拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
今田の友人・高嶋辰彦を調べていると、時々"町田敬二”という人物が登場する。
この人、自伝(『ある軍人の紙碑』)を書いていて、国立国会図書館には所蔵しているようだ。
ということで、コピーを冗談半分で入手してみました。(ドンドン島津から脱線してるなあ…)
入手して驚愕の事実が判明。
この人、自伝(『ある軍人の紙碑』)を書いていて、国立国会図書館には所蔵しているようだ。
ということで、コピーを冗談半分で入手してみました。(ドンドン島津から脱線してるなあ…)
入手して驚愕の事実が判明。
何と、鹿児島の町田氏の末裔だった(○。○)
しかも父は陸軍大将・町田経宇 …超有名人じゃん。
町田経宇には二男一女がいたが、長男は外交官になり、次男の敬二が軍人になった。
たぶん、軍人になると死ぬ可能性が高くなるので、跡取りは他の仕事の方に…と言う事なんだろうな(津野田知重ネタも参照下さい)
敬二は残念ながら軍人として無茶苦茶才能があったわけではなかったようで、陸軍大学校には進学していない。先述の高嶋辰彦とも陸軍士官学校の同窓でありながら、士官学校時代にはそんなに仲が良かったわけではないようで、友人になったのはかなり後の太平洋戦争(大東亜戦争)中、今村均の元に町田が広報部隊を率いてやってきたときに、世話を焼いてくれたのが高嶋だった、と言うのがきっかけのようだ。
と言う事で、石原莞爾ネタが今田新太郎ネタに脱線し、更に高嶋辰彦ネタに脱線して、思いもかけぬ形でその終点で振り出しに戻ったのでした(^^;) でも今田ネタもうちょっと続きそう(ヲイ)
関連エントリ こちら
しかも父は陸軍大将・町田経宇 …超有名人じゃん。
町田経宇には二男一女がいたが、長男は外交官になり、次男の敬二が軍人になった。
たぶん、軍人になると死ぬ可能性が高くなるので、跡取りは他の仕事の方に…と言う事なんだろうな(津野田知重ネタも参照下さい)
敬二は残念ながら軍人として無茶苦茶才能があったわけではなかったようで、陸軍大学校には進学していない。先述の高嶋辰彦とも陸軍士官学校の同窓でありながら、士官学校時代にはそんなに仲が良かったわけではないようで、友人になったのはかなり後の太平洋戦争(大東亜戦争)中、今村均の元に町田が広報部隊を率いてやってきたときに、世話を焼いてくれたのが高嶋だった、と言うのがきっかけのようだ。
と言う事で、石原莞爾ネタが今田新太郎ネタに脱線し、更に高嶋辰彦ネタに脱線して、思いもかけぬ形でその終点で振り出しに戻ったのでした(^^;) でも今田ネタもうちょっと続きそう(ヲイ)
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