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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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  • 元親記:タイトルそのまま、長宗我部元親の攻防を記した軍記物。著者は元家臣の高島正重(後山内氏家臣)。元親33回忌に当たる寛永8年(1631年)に記念して書かれた物。
  • 長元物語:これも長宗我部元親に関する覚え書き。著者は元家臣の立石正賀(後熊本藩細川氏家臣)。万治2年頃の成立。
  • 細川家記(細川三好君臣阿波軍記):阿波守護・細川家の大名としての滅亡までを記した家記。細川氏の末裔に伝わった物。ちなみに当文書に寄れば、末裔は帰農したらしい。明治時代までは存続されていたようだが…。やはり敵であった長宗我部元親に関しては悪口がすごい(爆)。後、平島公方のこともちょこっと。
  • 三好記:タイトルそのまま。三好氏の阿波細川氏放逐から長宗我部元親による三好氏の没落までを描く。著者は阿波国の医師・福長玄清で、祖父・父が三好氏家臣だったという。巻頭に三好氏と阿波細川氏の系図付き。
  • 昔阿波物語:タイトルそのまま。阿波国の戦国時代の攻防についての覚え書き。著者は道知(元十河存保家臣という)。成立は慶長11年頃か。
  • 十河物語:十河存保の軍記物…の筈なのだが、後半は何故か島津氏の記述に重きが置かれているというわけわかめな文書。著者も成立年代も不明。
  • 澄水記:伊予国の国人で長宗我部元親の同盟者であった新居軍高峠城主・石川氏と金子城+高尾城主・金子氏の、豊臣秀吉の四国侵攻における戦いをその落城まで書いた軍記物。著者は地元西条市の宝蓮寺の住職・尊清で、天和4年に高峠城主・石川通清の100回忌を記念して書いた物という。
  • 南海通記:こちら参照。伊予国に関する記述のみが所収されている。
長宗我部氏は島津氏と似たような経過をたどった大名なので興味深く拝読しました。途中までは徳川家康とも連絡取り合ったりとか、うまく中央政権の情勢にも通じていたようなんだけど…何が長宗我部の運命を代えてしまったのか。やはり戸次川の戦いかな…。

また、秀吉に降伏してからは記述が貧弱秀吉への奉公を過度に誉めることでなんとか文章を持たそうとしている辺り、島津側の史料とも激似していて苦笑しました。戦に勝って領土拡大と、秀吉に鯨献上が同列に扱われているのは何とも妙な感じ。

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