(山形県鶴岡市、現存せず)、ここに何故か当時石川島播磨工業の社長になったばかりの土光敏夫が「役に立てて下さい」とぽんと製塩機を寄付している。残念ながら1年後に壊れてしまったようですが(参照こちら)。私にとっての土光敏夫と言えば「行政改革の神様」「めざしの土光」だったので、デムパ(ごめん)の莞爾と土光敏夫がどうしてもつながらなかった。
が、別件で検索してビックリ。何と日蓮宗仲間だった。
土光敏夫は母の建てた橘学苑にずっと寄付を続けていたという。敏夫自身の信仰はどんな物だったか分かりませんが。
あともうひとつ興味深かったのが、リベラリズムの代表人物のように言われる石橋湛山との関係。湛山も日蓮宗徒だったのですな。
ただし
…宗派と主義主張とは違ったようで(^^;)
本日のおまけ
石原莞爾の生前インタビュー
え、これが後々も語られる「人々を黙らせる威力のある」声だったって・・・(呆然)
こんなのブームにしてる奇人、私だけでしょうか…やっぱわたしだけですよね_| ̄|○
気を取り直して
石原莞爾という人物を構成する重大要素としてやっぱり「日蓮宗」は外せない。正確に言えば日蓮宗系の新興宗教の国柱会ですが。逆に言えば日蓮宗にこだわりすぎたのが彼の欠点というか。戦略本に堂々と日蓮様の予言なんて書いちゃいけませんて(^^;)
ところが、莞爾はこの日蓮宗のネットワークのおかげでいろんな恩恵を受けたようだ。
戦後、莞爾が郷里に開拓した西山農場(山形県鶴岡市、現存せず)、ここに何故か当時石川島播磨工業の社長になったばかりの土光敏夫が「役に立てて下さい」とぽんと製塩機を寄付している。残念ながら1年後に壊れてしまったようですが(参照こちら)。私にとっての土光敏夫と言えば「行政改革の神様」「めざしの土光」だったので、デムパ(ごめん)の莞爾と土光敏夫がどうしてもつながらなかった。
が、別件で検索してビックリ。何と日蓮宗仲間だった。
母の登美は日蓮宗に深く帰依した女性で女子教育の必要性を感じ、1941年(昭和16年)にほとんど独力で横浜市鶴見区に橘学苑を開校した程の女傑であった。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%85%89%E6%95%8F%E5%A4%AB
土光敏夫は母の建てた橘学苑にずっと寄付を続けていたという。敏夫自身の信仰はどんな物だったか分かりませんが。
あともうひとつ興味深かったのが、リベラリズムの代表人物のように言われる石橋湛山との関係。湛山も日蓮宗徒だったのですな。
日蓮宗僧侶・杉田湛誓ときん夫妻の長男・省三(せいぞう)[1]として生まれる。 実父の湛誓は、当時東京大教院(現・立正大学の前身)の助教補(助手→助教)を務めていた。母・きんは、江戸城内の畳表一式を請け負う大きな畳問屋石橋藤左衛門の次女である。石橋家は日蓮宗承教寺の有力な檀家で、同寺院内に所在した東京大教院に在学中の湛誓と親しくしていた。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E6%B9%9B%E5%B1%B1
ただし
帝国主義に対抗する平和的な加工貿易立国論を唱えて台湾・朝鮮・満州の放棄を主張する等(小日本主義)、(引用元同上)
…宗派と主義主張とは違ったようで(^^;)
本日のおまけ
石原莞爾の生前インタビュー
え、これが後々も語られる「人々を黙らせる威力のある」声だったって・・・(呆然)
表題のアニメの下敷きになったネタがあの満州事変らしい(○。○)
それだけでも勇気があると思うのだが、
なんと当事者が実名で登場するのだそうだ⊂(。Д。⊂⌒`つ
もちろん板垣征四郎・石原莞爾から今田新太郎までオールスターズでございます。あ、でも本庄司令官ははぶられてたかもヾ(--;)
ただ、どうもネットで得た情報によると
肝心の満州事変の登場する回は地上波では放送されず、ネット配信(爆)だったそうで
ははは…
公式HPはこちら
おまけ
主人公たち架空人物の名前と実在人物の名前に差がありすぎて違和感
それだけでも勇気があると思うのだが、
なんと当事者が実名で登場するのだそうだ⊂(。Д。⊂⌒`つ
もちろん板垣征四郎・石原莞爾から今田新太郎までオールスターズでございます。あ、でも本庄司令官ははぶられてたかもヾ(--;)
ただ、どうもネットで得た情報によると
肝心の満州事変の登場する回は地上波では放送されず、ネット配信(爆)だったそうで
ははは…
公式HPはこちら
おまけ
主人公たち架空人物の名前と実在人物の名前に差がありすぎて違和感
石原莞爾を調べていると、タイトルにあげている雑誌がちらちら出てくる。しかし現在は本屋で見かけないが…
例えば莞爾の盟友であった浅原健三について検索してみたら、浅原逮捕に関わった憲兵・大谷憲二郎がその「真相」を書いたのがこの『日本週報』である。参考こちら
阿部博行著『石原莞爾 生涯とその時代』を読んでみると、莞爾は晩年に『日本週報』がらみでかなり嫌な思いをしたらしい。2.26事件について莞爾が裏で青年将校達の糸を引いていたという話を岩淵辰雄が『日本週報』に書いたようだが(「破るる日まで」)莞爾曰くこれはすべて虚偽だったという(弟・石原六郎談)。
では、この『日本週報』なる雑誌って何物?
