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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
拙ブログ関連ネタ   

別件を検索していたら、こんな貴重な証言を発見。実にありがとうございます<(_ _)>
HPが無くなったら悲しいので引用して保管。

淡水研の山川健重所長、島津忠秀企連室長、東水研の日笠七郎所長と私の四人は「嘆きの会」と称して、西新宿に出来たばかりの最初の高層ビルのホテルのラウンジで「水研の在り方」について「ごまめの歯ぎしり」的な論議して居ました。今では懐かしい想い出ですけれども……。

因みにこの島津忠秀氏は鹿児島の島津家第30代当主島津忠重のご息子で、香淳皇后の従姉弟であり、元夫人の昭子さんは近衛文麿の長女と云う家柄の人でし た。余計な話かも知れませんが、私の知る限り水産研究者で皇族(昭和天皇の後腮類、秋篠宮の鯊魚類など)以外では最も高位の人だったと思います。

私が農林省水産試験場に入って暫くした頃、天草から上京して本場の同氏の部屋を訪ねた時、冬だったので厚手のオーバーコートを羽織っていましたが、同氏は実に気さくに背後に回って脱ぐのを手伝って頂いたのを想い出します。

郷里の鹿児島駅に着くと県知事や市長が駅頭に出迎えに出たと云う話でした。近衛文麿の長女だった奥さんが毎日お昼になると「絹のハンカチに包んだ弁当箱を 車で持参された」などの逸話を聞いたことがある。戦後鹿児島大学が設立される準備期、「初代学長に・・・」と地元から懇望されたが「私の柄ではない」と固 辞されたとも聞きました。
http://home.att.ne.jp/grape/shindo/kaisouroku.htm
「絹のハンカチがお弁当包みのお昼」ですか…我が家なんか100均のバンダナヾ(--;)
なんだか優雅ですなぁ。とともに、結婚当初はそんなに不仲でもなかったのかもとも思いました。

本日、機会があって
『しらゆき 島津忠重・伊楚子回想録』(島津出版会)
『炉辺南国記』(鹿児島史談会、忠重が南日本新聞に連載していた回想録を編集した物)
を、わざわざ隣県の図書館までいって読んで参りました。何しろ禁帯出だったので。正直言って、開館時間では読み切れないほど内容豊富でした。古本屋で入手するしかないかなぁ。
これらの本では見事なくらいに近衛昭子(後「野口昭子」)の話を消去していますが(当たり前か)、『しらゆき』に載っていた島津経子(忠重長女)の回想録によると、忠秀・昭子夫妻の間に生まれた長男・忠敬が夭折した後に舅の忠重が変(失礼)になったようで、どうもこの辺が夫妻の不和の一因になったような気がしてなりません…。

ところでこの禁帯出の『しらゆき』、見た感じ新品同様、寄贈されてから約20年、どうも私が初めて読んだお客様のようだったんだが(○。○)。ちなみに中表紙に島津忠秀氏の直筆サイン入りでした…この本、永久に禁帯出だろうな_| ̄|○
『炉辺南国記』も今は亡き超有名某教授の蔵書だった物で、たぶん永久に禁帯出っぽい。

ところで『炉辺南国記』はともかくとして、どうして我が居住地の図書館には『しらゆき』寄贈されなかったんだろ。やっぱり長州藩閥首魁の大物が初代知事を務めた県には寄贈する気が起こらなかったんだろうかヾ(--;)

2007/12/6追伸
上記の引用箇所を見つけたときには気が付かなかったのだが、
忠秀の上司らしい「山川健重」氏。
「山川」という苗字と「健」という通字にピンときて、検索したらビンゴだった。検索結果こちら
山川健次郎の子孫だったとはね。
山川健次郎も妹は大山巌夫人(捨松)、子孫は島津家当主の上司…鹿児島との腐れ縁がずるずると(^^;)

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