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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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秀樹が死んでショック
「YMCA」とかリアルにザ・ベストテンで見ていたんですが…


本題に戻る。

去年のちょうど今頃、神戸市は東灘区の御影という場所にある、戦前の大富豪の豪邸を見学して参りました。
見学が春秋のそれぞれ1週間ずつという超限定、しかも事前応募しておかないといけないと言うことで(更にその応募期間も超限定)、なかなか行けなかったのですが

ようやく申し込むことができて、見学させて頂きました。

神戸市以外の住民の方には「御影」と言っても「?」な人が大半だと思われますが、
戦前は芦屋が足元にも及ばないほどのお屋敷町、いや豪邸の町でした。
以前拙ブログでもネタにした久邇宮家とも縁のある弘世家の邸宅もここにありました。
…それらの豪邸も、戦後のGHQによる財閥解体や、壮絶な財産税、相続税などにより、現在殆ど消滅していますが。
その中でわずかに残り、そして(たまにではありますが)見学できる唯一の邸宅が、今回訪問した「旧乾邸」です。

戦前の大富豪の豪邸や建築にご興味のある方は「つづきはこちら」ボタンをクリックどうぞ。



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乾家は、元々酒造業を営んでいた物の、日露戦争のころに海運業に転じ、一財を成した一族でした。海運というのがいかにも神戸らしいですね。海運業に転じてからの2代目当主・新治はいわゆるハイカラ趣味の人で、昭和7年(1932年)に広野ゴルフ倶楽部の発起人ともなります。
※広野ゴルフ場は現在でも「最もラウンドするのが難しい」と言われる名門コースのようで、何と駅名にまでなっています。
この広野ゴルフ倶楽部のクラブハウスを設計したのが渡辺節という設計家でした。「乾邸」パンフレットでは
当時乾新治氏と渡辺節氏は近くに住んでいたことから、新治氏が(クラブハウス建設の)仲介の労をとったことが推測されます。旧乾家住宅は昭和10年頃着工であることを考えると、クラブハウスが縁となり自宅の設計までも依頼するに至ったのではないかと思われます。
と推察しています。
渡辺節は明治17年東京生まれ、明治41年東京帝国大学工科大学建築学科卒、その後鉄道院(後国鉄→現JR)の建築技師を経て独立、関西を中心にオフィスビルの建築で有名でした。どちらかというと弟子の一人に村野藤吾がいるというほうが有名だろうか。

こうして昭和10年(1935年)頃に着工、11年(1936年)頃に完成したのがこの乾邸です。



※乾邸平面図(2018/5/24追記)

では中に入ってみましょう。
車寄せ 現在の一戸建ての平面ぐらいある位広いヾ(^^;)

車寄せの天井はこんな感じ 細工が細かいです

車寄せと玄関の間にある壁 昭和初期らしいモダンな細工です

ここの次が玄関。最も流石の豪邸、この玄関がいわゆる「お客さん用」で、他に通常の玄関、更に使用人用の勝手口(脇玄関)と玄関だけでも3つもありました。戸締まりが大変そうじゃヾ(^^;)
玄関ホールの吹き抜け。うーむいかにも豪邸。ドラマに出そう。
※実際にドラマの撮影でよく使われているそうな。最近では朝の連ドラ『べっぴんさん』(2016年)など
2Fから見下ろした玄関ホール
床に敷いてあるのはタイルではなく、いわゆるリノリューム。昭和初期では最新の建材でした。

この玄関ホールを入って左手が、いわゆる「応接室」になります。今の家では応接室なんてあるところの方が珍しいでしょうね…
ちなみにこの応接室(ゲストルーム)、この乾邸で一番広いお部屋でした。しかも2階まで吹き抜け。現在は見学終了後にここでお茶出来ます(別途料金が必要)。
そのゲストルームを見下ろすような小窓が…2Fのプライベートルームから客をチェックしていたそうですガクブル 嫌いな客だったら放置プレイと言うこともあったのだろうか…
その2Fから直接ゲストルームに降りてくる階段(現在は使用禁止)
ちなみにこの乾邸、階段もこの階段の他に玄関ホールから上がる客用、使用人用と3つ有りました。掃除が大変そうですヾ(^^;)
豪邸と言えばつきものの暖炉。上にかかっている小磯良平の絵は、残念ながら当時からの備品ではなくcopyらしい…。
その応接室の北東隅にある書斎スペース

この応接室のすぐ西隣にあるのが食堂。げ、写真撮ってない(○。○)
現在はテーブルなどの調度品は残ってないのですが、ドアの横に当時の時のままのブザーが残っています。現在でも実際に音が鳴るというのがビックリ。
もともとは使用人を呼び出すための物ですが、昭和初期では最新式のホーム電化(^^;)だったのでしょうね。

その更に西隣に和室がありました。この乾邸の1Fでは唯一の和室です。
実は元々乾邸には別棟として和室棟があったのですが、1995年の阪神大震災で全壊、再建されることなく解体されてしまいました…。和室が少ないのはこれが理由かと。
なお、この和室は「夫人室」とされていました。
この和室ですが、回り廊下(広縁)の代わりに大きな板間で囲まれているという不思議な空間。 洋館の中に無理矢理和室スペースを作るための妥協策だったんでしょうね。

  和室横の窓から見えるとっても涼しげなつくばい
建設当時は六甲山系からのわき水が大量に沸いていたとか(現在は残念ながら水道水)


意外に写真が多くて長くなりそうなので、今日はここまで。
次回は「1Fの使用人スペース」の予定です。
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