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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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実は以前引用した「東京大学100年史編纂委員会 平泉澄氏インタビュー」のpdfファイルがどこにあるのか分からなくなってしまい、結局検索する羽目になったのだが、その過程でこんな小論文を見つけたでござる。
 「東京大学文学部日本史学研究所旧保管「平泉澄氏文書」について」(若井敏明)(『東京大学文学部日本史学研究室紀要 第9号』2005年3月)
末尾に付いている文献一覧をずずーっと見ていくと、何と島津氏関連では必ずお世話になる五味克夫氏のお名前はっけーん(○。○)…平泉ゼミに在籍していたことがあったのか。と言うか五味さんすごいお年と言うことですよね…ご健在でしょうか…

では前回途中で挫折した続き。
いよいよ平泉は軍の教育に足を突っ込んでいくこととなります…

拍手[1回]



・美濃部達吉とは実はそんなに仲悪くなかったよ、むしろ美濃部さんが九大の学長になったときに自分を九大の教授に推薦してくれてたもんね(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol15_3interview-1.pdf p.79) その一方で蓑田胸喜のことはボロカスである(^^;)今じゃ平泉は蓑田と十把一絡げの扱いのように思われますが
・東京大学に朱光会という学生団体が出来るが(昭和6/11/18)、これは満州事変に誘発された学生が作った物である、メンバーは全学部からまんべんなく出ている、東大は総合大学とは言うが各学部は孤立していた、ところが私という人物が来ると一つにまとまるのである(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol15_3interview-1.pdf p.80~81)
・昭和13年に東大に神道学講座(実際は「日本思想史講座」)が出来るが、これは昭和2年頃からず~~~~~~っと私が提案し続けてたこと 文部省と自分が結託したと言われてるが心外じゃ(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol15_3interview-1.pdf p.81~82)
・今の研究の仕方を私は好まない、今の研究は「○○という論文の○ページから○ページまでにこういう事が書いてある」と言うことを集めることのみに狂奔しておって、データは集まるけど若い研究者は論文集めだけでへとへとである、何かデータは集まる、数だけは集まる、これがいわゆるデモクラシー方式なんだろうが、これは研究と言える物ではない(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol16_3interview-1.pdf p.68)
・私は日本は大衰亡期に入っていると思っていた、特に日露戦争の辺りで純日本的な考え方をしていた人々が共産主義だとか西欧的な考えに走って日本の伝統を捨て去ってしまった、次の第一次世界大戦ではすっかり日本は「火事場泥棒」になって、大隈重信内閣(加藤高明(三井財閥一族)外相)が中国に出した「対支21ヶ条」なんて言うのは恥以外の何物でもない。第一次世界大戦が終わったら英米がこんな日本をたたきに来るのは道理で、その発端が日英同盟破棄、次が軍縮会議での艦隊縮小強制だったのだが、日本はそんな事には気が付かず、西園寺だとか言う鎌倉時代から朝廷を裏切っている一族の出身の人物が元老として政党を転がして実権握ってるんだから…(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol16_3interview-1.pdf p.73~74) ちなみにこの後中江兆民(今田の親友/中江丑吉の父)の名前も挙げて「(西園寺と中江等が)日本に革命を起こして民主国家にしようとしている」と軽蔑した口調で語っております。
・先述の外遊の時当初ドイツだけの予定だったのを後からギリシャとかアメリカとかも追加していったのは、先述のように日本の将来に危機感を抱いて、これからの対策を学ぶにはマルクスや西園寺公望を生み出したフランス革命やアメリカ独立戦争を分かってなければどうにもならないと思ったから(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol16_3interview-1.pdf p.75~77)
・自分を秩父宮様の御進講役として推薦してくれたのは当時の小野塚総長、今では小野塚氏の後継者は南原繁で、軍国主義の自分とは対立してたとか思われてるが(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol16_3interview-1.pdf p.81)
・大正7年に有馬良橘(海軍大将、当時は明治神宮宮司)と知り合いになる。これが平泉と軍とのつながりの始まりなのだが、有馬と平泉のなれそめは有馬が興味を持っていた漢学者・山崎闇斎について平泉が講演会をしたことがきっかけだった。(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol17_3interview-1.pdf p.115) 実は平泉も述べている(前回記事参考)が、今田の父・主税はこの山崎闇斎派に詳しかった漢学者だった。
・陸軍とのつながりは、この有馬大将が荒木貞夫に昭和天皇への御進講者として推薦したことから(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol17_3interview-1.pdf p.120)このことで政財界にまで名前の知られる有名人となり、「実質上日本の指導的な地位に就けた」(by平泉)だそうです。
・昭和8年1月10日の大亜細亜協会の設立総会に参加したときに、小畑敏四郎、そして近衛文麿と知りあう(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol17_3interview-1.pdf p.123~124)
・平泉は「無欲成るが故に透徹なる頭脳を持った人」として秩父宮、高松宮、そして意外なことに(平泉本人がそういってるw)溥儀と近衞文麿を高評価しています。(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol17_3interview-1.pdf p.124) そうしてみんな近衞イリュージョンに騙されたのだヾ(--;)なお、大亜細亜協会は今田に関係のある組織のようなんだが、また後日触れるかも。