早速検索してみると…
まともなデータがない_| ̄|○
何か参考になりそうなところを見てみる。
『日本週報』創刊9周年記念号 昭和29年で創刊9年と言うことは、戦後すぐに創刊された雑誌という事みたいですな
某古本屋さんの所蔵一覧 サブタイトルを見てみると「マッカーサァ大将パターン苦戦の真相」とか「沖縄敗戦と牛島中将の最期」とか軍関係のネタが多い雑誌だったようです
こんなネタも扱っていた ※グロ画像注意
ところがその後しばらくして休刊になったらしく、昭和51年(1976年)に再刊されたようだ。参考 こちら
再刊後は、「赤いGHQの恐怖! 日本列島は10分で全滅」「大蔵省解剖 主役・銀行局/証券局の仁義なき闘い」と言う政治ネタの他に「V1達成でも長島監督の座は危ない」なんてスポーツ芸能ネタも扱っていたようだ。
※上記のリンク先に「昭和20年12月9日 ~ 昭和41年 592冊? 発行 日本週報 の 復刊第1号 雑誌」とちょっと発行データが書いてありました
…が、その後ばんないの幼少時(汗)の記憶に『日本週報』なる雑誌の記憶が全くないと言うことはやっぱりすぐ休刊or廃刊になったんでしょうな。
ところで
どうもまだ日本週報社という出版社自体は残っているのだが、公式HPもなく、何やってるのか全く不明。
戦後すぐには熱狂的な人気があったようなんだが、始まりから現在まで、何とも謎な雑誌である。
例えば莞爾の盟友であった浅原健三について検索してみたら、浅原逮捕に関わった憲兵・大谷憲二郎がその「真相」を書いたのがこの『日本週報』である。参考こちら
阿部博行著『石原莞爾 生涯とその時代』を読んでみると、莞爾は晩年に『日本週報』がらみでかなり嫌な思いをしたらしい。2.26事件について莞爾が裏で青年将校達の糸を引いていたという話を岩淵辰雄が『日本週報』に書いたようだが(「破るる日まで」)莞爾曰くこれはすべて虚偽だったという(弟・石原六郎談)。
では、この『日本週報』なる雑誌って何物?
早速検索してみると…
まともなデータがない_| ̄|○
何か参考になりそうなところを見てみる。
『日本週報』創刊9周年記念号 昭和29年で創刊9年と言うことは、戦後すぐに創刊された雑誌という事みたいですな
某古本屋さんの所蔵一覧 サブタイトルを見てみると「マッカーサァ大将パターン苦戦の真相」とか「沖縄敗戦と牛島中将の最期」とか軍関係のネタが多い雑誌だったようです
こんなネタも扱っていた ※グロ画像注意
ところがその後しばらくして休刊になったらしく、昭和51年(1976年)に再刊されたようだ。参考 こちら
再刊後は、「赤いGHQの恐怖! 日本列島は10分で全滅」「大蔵省解剖 主役・銀行局/証券局の仁義なき闘い」と言う政治ネタの他に「V1達成でも長島監督の座は危ない」なんてスポーツ芸能ネタも扱っていたようだ。
※上記のリンク先に「昭和20年12月9日 ~ 昭和41年 592冊? 発行 日本週報 の 復刊第1号 雑誌」とちょっと発行データが書いてありました
…が、その後ばんないの幼少時(汗)の記憶に『日本週報』なる雑誌の記憶が全くないと言うことはやっぱりすぐ休刊or廃刊になったんでしょうな。
ところで
どうもまだ日本週報社という出版社自体は残っているのだが、公式HPもなく、何やってるのか全く不明。
戦後すぐには熱狂的な人気があったようなんだが、始まりから現在まで、何とも謎な雑誌である。