拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
NHKの「塚原卜伝」の予告見てたら、東郷重位をネタにしたら、朝鮮出兵も琉球出兵も絡まずにお安くリーズナブルにヾ(^^;)戦国島津が出来るのではないか、と、ふと思いついた。
だがしかし、島津義久や忠恒は出てきても義弘がおそらく空気…ヾ(--;)
話は変わって
桐野作人氏のブログで「島津忠清の起請文」ネタを取り上げていたのだが
実は私もこの「島津家文書」の起請文、非常に気になっていたのですよ。なのに何で学者先生の皆様はネタにしないのかな?(゜_。)?(。_゜)? って。
実はこのネタに関してはかなり昔に他の方のHP(閉鎖済)の掲示板で一度話題になったことがあったのですが、
この時の島津家は
・薩摩国領主+豊臣政権から認められた島津家当主:島津義弘
・大隅国領主:島津義久
という状態になっており、島津忠恒は義久の婿養子と言うことになっていた
…つまり、義弘の領地(薩摩国)と島津家当主権は忠恒ではなく忠清に渡る可能性もあったのではないか?
という説を書かれていた方がいて、そいう考え方もありかー、と思ったことを思い出しました。
そういや、文禄検地前には義久・義弘・久保がそれぞれ領地をもらっていたのですが、忠恒は独自の領地(蔵入り地)を持ってないような(間違ってたら指摘お待ちしてます)。
関連ネタ こちら
もう一人の忠清さんネタは この辺とかこの辺とか
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