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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
桐野作人さんのブログのリンク先でたまに拝見させていただいているのだが、こんな面白いお話をされていたらしい。

最近気になっている、関ヶ原以後の豊臣秀頼(とよとみのひでより)の評価。
慶長12(1607)111日、秀頼は右大臣を辞している(公卿補任)。これをどう理解するか。 
笠谷和比古さんは『関ヶ原合戦と大坂の陣』(吉川弘文館、2007年11月)でそれにまったくふれず、豊臣・徳川二重公議体制論を展開されている。 
これに悩んでいたが、桐野さんから魅力的な見解をいただいた。ありがとうございます。基礎歴史講座の受講のみなさん、きっとそのうちご紹介するでしょう。
 

http://siseki-kukan.way-nifty.com/heiankyokyoto/2009/06/post-f68a.html


確かにそうらしい。Google検索結果
でもこれに関しての論考とかはたぶん今のところ無いようである。私が知らないだけかも知れないけど。
しかし、ということは、慶長12年1月11日から死ぬまでは豊臣秀頼は無官ということか?(但し位は返上してないようだから、死ぬまで「正二位」という高位ではあったはず)

しかし「魅力的な論考」ってどんな内容だったんだろ?(゜_。)?(。_゜)? おそらく今まで論考がないところから見て秘伝中の秘伝ヾ(^^;)最終兵器の一つ(をい)だろうから、ブログとかで触れられることはないんだろうなぁ。
中村氏の講座でもいつネタになるか分からないし。
…あー、でも気になるヾ(^^;)

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六摂家
こんばんは。

たまたま目に付いたもので。
大したことは話していません。
正確にいうと、秀頼は右大臣を辞めたので、関白の道を断たれたという説があるがどうなのかということです。

豊臣家は摂関家の家柄だから、一般論として摂政関白になれること。
右大臣を辞めたら関白になれないという先例などないし、先例をいうなら、左大臣を罷免された近衛信尹が還任して関白になっている事例があるわけで、しかも信尹は勅勘まで喰らっていますから、こちらのほうがよほど異例です。

秀頼が関白になれるかなれないかは、結局、力関係によります。信尹が関白になれたのも秀吉が死んだからです。

なお、秀頼が右大臣を辞めたのは、前右大臣の家康の官位を超えるのを避けるためだと思います。
二人の官位では、家康>秀頼という不文律があったのでしょう。
となると、関白になれない家康(摂関家に非ず)が健在なかぎり、秀頼は関白にはなれませんが、家康が死ぬとその限りではないということだと思います。

せいぜいそんな程度ですから、最終兵器どころか大した話ではないでしょう?
桐野 2009/06/12(Fri)03:35:43 編集
無題
こんにちは。わざわざのお越しありがとうございます。「大したこと」とおっしゃってますが、実に興味深いお話です。重ね重ねありがとうございました。

>秀頼は右大臣を辞めたので、関白の道を断たれたという説がある
そんな説があるんですか。それはそんなことはないですよね。それ以前の例から考えても。

>なお、秀頼が右大臣を辞めたのは、前右大臣の家康の官位を超えるのを避けるためだと思います。
正二位の上となると、従一位になってしまうわけですが、 慶長12年の除目で秀頼が従一位になってしまう可能性というのはあったんでしょうか?ちなみに家康は慶長7年で従一位に上がってますね。
ばんない 2009/06/13(Sat)12:41:14 編集
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