拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
「薩藩旧記雑録」では文禄元年の項に編集されている物です。
が、実際には年紀などは書かれて折らず、内容も何となく謎です。
後半2-874の2文書は5-7-5-7(実際は8)-7(実際は9)-5-7-5 になってますので、おそらく連歌の途中を抜粋した物ではないかと思います。この文書は頭書き?も和歌っぽいというか、何か謎めいています。
が、実際には年紀などは書かれて折らず、内容も何となく謎です。
前半2-874の1文書は署名が「義久」になっているので、おそらく作歌時期は天正15年より前なのではないかと思います。「古御文書三番箱中」
義久
時しもあれけふ又夏に咲かへる池の藤なミなミにやハ見ん
近比之珍重なる御作意、殊勝に存候、以口上承候趣も能〃分別申候へハ、猶以まさり候<与欠>、夏又春尤存候、
「以上一通」
(「薩藩旧記雑録 後編」2-874の1)
観音薬師 上のおしやかに はなるゝと
やゝこや 屋を見す てゝは えゆくさいの
竜伯
松の葉は夕日なからの時雨哉
「友トモ」
あらはるゝこゑや波間のさよ千鳥
神かきの雪やしらゆふ風もなし
「右一通」
(「薩藩旧記雑録 後編」2-874の2)
後半2-874の2文書は5-7-5-7(実際は8)-7(実際は9)-5-7-5 になってますので、おそらく連歌の途中を抜粋した物ではないかと思います。この文書は頭書き?も和歌っぽいというか、何か謎めいています。
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