拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
関連記事はこちら
ほぼ同じ和歌の再掲になります。
ほぼ同じ和歌の再掲になります。
どうも、亀寿が解放されて薩摩に帰国できたというのは大変な出来事であったようですね。ちょいとオーバーに騒ぎすぎのような気もしないでもないのですが。「義久公譜中」
一兵庫頭義弘天正十六年四月廿六日発於領国、五月廿三夜着泉州境之岸、六月四日、登於大坂城、謁 殿下秀吉公、是以八月、龍伯得帰国之恩免欲帰薩摩、而留置憐愛女子於京師、唯我辞華洛赴領国、愚心戚〃所以不能也、丁此之時綴愁情於三十一文字、而賜之於細川幽斎、
「在御文書方」
二世とはちきらぬものを親と子の
わかれん袖のあはれをもしれ 龍伯
「在世禄記」
馴\/し身をハはなたし玉手箱
二世とかけぬ中にハありとも 幽斎
幽斎忽備龍伯之歌於 殿下之台覧、 殿下哀卑詠之情濡襟袖、而女子亦賜暇矣、聞赦免之命、則我忽驚動、不知手之執之足之蹈之、仰天伏地、而後所以拝謝也、
(「薩藩旧記雑録」後編2-454)
PR
Comment
コメントの修正にはpasswordが必要です。任意の英数字を入力して下さい。