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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
島津義久晩年の御家騒動に絡んで、島津忠恒(家久)に殺された平田増宗。
彼の二男が船が難破したときに切腹されられたのが慶長15年らしい(「平田系図」他)
船が難破して事故死ならともかく「切腹」という所、実はどさくさ紛れに島津家久(忠恒)の命令で殺されたのではないかと。
(実は平田増宗も「本藩人物誌」などでは誅殺となってますが、どうも当初は単なる闇討ちと思われていた?思わせていた?ような 詳しくはこちら

実は肝付本家の当主もこの時に溺死している。肝付本家当主・肝付兼幸は他に兄弟もなく、その後肝付本家は暫く絶家状態となり、暫く後に兼幸の母の功績により何故か母の縁者(新納家)から選ばれた人物が肝付本家を継いでいる。ここからみて、兼幸は実質最後の肝付本家当主だったと考えて良いだろう。


それにしても、これって偶然かなあ。
肝付本家はこの頃はかなり衰退していたので滅亡させる理由はなく、偶然だと思う…思いたい…いやしかし家久(忠恒)のことだからなあ。

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憶測すると
船の統括責任者だったら、難破の責任をとらされた、ってあるかも。
自然が相手の事で、厳しいかもだけど、パパン死後なら処分減刑を働きかける物好きはいないだろうし。

肝付〜忠恒は執念深い、良く言えば後顧の憂いを断つことにかけては右に出る者がいないからして。
溺死は偶然でも母方の縁者を当主にしたのは意図的じゃないですかね。
完全に家名断絶は怨みを持つ者が出ないとも限らない。
適当にガス抜きするには家名存続で当主を別家から迎え監視するのが一番。

この場合は他家から来た当主が忠恒の意向を受けた監視役を兼ね、、、
おや、こんな時刻に誰か、、うわ、何す、、
時乃栞 2012/08/13(Mon)02:46:39 編集
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