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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
前回の莞爾を超越するデムパ・高島辰彦ヾ(--;)の紹介からお口直しヾ(^^;)
久々の史料紹介は山口昌男氏の『「挫折」の昭和史』です。
それにしても、これだけの資料を集めたのはすごい!…「資料集めただけ」と言う批評もあるようですがヾ(--;)、今田の資料探している私にはこれが十分なのでございます、はい。

ではまいる。

まずは今田が出てこないこの話。長文だが頑張って紹介。実は今田にすごく関係しているのだ。
話は自治指導部に戻る。昭和6年10月30日に決定されたスタッフの中には、部付に中野琥逸、橘僕、連絡課に笠木良明、監察部に甘粕正彦などの顔ぶれが見られた。満州青年連盟のメンバー7人、大雄峰会メンバー7人、その他9人という構成であった。笠木系の自治指導員は自派の献身性を強調して地方官僚の不要なることを説き、要所要所の参事官の定期異動の不可なることを強調した。笠木は更に満州国務院資政局に入り込み、新設部門の人材配置を一手に掌握しようとした。その結果、大雄峰会のメンバーが優先的に採用され、青年連盟は排除される傾向が生じてきた。
事ここにいたって、石原と青年連盟の山口重治や小沢開作等が、反総務課=関東軍の線で連携して笠木良明・和知鷹二連合による政府人事の独占を批判し、大雄峰会系によるポストの独占、「官吏」課を体制化であると批判した(松沢哲成「石原莞爾と笠木良明」竹内・橋川編『近代日本と中国』下 241頁)。和知は、笠木と共に、資政局訓練所の訓練生を東京で行った人物である。
資政局については、元満州国外交部次長(事変当時ハルピン総領事)大橋忠一が次のように述べている。
《当時、政府のどこかに資政局とか言う役所が急に出現し、溥儀執政直属だと称し、そこに立てこもった若い日系官吏が国務院の首脳である駒井君の統制に服しようとしない。彼らは自治指導部員として生命の危険を冒して地方民の宣撫をやった荒武者であって、下手をすると何事をしでかすか分からない。しかも、その背後には軍の参謀長や連絡将校があるという話があって、我々正統派を当惑させました。
私はあるとき、駒井君に対しこの邪魔者を一掃すべき事を進言したが、これを聞いていた彼は黙って急に立ち上がり、奉天に飛び軍司令部と話をつけて帰りました。翌日になると板垣参謀がやってきて資政局解散を宣言し、「文句のある者は分かるまで話してやる」と称し、満州屋旅館の一室に丸腰姿で一日中座っていたが誰も来ず、一部で恐れられた流血もなく、無事に収まりました。この波乱は、私の知る限り建国にまつわるただ一つのもので、これによって満州国の地固めが出来たように思います。》(大橋忠一「建国者、駒井徳三」『麦秋駒井徳三』 69頁)
このような比較的中立な立場に対して、どちらかと言えば、笠木の側に近い証言がある。元満州国協和会総務部長坂田修一の手になる物である。
坂田は、事変後、奉天の自治指導部に入り、建国後国務院資政局に移って笠木と行動を共にした、多分大雄峰会系の人物だったらしい。坂田は、笠木等と駒井は精神的にも思想的にも近かったにもかかわらず逆の道を歩むことになったのは痛恨事である、と言う。
その理由の一つに、昭和7年2月中旬、笠木達が駒井に会見を申し込み、彼らは、新国家が迎えるべき日系官吏の代表者は、満系側からも心服されるような日本第一級の大物が推薦されるべきであって、もし駒井に白羽の矢が向けられたとしても断ることを要望したことが挙げられている。どうも、笠木等は内地から日蓮宗関係の大物が来ることを期待していたようである。しかし、今日から考えても、中国に対する確実な知識、行政能力、胆力を共に兼ね備えただ一級の人物として駒井より以上に相応しい人物はいなかっただろう。もし笠木が自らをそう考えていたのなら別であるが。
もうひとつの不幸な事件は、昭和7年7月5日の資政局の廃止であった。この時笠木以下自治指導員の主要人物が追放された。この資政局の廃止は、7月15日創設の満州国協和会と制度的に重複したので、笠木派の弾圧であり、その影には駒井の策謀があったという風説が流布された(坂田修一「駒井先生の遺徳を偲んで」『麦秋駒井徳三』 104頁)
直接、鉈を振るったのは石原であった。反笠木色を隠さない山口重次は次のように述べる。
《諮政局は、雄峰会の笠木良明等一派が立てこもっていた。初め、自治指導部創設に参画したが、天業を奉行すると称し、仏教的信念の凝り固まりのような手合が多かった。世間では、これを天業組と言っていた。彼らは、建国に際し、自治指導部を捨てて、別に資政局を作り上げた。官制をみると、「各部の姿勢を暢達するにある」といい、所管事項をみると、「宣伝と自治の指導と官吏の養成訓練をする」ことだという。そして、地方の県参事官と中央管理とを結びつけて、自治機構を組織するのが目的だった。
石原は、これに同意を与えなかった。
「官吏になって、自治の指導が出来る物じゃない。官庁にいて、官庁各部の施政を暢達するというのは、何のことか。昔の弾正台のような任務につこうとするのか。一向分からん。胡麻化しだな」
そんな風にみていたが、実力はかなり強大であった。自治指導の点では、民生部と衝突し、又協和党ともぶつかる心配があった。で、協和党が諮政局の組織内に合流するように、申し入れがあったが、諮政局は官庁であり、協和党は国民の機関であって、性質上一体になりえないと、承諾を与えなかった。
ついに、石原は、諮政局の解散を命じた。
将来、この一団が官僚閥を作ることになろう。その暁は、満州国三千万の民衆を塗炭の苦しみに陥れる、渦因となるであろう、と看破したからであった。
片倉参謀は、命を受けて、新京に出かけた。そして諮政局に望み、局長以下全員を集め、諮政局はその日限り廃官とし、局員は辞令を用いず、全員退官とし、5日以内に新京退去を命じた。電光石火の早業だったので、局員は、手も足も出なかった》(山口重次『悲劇の将軍 石原莞爾』240-241頁)
p.241~244
拙ブログ関係エントリ   

…これだけで既に長い_| ̄|○
「挫折」して次回以降に続く(^^;)

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