拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
石原莞爾を調べていると、タイトルにあげている雑誌がちらちら出てくる。しかし現在は本屋で見かけないが…
例えば莞爾の盟友であった浅原健三について検索してみたら、浅原逮捕に関わった憲兵・大谷憲二郎がその「真相」を書いたのがこの『日本週報』である。参考こちら
阿部博行著『石原莞爾 生涯とその時代』を読んでみると、莞爾は晩年に『日本週報』がらみでかなり嫌な思いをしたらしい。2.26事件について莞爾が裏で青年将校達の糸を引いていたという話を岩淵辰雄が『日本週報』に書いたようだが(「破るる日まで」)莞爾曰くこれはすべて虚偽だったという(弟・石原六郎談)。
では、この『日本週報』なる雑誌って何物?
早速検索してみると…
まともなデータがない_| ̄|○
何か参考になりそうなところを見てみる。
『日本週報』創刊9周年記念号 昭和29年で創刊9年と言うことは、戦後すぐに創刊された雑誌という事みたいですな
某古本屋さんの所蔵一覧 サブタイトルを見てみると「マッカーサァ大将パターン苦戦の真相」とか「沖縄敗戦と牛島中将の最期」とか軍関係のネタが多い雑誌だったようです
こんなネタも扱っていた ※グロ画像注意
ところがその後しばらくして休刊になったらしく、昭和51年(1976年)に再刊されたようだ。参考 こちら
再刊後は、「赤いGHQの恐怖! 日本列島は10分で全滅」「大蔵省解剖 主役・銀行局/証券局の仁義なき闘い」と言う政治ネタの他に「V1達成でも長島監督の座は危ない」なんてスポーツ芸能ネタも扱っていたようだ。
※上記のリンク先に「昭和20年12月9日 ~ 昭和41年 592冊? 発行 日本週報 の 復刊第1号 雑誌」とちょっと発行データが書いてありました
…が、その後ばんないの幼少時(汗)の記憶に『日本週報』なる雑誌の記憶が全くないと言うことはやっぱりすぐ休刊or廃刊になったんでしょうな。
ところで
どうもまだ日本週報社という出版社自体は残っているのだが、公式HPもなく、何やってるのか全く不明。
戦後すぐには熱狂的な人気があったようなんだが、始まりから現在まで、何とも謎な雑誌である。
例えば莞爾の盟友であった浅原健三について検索してみたら、浅原逮捕に関わった憲兵・大谷憲二郎がその「真相」を書いたのがこの『日本週報』である。参考こちら
阿部博行著『石原莞爾 生涯とその時代』を読んでみると、莞爾は晩年に『日本週報』がらみでかなり嫌な思いをしたらしい。2.26事件について莞爾が裏で青年将校達の糸を引いていたという話を岩淵辰雄が『日本週報』に書いたようだが(「破るる日まで」)莞爾曰くこれはすべて虚偽だったという(弟・石原六郎談)。
では、この『日本週報』なる雑誌って何物?
早速検索してみると…
まともなデータがない_| ̄|○
何か参考になりそうなところを見てみる。
『日本週報』創刊9周年記念号 昭和29年で創刊9年と言うことは、戦後すぐに創刊された雑誌という事みたいですな
某古本屋さんの所蔵一覧 サブタイトルを見てみると「マッカーサァ大将パターン苦戦の真相」とか「沖縄敗戦と牛島中将の最期」とか軍関係のネタが多い雑誌だったようです
こんなネタも扱っていた ※グロ画像注意
ところがその後しばらくして休刊になったらしく、昭和51年(1976年)に再刊されたようだ。参考 こちら
再刊後は、「赤いGHQの恐怖! 日本列島は10分で全滅」「大蔵省解剖 主役・銀行局/証券局の仁義なき闘い」と言う政治ネタの他に「V1達成でも長島監督の座は危ない」なんてスポーツ芸能ネタも扱っていたようだ。
※上記のリンク先に「昭和20年12月9日 ~ 昭和41年 592冊? 発行 日本週報 の 復刊第1号 雑誌」とちょっと発行データが書いてありました
…が、その後ばんないの幼少時(汗)の記憶に『日本週報』なる雑誌の記憶が全くないと言うことはやっぱりすぐ休刊or廃刊になったんでしょうな。
ところで
どうもまだ日本週報社という出版社自体は残っているのだが、公式HPもなく、何やってるのか全く不明。
戦後すぐには熱狂的な人気があったようなんだが、始まりから現在まで、何とも謎な雑誌である。
<追記>
国立国会図書館で調べてみると昭和20年(1945年)から昭和52年(1977年)まで発行されていたようです。こちら
やっぱり終戦直後は所蔵欠品になっている号が多いですね。寄付したら喜ばれるかもです
国立国会図書館で調べてみると昭和20年(1945年)から昭和52年(1977年)まで発行されていたようです。こちら
やっぱり終戦直後は所蔵欠品になっている号が多いですね。寄付したら喜ばれるかもです
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