拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
天正18年5月28日頃に詠まれた物です。
実は長い前置きがあるのですが、それは後回しにして先に歌の方を紹介します
「あしのほわたをたのめ行く末」がちょっと意味が分かりにくい。
あー、わたしは龍伯様の足元に及ばない歌心のない人間であった(;¬_¬)
前置きは続きにて
実は長い前置きがあるのですが、それは後回しにして先に歌の方を紹介します
「夏衣うすきおもひをぬき捨て」は「夏の着物のようにうすーい思いを捨てて」という事なんだろうが、「在御文書方」
(「薩藩旧記雑録」後編2-661)
右され歌の返歌、
夏衣うすきおもひをぬき捨て
あしのほわたをたのめ行くすゑ
「此文書、正文在国分衆伊地知作左衛門トアリ」
「あしのほわたをたのめ行く末」がちょっと意味が分かりにくい。
あー、わたしは龍伯様の足元に及ばない歌心のない人間であった(;¬_¬)
前置きは続きにて
では前書きです。
「以前から言ってた男の子が来たんだけど、実際見るとすごくいいよ!早くこっちに来ないと後悔しちゃうよ!」
…ではないかと(間違ってたらご指摘宜しくお願いします)
しかし、こういうばかばかしい事(失礼)のために八百万の神に誓いたててみるとか、飛脚で連絡するとか…近衛前久(=龍山)ってこういうネタが大好きなんだろうな…
関連日記 こちら 但しこの前後に前久邸に行ったという記録はないようだ
しかし義久も前久の悪口は言えない… こちら参照
要点だけまとめると猶々申候、彼若衆只今参候、かさも無之見事さハいまもたゝならす候、日本国大小神祇非偽候、早〃御出候へく候、於御油断者、沙汰之かきりたるへく候、但御届ハ此分候、於無御出者、意斎両人申談盃可給候間、向後不可有御恨候、無御返事間ハ、八幡之さかつきのミ不申相待申候、早〃御返事可承候、此者一度ニ早〃御出可給候、かしこ、
追而令申候、仍昨日内〃御物語申候、かさかきの若衆至当所来候、かさもこれなく、こと\/くなをり申候、弥若衆あかり申候、盃きこしめし度候ハヽ、只今不移時刻早馬ニめし候て、小者一人之躰にて、早〃可有御出候、念者之ある若衆にて候間、承者如何候之条、不被及沙汰、可被懸御意候、為其令啓候、以使者可申候処ニ、路次遅候てハと、乍聊尓以飛脚申候、恐〃謹言、
「天正十八年」
巳下刻 「龍山公」
五月廿一日 東入道
山(花押)
意室
経(花押)
龍伯
参
「以前から言ってた男の子が来たんだけど、実際見るとすごくいいよ!早くこっちに来ないと後悔しちゃうよ!」
…ではないかと(間違ってたらご指摘宜しくお願いします)
しかし、こういうばかばかしい事(失礼)のために八百万の神に誓いたててみるとか、飛脚で連絡するとか…近衛前久(=龍山)ってこういうネタが大好きなんだろうな…
関連日記 こちら 但しこの前後に前久邸に行ったという記録はないようだ
しかし義久も前久の悪口は言えない… こちら参照
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