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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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前の話はこちら
高須克弥
@katsuyatakasu
宮内庁書陵部から昭和天皇独白録の献上を許可すると連絡あり、宮内庁記者クラブで発表するから先走ってつぶやかないようご注意もいただいた。 記者さんたちから確認の電話がかかりはじめた。 つぶやき開始なう。 竹田先生ありがとう
https://mobile.twitter.com/katsuyatakasu/status/1001004848127475712?p=v
ということになったそうです。
確か落札されたのが去年の年末だったから、大体半年ぐらい手続きに時間かかったと言う事でしょうかね

あと全く関係ない話だが歴史小説家の津本陽氏死去(89歳)だとか。そういえば最近全然見かけないなあ、と思ってました。一方100歳でも元気なこういう人もいるわけで…

まあ個人的には89とか100とか勘弁です 先立つ物がないので太く短く(と書くことが白々しい位結構な年だったりするシクシク)

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前回記事でハウスバーモントカレーのイメージボーイだった方がお亡くなりになられた話をしましたが、この週末にかけて朝丘雪路とか、有名人がボコボコ亡くなられましたねえ…

ところで、今頃になって春休み中にBSで放送された「池上彰のbig対談」磯田道史編を録画していたのを拝見したわけだが。暗い話の連続で精神的に参ってしまった…でも磯田さんは歴史家としてこれから先も見届けたい云々というようなことを話されてました。鋼のメンタルですな。私は無理。
それより最後に池上氏が言っていた「(磯田氏が)大学時代に図書館で本を読みすぎて栄養失調で倒れた」という話が気になる。本が好きすぎるだけが原因じゃないような。

気を取り直して。前回の話はこちらです。

さて。
前回はいかにも豪邸!な部分を紹介したのですが(実際に最初に案内してもらったのがそこだった(^^;))
豪邸を支えるのには沢山のバックヤードがいると言うことで…

本日のネタは「1Fのお勝手」からスタート。

前回は「乾邸1F唯一の和室」で終了しましたが、その部屋と廊下をはさんで北側にお勝手スペースがあります。
内玄関
前回紹介した「通常玄関」いわゆる普段用の玄関です。普段用といいながら十分広い。

その西向かいに、女中の控え室があるのですが…現在は保存会の倉庫として使われているため閉鎖されて見学できませんでした。

内玄関を入ってすぐ右横(北側)には「応接室」がありました。前回紹介した「応接室(ゲストルーム)」と違って、ちょっとした所用で来た人(営業の人とか?ヾ(^^;))を通す部屋だったようです。こちらの部屋も現在保存会の事務室として使われているため見学できませんでした。

その応接室の北隣にあるのが「事務室」です。うーむいかにも事務的殺風景(^^;)
その事務室内にある脇玄関。いわゆる「お勝手口」でした。



1Fのお勝手は見学できないところが多かった…_| ̄|○
そのお勝手用の階段から2Fへ移動。ちなみにこの階段、狭い+急傾斜。さすがは戦前の建て物?!

主寝室 現在はベッドなどがないのでイメージしにくいですが…
この主寝室には前回書いた1Fのゲストルームをのぞき見る窓→ がありました。
この主寝室と内側の廊下(写真の右側) で繋がっていたのが
夫人用の寝室。こちらも主寝室同様現状はベッドとか無いのでイメージしづらい。
ところで主寝室と夫人寝室が別れていたと言うことは、乾新治夫妻は夫婦別室だったんですね。
夫人寝室には違い棚風の化粧台が作り付けであったりしました。洋室の中でこの辺は和風である。

なお、上記の内廊下側、主寝室と夫人寝室の間にバスルームとトイレがありました。昭和初期の建て物には考えられない現代風、と言うか欧米スタイルの寝室。 …途中で幾度か改修工事があったようで、今時のユニットバスになっていたのは見逃しましょうね(^^;)


ここまでが2Fの「表」の顔。
2Fにも「バックヤード」がありました。
先程の夫人用の寝室と廊下をはさんで北側にあるのが 「衣装部屋」です。
和室じゃないですよ。いや確かに和室だけど(^^;)誰かの部屋とか言うのではなくて、乾新治夫人の大量の着物を収納し、お着替えするためだけの部屋でした。襖を開けると、そこには着物を収納するための和箪笥が並んでいました。
この部屋、京間の8畳なのでかなり広かったです。

