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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
前の話はここら



島津常子には成人しただけでも実に上下合わせて14人もの兄弟がいました。今じゃ考えられない数ですね。
もちろん、この時代のことですから、お母さんは同じではなく
9人:妾 山崎須磨子
5人:妾 菱刈久
となっています。てゆーか、9人でも多いぞヾ(^^;)

薩摩藩が明治維新時に勝者の側に立ったお陰かどうか、女性はそこそこ良いところに嫁がれています
…といっても、常子みたいにずるずる行き遅れて諦めたころ?に宮家から話が来たと言うことも割とあったようですが(^^;)
余りにも家柄が良すぎても、今度は相手を選ぶので、意外に華族のお姫様の婚家探しは大変だったようです。

前回のお話で紹介した『幕末300藩 古写真で見る最後の姫君達』では、常子が2人の妹と一緒に撮影した写真が出ています。常子がようやくヾ(^^;)結婚がきまった明治35年に撮られた記念写真です。

一番左の洋服姿の女性が常子で、真ん中で立っているのが正子、右で椅子に座っている一人年少の女の子が為子 というのは前回で紹介済みか。
正子に関しては同じ本の「近衛泰子」の項目の方で詳しく登場しています。

この二人の妹も興味深い生涯を送ってられます。
ついでに(ヲイ)紹介してしまおう。
※興味のある方は「つづきはこちら」をクリックぷりーず
※この記事で紹介する写真は1枚を除き『幕末300藩 古写真で見る最後の姫君達』から引用した物です





正子は1885年に生まれます。なお「まさこ」と言わずに「なおこ」と読みます。
実は正子が生まれる2年前にあの天璋院篤姫が死去しますが、篤姫は養子の徳川家達に「徳川家の世継ぎには島津家の女性を嫁にするように」と遺言したため、篤姫死後に生まれた家達の長男・家正と正子は生後まもなく婚約したと伝えられています(『花葵 徳川邸おもいで話』拙ブログのレビューはこちら
なお家子は名前の一字が同じですが、これが話し合いで決められた物か単なる偶然かは不明。

正子はこれに乗っ取り家正と結婚しますが…
結婚生活はかなり地獄だったようです(○。○)
こうなったのは姑・泰子及び徳川家女中との不和にありました。
若き日の泰子の写真 かなりの美人だが気も強そう(^^;)
前掲『花葵』によれば、外交官として活躍した家正に対し、正子はかなり地味な性格でパーティーなど社交的な活動が必要とされる外交官夫人に全く向いていませんでした。イギリス赴任をした家正を残し、正子は出産を機に日本に帰国してしまい、それを不快に思った泰子に隠居同然の押し込め状態に追い込まれたようです。家正との間に生まれた4人の子どもの養育権すら泰子に取り上げられていたようです。島津家で行事があったときも泰子が直前になって引き留めたために泣く泣く欠席せざるを得なかったと言うことも始終あったようです。
島津家で行われた島津忠秀(正子の同母弟・忠重の長男)誕生記念パーティーの時の集合写真。正子は出席できなかったため写っていない。
また『幕末300藩~』では正子が持ってきた花嫁道具をすぐに蔵に押し込められ、泰子が死ぬまで取り出すことが許されなかったという話も紹介されています。
徳川家達・泰子夫妻(左側)と徳川家正・正子夫妻(右側) ちなみに泰子は正子より22歳上なんだが、この写真ではとてもそうは見えない(苦笑)
ちなみに正子の実弟・島津忠重は何度か篤姫の墓参りをしたいと徳川家に申し出ていますが、結局許して貰ったのは昭和17年になってから(『炉辺南国記』)。徳川家が倒幕の中心になった薩摩藩、及びその藩主の島津家に持っていたわだかまりは相当な物だったようで、その空気が泰子や女中をして島津家出身の正子イジメに繋がった物ではないかと考えられます。…しかし、泰子は島津家とまんざら縁がないわけでもないんですけどね(※江戸時代以降、近衞家と島津家は何度も結婚を繰り返して縁戚関係にある)。なんでこうなったのか…というか、この空気を作った一因とも言える篤姫が何でこんなひどい婚約を生前に決めてしまったのか…。
更に、昭和11年には唯一の男子であった家英が24歳の若さで急死してしまうという悲劇にも見舞われます。

