拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
先週(先々週?)の大河ドラマ『西郷どん』では島津斉彬の子供が呪い殺される?と言うシーンが登場していました。
「毒殺とか暗殺ならともかく、わら人形(仮)で呪い殺すなんて~いくら江戸時代でも~」
…と、普通の方なら思って当たり前のこのシーン。
-が、ご存じの方も多いでしょうが、これは有名すぎる実話でした(!)。
しかも、鹿児島藩(薩摩藩)では、「有力な後継者を呪い殺すという手段は当然あってもおかしくない!」…とみんなに思わせる事件が過去に実際にあったのです…
気になる方は「続きはこちら」をクリックプリーズ
※なお、多忙につき実際の史料を掲示できないので「速報版?」という形で書いてます
後日閑になったら、実際の史料も書く予定です(←希望)
「毒殺とか暗殺ならともかく、わら人形(仮)で呪い殺すなんて~いくら江戸時代でも~」
…と、普通の方なら思って当たり前のこのシーン。
-が、ご存じの方も多いでしょうが、これは有名すぎる実話でした(!)。
しかも、鹿児島藩(薩摩藩)では、「有力な後継者を呪い殺すという手段は当然あってもおかしくない!」…とみんなに思わせる事件が過去に実際にあったのです…
気になる方は「続きはこちら」をクリックプリーズ
※なお、多忙につき実際の史料を掲示できないので「速報版?」という形で書いてます
後日閑になったら、実際の史料も書く予定です(←希望)
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当該ニュースはこちら参照
昭和天皇独白録に3千万円 NY、高須氏が落札日本経済新聞
「昭和天皇独白録」落札者は高須クリニック院長高須克弥氏 皇室に提供の意向産経新聞
落札額などが詳しい日テレNewsの記事を参考に引用しておく
さすがyes!はお金持ちだなあ!…というのはおいといて(^^;)
3080万円とは予想以上に高値に上がったなあ、と言うのが感想です。と言うかスタート価格の720万円もなかなかの強気価格かなと感じました。
と言うのも、この史料自体は未確認史料ではなく
既に公開されて、誰でも容易にその内容を見ることができる物だからです。
『昭和天皇独白録』は1991年に文藝春秋社から出版され、当時は「天皇の戦犯問題に関わる新資料か?!」とセンセーショナルに報道されました。
実はこの出版に関しては、裏で金銭がらみのどろどろした問題があったことを、伊藤隆氏が証言しています。(拙ブログのこちら参照)
この史料の元所蔵者であったマリコ・テラサキ・ミラー氏はNHKでドラマ化もされた柳田邦男の小説『マリコ』の元ネタになった人物でもあります。この史料の作成者とされる寺崎英成氏の一人娘でしたが、戦後まもなくアメリカでの教育を希望し、母と共に渡米。その直後に寺崎氏が死去し、死に目にはあえなかったとか聞いたことがあります。『マリコ』がNHKでドラマ化され放送されたときにインタビューに出ていたのを覚えていますが、すっかりアメリカ人になって、日本語は読み書きとも全くできなくなっていたのが印象に残っています。
但し、敗戦後のぼろぼろの日本から当時世界トップのアメリカでの生活を選んだマリコさんではありましたが、どうもその後は余り恵まれた生活ではなかったようで、1990年に『昭和天皇独白録』を伊藤氏に持ち込んだのも金銭になるものかどうか確認するためだったようです。
今年オークションに原本が出品されたのも、2016年にマリコ氏が死去し、息子が生活のたしにするために出品したものかと推測されます。
それにしても3000万円は予想外のかなりの臨時収入になったんじゃないかと。
昭和天皇独白録に3千万円 NY、高須氏が落札日本経済新聞
「昭和天皇独白録」落札者は高須クリニック院長高須克弥氏 皇室に提供の意向産経新聞
落札額などが詳しい日テレNewsの記事を参考に引用しておく