・5.15事件は政治に飽き飽きしていた国民に受けた事件(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol17_3interview-1.pdf p.127)
・その内平泉に私淑する学生がふくれあがり、先述した朱光会だけでは収まりきらず、平塚らいてうの妹が持っていた家の一つを借りて「青々塾」というのも作った(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol18_3interview-1.pdf p.62~63) 実は今まで不勉強で全く知らなかったのだが、平塚家というのはなかなかの名家だったようだ(らいてうの父・定次郎はドイツ語の大家だったらしい)関ヶ原の合戦で討ち死にした平塚為広はご先祖だそうですが。
・青々塾は結局あちこちに支部が出来て千一塾になった。これほどの私の仕事を理解しているのは案外アメリカのほうで、日本、特に国史学科の連中が一番わかっとらん。愚かもんばかり集まって、研究室は私が作ったようなもんなのに、そこを(後から)占領して私の悪口ばっかり言っておる(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol18_3interview-1.pdf p.63)キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!平泉節炸裂!ヾ(^^;)でも平泉澄を日本史学会では長いことなかったことにしてたのは事実なんだよね…以前紹介した秦郁彦も本の中で平泉を悪魔のようにけなしていた(但し秦は東大の政治科専攻)。なお、平泉が後述したところによると「実は1001とは言っても間が抜けていてもう少し少なかった」(p.64)_(。_゜)/だとか。
・塾の生徒達はみんな礼儀正しかった。私の講義の時には人数が100人を超えるので家の壁や襖も全部ぶち抜いて、それでも足りないから地面にむしろまでひいて座っていたが声をたてる者は1人とていなかった。それに反し塾に来ない者は正直戦争から逃げ回っていて、結局言ってもいやなおもいで、戦後になったらきけわだつみの声で泣き言を言わなくてはならない。(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol18_3interview-1.pdf p.83~84) 戦没学生遺族会に真っ向からケンカ売りまくる平泉先生。ところで戦中の学生の思想とか意識に非常に影響を与えた哲学として「京都学派」の西田哲学は著名らしいのだが、それには平泉は一切触れず、いかに自分の影響が絶大だったかと言うことを延々と述べているのだな。哲学と歴史学は分野違いで交流がなかったのか、それとも東大の平泉にとっては京大はアウトオブ眼中だったのか。
・昭和9年、満州国に行く汽車の中で同席になったのが松村大尉と言う人物で、この人が後に陸軍士官学校の教務課に入ったときにその要請で講演に行った。この時に学校の幹事をしていたのが当時少将だったあの東条英機。(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol18_3interview-1.pdf p.65)なお、この時の平泉の講演の内容というのがとんでもないもので、家から太刀をもってきて段上で振り回し「陸軍よ、この刀の如く強くあれ(以下略)」…もう日本史の講演でも何でもない。
・満州国を見物に行っては見たが、「日本軍はしっかりやってるよ~」とは聞いてはいたけど、それは国策として動いてない。だいたい日露戦争からの日本には国策はない。政友会と民政会がちゃんぽんになって、西園寺公望があっちを立てればこっちを立てるという具合で、国策のない間に満州は出先で勝手に動いてる。このバラバラになっている日本が国難に立ち向かうには錦の御旗に集まるしかない、西園寺や三井や三菱の元、ましてや徳田球一に集まれなんて言っても無理である(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol18_3interview-1.pdf p.66) 問題はその一つにまとめる役を勝手に自認しているのが平泉な事なのである…厚かましくないか、平泉ヾ(^^;)
・東条英機の要請により、次々と自分の弟子を士官学校に送り込んで学校を改革した。これまでの士官学校はここまでの気迫はなかった、高等学校や高等商業学校を落ちた者の集まりだった、学力が少しないから陸軍に行けと言われた落ちこぼれの集団だった(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol18_3interview-1.pdf p.67)流石にこれは言い過ぎのような…「学力はあるけど金がない」から陸軍幼年学校、士官学校に行った人は多かったようですが。この発言、今田はもちろん高嶋とかにも謝って欲しいです(^^;)
・海軍は山本五十六も米内光政も私と意見が正反対。岡田啓介に至っては戦後キーナンに招待されて宴会していた~巣鴨で元同僚が処刑されてたときに~同郷の人だが根本が間違ってると思う。それに比べて陸軍は相性が良かった(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol18_3interview-1.pdf p.75~76) キーナンは東京裁判時のアメリカ側検事で、モンスター田中隆吉を引っ張り出した男である。
・大正7年の東大卒業生でこの後の日本の国難を見抜いた人物が3人いる。1人は私、もう1人が仁科芳雄、最後の1人が石井四郎である(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol18_3interview-1.pdf p.76~77) 仁科芳雄はともかくとして、石井四郎はご存じの方も多いがあの「731部隊」のリーダーだったと言われる人物である。ついでだが、wikipediaによると石井四郎は東大卒ではなく京大卒らしい。
・海軍とは相性が悪かったが、特に悪かったのが井上成美。勲章のことばかり鼻にかけて(http://www.u-tokyo.ac.jp/history/pdf/journal/vol18_3interview-1.pdf p.78)井上成美の珍しい悪いエピソード。でもしゃべってるのが平泉なんで(苦笑)


と言う事で、ここでインタビューは終了。
トータルで見た感想ですが、自我心が強い人というか、山口重次とかと似たような人物だったんじゃないかなーという印象を受けました。ただ、山口は一民間の運動家だったんでまだ影響力はアレだったのだが、平泉は東大教授(それも戦前旧制の)ですからねー かえって始末が悪いヾ(^^;)
要はこの人は「遅れてきた国学者」だったんじゃないかと。ただ、歴史の研究だけに限れば意外に実証的な人だったようなんで(ただし本人談による、ですが)、その辺の再検討が待たれます。
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