忍者ブログ
拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今回ご紹介する本は『実録満鉄調査部』、
回想 満鉄調査部』の著者が
「タイトルに"満鉄調査部"と書いてる割には全然調査部のネタがねーよヽ(`Д´)ノ」(意訳)
と罵倒していた本です。

確かに、満鉄調査部の話はあまりない(爆)
ざっと見た限り、内容は、満州という場所に日本がどう関わり、そして満州国が出来る話で3/4ぐらい、残りが満鉄調査部の話でしょうか。
ただ、参考文献は挙げてられませんが、著者の草柳大蔵は満鉄調査部の生き残りなどの関係者100人を超える人物にインタビューをし、またアメリカまで行って関係史料を読み込んでこの本を書いた…と後書きに書いております。
立場としては中庸な印象。…と言うか、これと並行して当事者である山口重次の回想を読んだのだが、その内容がかなりモニョモニョする物だったので、本当に草柳の文章はまともに見えました、はい。

なお、約300ページの本が2冊(上下巻)という大作です。今田の話は下巻にのみちょっと登場。
ではまいる。

拍手[0回]

PR
これは非常に珍しいと思う資料の紹介。
恐らく今田新太郎が南支軍に左遷されていて、海南島に駐在していたときに作成したと思われる漢詩集である。
…何でこれを見つけたかというと、GoogleBooksで「今田新太郎」で検索したらこれがヒットしたのですよ。
で、必死になって検索したら、日本には早稲田大学図書館にしか所蔵がない大珍品。地元の図書館を通じていろいろ交渉するも、結局半分しか入手できなかった_| ̄|○(早稲田さんが悪いのではなくて、どうも地元の図書館が融通きかないのが理由のように見受けられました…)

ということで、全6頁_(。_゜)/のうち半分の序文2頁と漢詩2編だけ紹介。
続きは東京に行ったときですかねえ…いつ行ける日が来るのだろうか(T∀T)

拍手[1回]

何か前回のと似たような本からのご紹介になりますが
確かに「その当時に現場に居合わせた人間の証言」というところでそっくり。
但し今回紹介する『危ない昭和史』(光人社)は毎日新聞+読売新聞の記者で、戦時中は満州国情報部や防衛総司令部調査班勤務だったという岡田益吉の回顧録です。岡田氏は明治32年(1899年)生まれと言う事ですから、流石にもうお亡くなりになってられるかと。
ちなみに初版昭和57年4月7日。前のよりはマシとは言え、これも古い本になるかな(私としては昭和50年代はついこの間のようなゲフンゲフン)
流石に古い本だけあり、2mm弱四方の活字が2段組みでびっちり。読むの疲れました…

上巻と下巻があり、今田が出てくるのは下巻。
ではまいる。

拍手[1回]

これはかなり古い本で、奥付みると昭和40年7月15日発行となっています。
複数の人による証言本です。

元ルーマニア公使・筒井潔の証言「風雲急な欧州に使いして」に一か所だけ今田が登場します。が、結構重要証言。
なお、柳条湖事件(柳条溝事件)当時、筒井は新京大使館勤務。
※外交官は、この事件の結果幣原喜重郎外相が辞めさせられるなど煮え湯を飲まされたため、今田初め陸軍に対する感情は戦後に至るまで最悪だったことには注意が必要です。
皇帝即位を祝って天皇ご名代秩父宮が来満されたとき列車を柳条溝に止めて、爆破事件の直接の当事者河本中尉が宮様に当時の状況を詳細に説明するという一幕があった。中尉は宮様に嘘八百の作り話を申し上げながら冷や汗三斗の思いだったのであろう、ついに脳貧血で倒れてしまった。われわれは「やはり悪いことはできない物だねえ」と話し合った。
戦後、花谷参謀が爆破は河本中尉がやったことを明らかにしたが、それまでは張学良顧問付の今田新太郎大尉が下手人と軍内部でも信じられていたし、今田君も否定もせずにトボケていた。実際は今田が指図して河本が爆破したのであるが、今田、河本の上に板垣、石原、花谷、三谷などの参謀や憲兵が指導したり、グルになっていたことは今や周知の通りである。
p.124
<毎度恒例当てにならない補足>
・皇帝即位:溥儀の即位 実は溥儀を満州国皇帝にするかどうかと言うのはかなり揉めたらしい、石原莞爾は満州青年同盟に同調して反対派 板垣征四郎は賛成派
・河本中尉:河本末守中尉 当時奉天独立守備隊所属
・花谷参謀:例の花谷正
・三谷:三谷清奉天憲兵分隊長

今田が事件早々から主犯と言われていたという証言はこれが初めてかも。

他に気になる話。

拍手[1回]

以前にもちらっと紹介した本です。
あの「陸軍のモンスター」田中隆吉が戦後すぐ(昭和21年)に書いた本で、その後何回も再版されているようです。
私が入手したのは中公文庫版。末尾に隆吉の息子・稔の解説が付いています。今田が登場するのはこの解説部(実際は隆吉と親しかった東京新聞記者・江上航の手記になる物のようです)。重複するが再掲。
田中が法廷で証言に窮したのは柳条溝事件であった。
 昭和6年9月、柳条溝の満鉄線が爆破されたのを中国側の仕業だとして、関東軍が軍事行動を開始したが、この爆破作業は石原莞爾の命令で、今田新太郎がやったものだ。今田はその時、張学良の軍事顧問だった。田中は直接今田の口から聞いていた。
…ウエップ裁判長は、『君が答えなければならぬ』という。
 切羽つまった田中は、『日本は中国側がやったといい、中国は日本側がやったといった』と苦しまぎれの証言をした。
 田中がこの証言を渋ったのは、当時今田がシンガポールで抑留されていたからだった。…
p.203~204
この本では、他の箇所には今田は登場していません。
が、検索中に他の田中隆吉本で貴重な今田証言を見つけたのだが…ネタバレになるゆえ秘密(^^;)

後、気になった点。

拍手[0回]

カレンダー
08 2025/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
最新記事
(02/24)
(02/02)
(01/27)
(01/26)
(01/25)
最新コメント
[08/22 พวงหรีด]
[08/20 wine]
[08/19 ขาย ไวน์]
[08/15 The flag shop uae]
[08/11 uniform store]
最新トラックバック
ブログ内検索
プロフィール
HN:
ばんない
性別:
非公開
自己紹介:
初めての方はこちらの説明をお読み下さい。リンク・引用の注意もあります。

プロフ詳細はこの辺とかこの辺とか
カウンター
バーコード
アクセス解析
P R
Template by Crow's nest 忍者ブログ [PR]