昭和天皇が太平洋戦争に至る経緯などについて側近に語った回想録「昭和天皇独白録」の原本が6日、アメリカ・ニューヨークで競売にかけられ、約3000万円で落札された。落札したのは美容外科医の高須克弥氏だという。高須院長「昭和天皇独白録」を3000万円で落札高須克弥氏は、ツイッターで「皇室に返す」東洋経済オンライン(日テレNews)
「昭和天皇独白録」は、昭和天皇が太平洋戦争に至るまでの経緯などについて語ったものを側近だった外交官・寺崎英成氏が記録した文書。「独白録」は90年代に出版されたが、オークションの主催会社によると寺崎氏の妻がアメリカに持ち帰った原本を孫が出品したという。
オークション担当者「これは、昭和天皇の考えが書き留められた唯一のもの」「日本にあるべきものなので、日本が買い戻してくれることを期待している」
日本円で約720万円から始まった入札はすぐに値を上げ、最終価格は手数料込みで約3080万円となった。主催会社は美容外科医の高須克弥氏が落札したと発表。高須氏はツイッターなどで「皇室に返す」としている。
さすがyes!はお金持ちだなあ!…というのはおいといて(^^;)
3080万円とは予想以上に高値に上がったなあ、と言うのが感想です。と言うかスタート価格の720万円もなかなかの強気価格かなと感じました。
と言うのも、この史料自体は未確認史料ではなく
既に公開されて、誰でも容易にその内容を見ることができる物だからです。
『昭和天皇独白録』は1991年に文藝春秋社から出版され、当時は「天皇の戦犯問題に関わる新資料か?!」とセンセーショナルに報道されました。
実はこの出版に関しては、裏で金銭がらみのどろどろした問題があったことを、伊藤隆氏が証言しています。(拙ブログのこちら参照)
この史料の元所蔵者であったマリコ・テラサキ・ミラー氏はNHKでドラマ化もされた柳田邦男の小説『マリコ』の元ネタになった人物でもあります。この史料の作成者とされる寺崎英成氏の一人娘でしたが、戦後まもなくアメリカでの教育を希望し、母と共に渡米。その直後に寺崎氏が死去し、死に目にはあえなかったとか聞いたことがあります。『マリコ』がNHKでドラマ化され放送されたときにインタビューに出ていたのを覚えていますが、すっかりアメリカ人になって、日本語は読み書きとも全くできなくなっていたのが印象に残っています。
但し、敗戦後のぼろぼろの日本から当時世界トップのアメリカでの生活を選んだマリコさんではありましたが、どうもその後は余り恵まれた生活ではなかったようで、1990年に『昭和天皇独白録』を伊藤氏に持ち込んだのも金銭になるものかどうか確認するためだったようです。
今年オークションに原本が出品されたのも、2016年にマリコ氏が死去し、息子が生活のたしにするために出品したものかと推測されます。
それにしても3000万円は予想外のかなりの臨時収入になったんじゃないかと。
『NMBとまなぶくん』と言う深夜番組を偶然見ていたら
東大史料編纂所教授の本郷和人氏が出演していて、最後に好きなNMBのメンバーまで明言してお帰りになられた件。
…
日本の周りはきな臭いはずだが、日本は平和であるヾ(^^;)
てゆーか、東大史料編纂所もずいぶんとライトになりましたね~。
では本題。
以前島津常子のことを調べていたときに、関連して検索していたら
かなり吹っ飛ぶような人物だったヾ(^^;)
ので驚いてしまった。
ある意味(ヲイ)スゴイ人物なのに、余り知られてないような。
今回関連で紹介してしまおう。
しかし、こんなすごい?ネタは津野田さんとか別府小吉以来のようなヾ(--;)
では気になる方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ。
※この記事に出てくる写真は『宮家三代の秘蔵写真』か『伯爵鹿島萩麿』からの引用になります。
