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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
本日、NHKBSプレミアムの「新日本風土記」のネタは「城 十二天守の旅」ということで、現存する12基の天守が紹介されてました。もしかしたら現存する五重塔の数より少ない?

先の戦争で空襲のターゲットにされて無くなった物も多いと記憶してます。名古屋城とか岡山城はそうじゃなかったかな?
姫路城はターゲットにされましたが、何故か全部城をそれたので助かったとのこと。城下町のほうは丸焼けになってしまいましたが。


ふと思ったのですが、大きな領地を持つ大名ほど、幕府に遠慮して天守を建てなかったという通説があるのですが、果たして本当か?ちょっと調べてみました。ちなみに元データはwikipediaなので余り当てにしないようにヾ(^^;)

1 加賀藩(前田家)外様 102万石 金沢城 慶長7年に天守が焼失、以後は再建されず(三層櫓を代用)
2 鹿児島藩(島津家)外様 77万石 鹿児島城 天守は元から無かった
3 仙台藩(伊達家)外様 63万石 仙台城 天守は元から無かった(艮櫓を代用)
4 尾張藩(徳川家)親藩 62万石 名古屋城 五層の天守があったが、戦災で焼失
5 紀州藩(徳川家)親藩 56万石 和歌山城 三層の天守があったが戦災で焼失
6 熊本藩(細川家)外様 54万石 熊本城 五層の天守があったが西南戦争で焼失
7 福岡藩(黒田家)外様 47万石 福岡城 ? 詳しくはこちら
8 広島藩(浅野家)外様 43万石 広島城 五層の天守があったが原爆により全壊
9 長州藩(毛利家)外様 37万石 萩城 明治7年(1874年)の廃城令で破却
10 佐賀藩(鍋島家)外様 36万石 佐賀城 享保11年(1726年)火災で焼失
※注 前任の藩主が既に天守閣を造っていた

取りあえず石高上位10位まで見てみました。
意外に天守無しの藩が少ないように思います。元から無かったのは鹿児島藩と仙台藩だけです。その仙台藩でも代用天守を持っているので、鹿児島藩の異様さが目立ちます。
その中でもちゃっかりしてるなあと思ったのが長州藩。関ヶ原の合戦で思いっきり盟主になった上、大減封食らってるのに、しっかり移転先にも天守建ててるという(^^;)しかも、明治になってあっさり取り壊してる…毛利さん、それ観光資源ですよヾ(^^;)
※当時城が飯のタネになるという認識は全くなかったと思われます。

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