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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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タイトルそのまんま(^^;)


武士にとって、長男とは大事な家の跡継ぎ。
なので、長男を養子に取られる=他家に奪われる というのはあってはならない事態

…のはずなのですが、
たまにそういう悲劇?を見たりします。
戦国時代で一般的に有名なのは 伊達晴宗(あの政宗のおじいさんです)の長男・岩城親隆 だろう。
何でそうなってしまったかというと、これも有名だと思うが晴宗は自分の妻(岩城久保)を
他家に婚礼に行く途中で強奪して連れてきた(○。○)
という経緯があり、面目をつぶされた久保の両親に「長男が生まれたら岩城家の養子にすること」という条件で許してもらったのであった。

さて、ここで拙HP/ブログのネタである島津氏+家臣団。
長男を養子に取られたという人が…

拍手[1回]


パッと思い浮かんだだけで3例もいたのであった。

(1)新納忠秀の長男→肝付家(肝付兼康)
  肝付家の先代当主・肝付兼幸の母の税所篤弘女の遠縁が新納氏であり、その縁で取られてしまった。
  しかし、新納氏には多数の男子が居るのに、何故兼康を取ったのか謎。ちなみにこの人のお母さんが合志伊勢守女

(2)喜入忠政の長男→永吉島津家(島津忠栄)
  島津豊久が関ヶ原の合戦で戦死した後、豊久の弟・忠直が相続するよう命令があったが、忠直は病気を理由に固辞。そのため忠直の長女の婿養子として迎えられたのが忠栄であった。
  喜入家と永吉島津家は親戚関係はなく、どうして喜入家から迎えられたのかは謎である。

(3)島津忠清(備前守)の長男→新納本家(新納忠影)
  忠清にとっては長男でありかつ唯一の男子。しかし、新納本家の養子とされた。
  忠清は一時本家に敵対行為をしており、そのため存続させられなかったとも思われるが、忠影の妹は世子の生母であるため「無罪放免」、そのまま跡を嗣いでもおかしくないと思われ、何故養子に出されたか不思議である。
  ちなみに新納本家は島津氏と伊東氏の争いが活発化したときに巻き込まれて没落、本来の当主が病弱のために隠居させられ、その後は島津忠長の次男・久元が一時嗣いでいたが、忠長の長男・忠倍が早世したために呼び戻され、空席となっていた。
 ※以前の検討はこちら
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一般的に有名
やはり立花宗茂の知名度は、九州AND戦国ファンだけか(汗)

島津家中で三例もあるとはビックリです。
忠恒が何か企んだようにしか見えないのは、
本人の類稀な人徳の賜物ですね(^ ^)
時乃栞 2012/08/16(Thu)15:22:16 編集
忘れてた
時乃栞様コメントありがとうございます。

>立花宗茂
…うっかり(ヲイ)忘れてました。立花(戸次)道雪が無理矢理奪っていったんでしたっけ。

「本藩人物誌」を読んでいると、他にも長男を取られた例があるようです。本家の跡継ぎになるというならともかく、全く別の家に取られた例もあるわけで…。
一番最初の例に出した合志伊勢守女なんか踏んだり蹴ったりだったんじゃないでしょうか。自分はよそから強奪されて、やっと生んだ長男を取られてしまうなんて。しかも、肝付本家は落ち目の家でしたしね。

>忠恒が何か企んだ
上記であげた例(3)は確実にそうだと思います。

※補足
この記事は、前回の「考え過ぎかな」http://sheemandzu.blog.shinobi.jp/Entry/414/ 関連で出してみました。
ばんない 2012/08/16(Thu)22:33:58 編集
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