※上記の文でお察しの方も多いかと思いますが、未成年にお見せしづらいネタが絡んできますので、その手の話が苦手な方はスルーでお願いします
東大史料編纂所教授の本郷和人氏が出演していて、最後に好きなNMBのメンバーまで明言してお帰りになられた件。
…
日本の周りはきな臭いはずだが、日本は平和であるヾ(^^;)
てゆーか、東大史料編纂所もずいぶんとライトになりましたね~。
では本題。
以前島津常子のことを調べていたときに、関連して検索していたら
かなり吹っ飛ぶような人物だったヾ(^^;)
ので驚いてしまった。
ある意味(ヲイ)スゴイ人物なのに、余り知られてないような。
今回関連で紹介してしまおう。
しかし、こんなすごい?ネタは津野田さんとか別府小吉以来のようなヾ(--;)
では気になる方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ。
※この記事に出てくる写真は『宮家三代の秘蔵写真』か『伯爵鹿島萩麿』からの引用になります。
※上記の文でお察しの方も多いかと思いますが、未成年にお見せしづらいネタが絡んできますので、その手の話が苦手な方はスルーでお願いします
前の話はここら辺
島津常子には成人しただけでも実に上下合わせて14人もの兄弟がいました。今じゃ考えられない数ですね。
もちろん、この時代のことですから、お母さんは同じではなく
9人:妾 山崎須磨子
5人:妾 菱刈久
となっています。てゆーか、9人でも多いぞヾ(^^;)
薩摩藩が明治維新時に勝者の側に立ったお陰かどうか、女性はそこそこ良いところに嫁がれています
…といっても、常子みたいにずるずる行き遅れて諦めたころ?に宮家から話が来たと言うことも割とあったようですが(^^;)
余りにも家柄が良すぎても、今度は相手を選ぶので、意外に華族のお姫様の婚家探しは大変だったようです。
前回のお話で紹介した『幕末300藩 古写真で見る最後の姫君達』では、常子が2人の妹と一緒に撮影した写真が出ています。常子がようやくヾ(^^;)結婚がきまった明治35年に撮られた記念写真です。
一番左の洋服姿の女性が常子で、真ん中で立っているのが正子、右で椅子に座っている一人年少の女の子が為子 というのは前回で紹介済みか。
正子に関しては同じ本の「近衛泰子」の項目の方で詳しく登場しています。
この二人の妹も興味深い生涯を送ってられます。
ついでに(ヲイ)紹介してしまおう。
※興味のある方は「つづきはこちら」をクリックぷりーず
※この記事で紹介する写真は1枚を除き『幕末300藩 古写真で見る最後の姫君達』から引用した物です
島津常子には成人しただけでも実に上下合わせて14人もの兄弟がいました。今じゃ考えられない数ですね。
もちろん、この時代のことですから、お母さんは同じではなく
9人:妾 山崎須磨子
5人:妾 菱刈久
となっています。てゆーか、9人でも多いぞヾ(^^;)
薩摩藩が明治維新時に勝者の側に立ったお陰かどうか、女性はそこそこ良いところに嫁がれています
…といっても、常子みたいにずるずる行き遅れて諦めたころ?に宮家から話が来たと言うことも割とあったようですが(^^;)
余りにも家柄が良すぎても、今度は相手を選ぶので、意外に華族のお姫様の婚家探しは大変だったようです。
前回のお話で紹介した『幕末300藩 古写真で見る最後の姫君達』では、常子が2人の妹と一緒に撮影した写真が出ています。常子がようやくヾ(^^;)結婚がきまった明治35年に撮られた記念写真です。
一番左の洋服姿の女性が常子で、真ん中で立っているのが正子、右で椅子に座っている一人年少の女の子が為子 というのは前回で紹介済みか。
正子に関しては同じ本の「近衛泰子」の項目の方で詳しく登場しています。
この二人の妹も興味深い生涯を送ってられます。
ついでに(ヲイ)紹介してしまおう。
※興味のある方は「つづきはこちら」をクリックぷりーず
※この記事で紹介する写真は1枚を除き『幕末300藩 古写真で見る最後の姫君達』から引用した物です