その北側に、女中が寝泊まりする部屋・「女中室」(8畳)と 「予備室」(6畳)がありました。西側にしか窓がないので、衣装部屋より圧迫感が感じられます。


2Fの主廊下にある階段を上ると3F。
そこには「サンルーム」がありました。…あれ、サンルーム全景を入れた写真を撮ってなかった_| ̄|○
でも御影の山手にある邸宅のしかも3Fにある部屋ですからして、景色がとても良かったです。
これは海側  こちらが山側 ちなみに正面に見えるのが白鶴美術館
この3F、埋め込み型の空調(壁の上部+下部に付いている柵)とか、昭和初期とは思えない凝った作りになっていました。ちなみにこれが空調スイッチ。こちらの形は昭和な作りですね(^^;)


以上で建物の見学は終了。
なお、この乾邸ですが庭も神戸市指定名勝になっていて、さすがは昭和の豪邸の雰囲気を今に伝えています。
こちらは洋館から見た洋風庭園
洋風庭園の西隣続きにある和風庭園。同じ敷地にあるとは思えない位雰囲気が違います。
阪神大震災で全壊し無くなった和室棟には見事な茶室もあったそうで、和室が残っていたら又雰囲気が違っていたかも知れません。



この乾邸は、この御影に建てられた邸宅の中では最後の方に建った建物でした。
8番が今回見学した乾邸。
また、これだけの豪邸(敷地面積約3870㎡)ですが、御影の豪邸群の中では一番小さいクラスの建て物だったそうです。ひょえ~。
…これらの豪邸も昭和10年の阪神大水害や戦後直ぐの財閥解体などでほとんどが失われ、現在残っているのは
・乾邸
・村山邸(現香雪美術館、建物内部は見学できない)
弘世邸(現レストラン蘇州園
ぐらいです。

神戸市でも「風見鶏の館」など異人館は行ったことある方でも、こういう昭和の豪邸を見た方はかなり少ないのでは。ご興味のある方にはお奨めできますよ~。
但し見学日が春と秋のそれぞれ1週間ずつと非常に限定されている上、事前申し込みが必要です。詳しくは神戸市の公式HPで「乾邸」で検索。


更なるおまけ ご興味のある方だけクリックプリーズ

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秀樹が死んでショック
「YMCA」とかリアルにザ・ベストテンで見ていたんですが…


本題に戻る。

去年のちょうど今頃、神戸市は東灘区の御影という場所にある、戦前の大富豪の豪邸を見学して参りました。
見学が春秋のそれぞれ1週間ずつという超限定、しかも事前応募しておかないといけないと言うことで(更にその応募期間も超限定)、なかなか行けなかったのですが

ようやく申し込むことができて、見学させて頂きました。

神戸市以外の住民の方には「御影」と言っても「?」な人が大半だと思われますが、
戦前は芦屋が足元にも及ばないほどのお屋敷町、いや豪邸の町でした。
以前拙ブログでもネタにした久邇宮家とも縁のある弘世家の邸宅もここにありました。
…それらの豪邸も、戦後のGHQによる財閥解体や、壮絶な財産税、相続税などにより、現在殆ど消滅していますが。
その中でわずかに残り、そして(たまにではありますが)見学できる唯一の邸宅が、今回訪問した「旧乾邸」です。

戦前の大富豪の豪邸や建築にご興味のある方は「つづきはこちら」ボタンをクリックどうぞ。



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偶然面白いニュースをネットで見かけた。
しかも地元ニュースじゃーん。
春日大社にも関係あるかも知れないから読んでみよう。

※気になる方は「つづきはこちら」をクリックプリーズ



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速報版はこちら
関連ネタはこちら



「近日中に詳細版を」と思いながら、何と4年も経ってた_| ̄|○

と言う事で、タイトルにあるとおり20年に1回しか見られない春日大社の本殿の内陣を見学して参りました。
一言で言うと、余りのカオス感に頭がクラクラヾ(^^;)さすがカオスな一族藤原氏の氏神なだけあるわなんて言う訳の分からない感想を持ったのですが(^^;)
ただ、みなさんも大体予想はされるように、写真撮影禁止!_| ̄|○
今回は神社から配布されました絵地図を元に紹介させて頂きます。

写真をクリックしてもらうと拡大されるので、それを見ながら説明読むと分かりやすいと思います。

ご興味のある方は「つづきはこちら」をクリック

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