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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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まだまだ続くマイブーム莞爾。
こんなのブームにしてる奇人、私だけでしょうか…やっぱわたしだけですよね_| ̄|○

気を取り直して
石原莞爾という人物を構成する重大要素としてやっぱり「日蓮宗」は外せない。正確に言えば日蓮宗系の新興宗教の国柱会ですが。逆に言えば日蓮宗にこだわりすぎたのが彼の欠点というか。戦略本に堂々と日蓮様の予言なんて書いちゃいけませんて(^^;)

ところが、莞爾はこの日蓮宗のネットワークのおかげでいろんな恩恵を受けたようだ。
戦後、莞爾が郷里に開拓した西山農場(山形県鶴岡市、現存せず)、ここに何故か当時石川島播磨工業の社長になったばかりの土光敏夫が「役に立てて下さい」とぽんと製塩機を寄付している。残念ながら1年後に壊れてしまったようですが(参照こちら)。私にとっての土光敏夫と言えば「行政改革の神様」「めざしの土光」だったので、デムパ(ごめん)の莞爾と土光敏夫がどうしてもつながらなかった。
が、別件で検索してビックリ。何と日蓮宗仲間だった。
母の登美は日蓮宗に深く帰依した女性で女子教育の必要性を感じ、1941年(昭和16年)にほとんど独力で横浜市鶴見区に橘学苑を開校した程の女傑であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%85%89%E6%95%8F%E5%A4%AB
土光敏夫は母の建てた橘学苑にずっと寄付を続けていたという。敏夫自身の信仰はどんな物だったか分かりませんが。

あともうひとつ興味深かったのが、リベラリズムの代表人物のように言われる石橋湛山との関係。湛山も日蓮宗徒だったのですな。
日蓮宗僧侶・杉田湛誓ときん夫妻の長男・省三(せいぞう)[1]として生まれる。 実父の湛誓は、当時東京大教院(現・立正大学の前身)の助教補(助手→助教)を務めていた。母・きんは、江戸城内の畳表一式を請け負う大きな畳問屋石橋藤左衛門の次女である。石橋家は日蓮宗承教寺の有力な檀家で、同寺院内に所在した東京大教院に在学中の湛誓と親しくしていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E6%B9%9B%E5%B1%B1
ただし
帝国主義に対抗する平和的な加工貿易立国論を唱えて台湾・朝鮮・満州の放棄を主張する等(小日本主義)、
(引用元同上)
…宗派と主義主張とは違ったようで(^^;)

本日のおまけ
石原莞爾の生前インタビュー

え、これが後々も語られる「人々を黙らせる威力のある」声だったって・・・(呆然)

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追記
石原莞爾と土光敏夫の関係というのが母親つながりというのは分かったんですが、それは単なる日蓮宗つながりと言うより、国柱会つながりだったみたいです(○。○)
参照こちら
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