正子がこの状態から解放されたのは昭和19年に姑・泰子が没してから。
戦後、徳川家は華族制度廃止などにより経済的にはかなり苦境に立たされますが、夫と共に公式の場所に出るなど(『高松宮日記』8巻)、ようやく「徳川家の当主夫人」という扱いをされるようになります。
戦後は急死した息子・家英の代わりに孫(長女の息子)を跡取り養子に迎え、静かな晩年を過ごします。この孫が現徳川本家当主の恒孝氏。養子に迎えられてからしばらくは夕食時間が早いのと小学生の口に合わない地味な献立に苦労したそうです(^^;)(『武将の末裔』



次に紹介するのは、隣に写っていた一番末の妹の為子。
島津忠義の成人した娘たちの中で、為子一人が母親が違います。そういえば上掲の写真でも一人だけちょっと顔立ちが違うような。為子の生母・菱刈久の写真を一度だけ見たことがありますが(アサヒグラフ別冊か何かだった)細面の凛々しいタイプの女性だったような記憶があります。
前回の記事に書いたように島津家では兄弟一緒に育てられなかったという環境に加えて、父親にも早く死に別れ、年齢も一人だけかなり離れていたので姉たちとは違う雰囲気の中で成長したと考えられます。
 これは別の本(新人物往来社の『近代華族写真帖』だったかな)から引用。

為子の嫁ぎ先は紀州徳川家当主の徳川頼貞。この当時の紀州徳川家は侯爵で、又華族の中でも屈指の大金持ちとして知れ渡っていました。
為子も侯爵夫人として華やかな生活を送るようになります。
頼貞は特に西洋音楽に興味があり、ヨーロッパへの外遊を頻繁に行います。そして貴重な楽器や楽譜を収集していました。それに為子も常に同行していました。高尚な趣味を持っていた頼貞はヨーロッパ貴族への受けも良く、当時の駐日ベルギー大使だったアルベール・ド・バッソンピエール男爵は頼貞夫妻を激賞しています(『ベルギー大使の見た戦前日本』

…が、これらの派手な活動には当然莫大な支払いが伴うわけで、そのため紀州徳川家の遺産を食いつぶしていくことになります。紀州藩の遺臣達は必死に頼貞の散財を止めますが、頼貞は全く聞く耳を持たなかったようです。

戦後、華族制度が廃止されますが、今度は頼貞は支援者に担がれて参議院議員に立候補します。頼貞自身は東京生まれの東京育ちでしたが、立候補した和歌山県で「徳川の殿様」の威光は絶大でした。次点以下の候補に圧倒的な大差を付け、栄えある第1期の参議院議員となります。

しかし昭和29年に頼貞死去。
わずか4年後には後を嗣いだ長男の頼韶も亡くなります。頼韶は病弱で子供はいませんでした。
夫と息子を亡くした為子には、歴年のコレクションと政治活動のために夫が残した莫大な借財だけが残されました。

為子は東京に「マルキーズ」(※「侯爵夫人」の意)という名前のフランス料理レストランを開店、借金を返済しようとします。このレストランは為子が夫との生活で得た本格的なスタイルの物だったそうなのですが…開店が昭和30年代では余りにも登場が早すぎたようで、数年で閉店に追い込まれ、かえって借金がふくらんでしまいます。
頼韶の後を嗣いでいた婿養子の剛は借金に恐れをなして為子の娘と離婚、逃亡してしまいます(○。○)

昭和43年には異母兄の忠重が亡くなります。この追悼文集『しらゆき』に為子は追悼文の寄稿を求められたようで一筆残しているのですが、その内容はかなり冷ややかです。既述のように幼少期はバラバラに育てられて成長して兄弟の親近感が一般家庭より薄かったと言う事もありますが、戦後混乱に巻き込まれながらも何とか家名を保った島津家と、見事に没落した紀州徳川家の間に目に見えない巨大な溝ができていたようにも感じられます。

…うろ覚えの記憶ですが、私が昔美容院で読んだある女性週刊誌に「殿様の子孫は今」という特集が組まれていて、紀州徳川家も取り上げられていました。古いアパートの小さい一室に母と娘3人が暮らしており、娘のうちの長女が気丈にも「紀州家は姉妹のうちの誰かが継ぎます、ここで終わりではありません」と記者に答えていたという内容が印象に残っていました。この長女こそ、最近ようやく公の場で「紀州徳川家現当主」として紹介されるようになった徳川宜子氏ではないかと思います。
宣子氏は『お殿様は今』の中で為子の思い出を少し語っています。宜子が小学生のころは為子は近所の別のアパートで一人暮らし、会いに行くと頼貞との華々しい外遊経験をそれは懐かしそうに語っていたそうです。

為子は平成元年(1989年)に92歳で亡くなります。島津忠義の大勢の子女の中で一番長生きでしたが、その生涯は前半と後半で余りにも明暗が分かれた物でした。

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