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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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先日NHKBSプレミアムで放送された「英雄たちの選択 加藤清正 熊本築城」を拝見したのだが、それにVTR出演されていた八代市立博物館学芸員の林千寿氏が
「加藤清正は独自の構想を持っていたから、関ヶ原の合戦の時に本戦に参加しなかった、それは豊臣秀頼のために九州に独自の勢力を築こうとしたから 島津家にも徳川と和平を結ばせようとしているのはその表れ」
と言う事を言ってられたのだが、こういう書状を知っていると「え~ご冗談を」ヾ(^^;)としか思えないです…
というか、清正が島津家と徳川家の間を取り持ったという証拠or論文を誰か御教示御願い致しまする。

それでは本日のネタにまいる。


戦前の神戸のお大尽の御殿を一瞬の差?で見逃したのが余りにも悔しくて、
前から見に行きたかったんだけどなかなか見に行けなかった「ここ」をリベンジついでに見に行くことを決意する。

続きは下の「つづきはこちら」ボタンをクリック。

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2016年6月某日。
梅雨の合間だが天気は晴時々曇り。と言うかサウナみたいで見学にはかなり最悪のコンディションである。でも明日は歯医者の予約があるし、その後もいろいろ(以下略)やっぱり行くことにする。

まずは三宮駅から地下鉄に乗り、裏六甲の谷上という駅まで行くことに。
ところが!ここで驚愕の?事実発覚。谷上に行く電車の本数が一時間に4本になってる_| ̄|○
6年ぐらい前に使ったときには一時間6本ぐらいあったと思うんだが…
しかも、着いたときにはちょうど谷上行きが行った直後だったらしく⊂(。Д。⊂⌒`つその後15分「ぼー」状態(^^;)やっと来た電車に乗って谷上駅に着いた
はいいが、今度は日本最古の○○方面行きバス停のある最寄り駅「箕谷」方面行きがまた来ない…(T∀T)

結局箕谷駅にやっと着いたときには、1時間に1本しかない「日本最古の○○」方面行きバスは行った直後だった_| ̄|○
しかたないので、次のバスまで1時間、駅近くのうどん屋さんで早めのお昼。と言うか、ここの駅、コンビニも近くにないんだよ…_(。_゜)/よろずやみたいなのは2軒ありましたけど。三宮から電車でスムーズに行けば20分弱(乗り継ぎで20分ロスしたが_| ̄|○)の場所でこの状態はちょっとビックリ。ただこれはどうも駅前の方が寂れてしまったからの様で、5分ほど歩いたところにあるバス通りには結構店がありました。
後、この箕谷駅について初めて知った驚愕の?事実
 三宮からこの駅まで直通のバスが出ている(しかもそっちの方が電車で来るより早くて安くて本数も多い⊂(。Д。⊂⌒`つ)
…そりゃ、電車や駅の方が寂れてもしまうわけですよ…と実感…。

おうどん食べ終わったところでバスもきそうなので、仕切り直して出発。
「日本最古の○○行き」こと神戸市バス111系統です。
山奥で1時間で1本しかないと言うことからマイクロバスみたいなのを想像していたら、普通に市バスだったので拍子抜けした。ただし乗客は私一人だけだったが_(。_゜)/
バスに乗ったらわずか15分ほどで終点「衝原(つくはら)」に到着。
「六甲山の裏」ということで、アップダウンの激しい山中を想像されるかたが多いでしょうが、これが箕谷駅からもいたって平坦なんで、自転車好きな人なら折り畳み自転車使うのが意外にいいかな、と思いました。バスの本数も少ないしヾ(^^;)
あと、そこそこ鄙びてはいますが、 以前ここに行って「政令都市の超絶な秘境」を体感していた私にとってはこれでも都会の部類で拍子抜け(ヲイ)
このバス停のほぼ真裏にめざす「日本最古の○○」があります。



ではどうぞ!「日本最古の 民家」箱木千年家(文化財登録名「箱木家住宅」)です。

実際古い部分というのは中の柱だけらしいですが_(。_゜)/それでも確実に室町中期ぐらいまでは下がれる様なんで、やはりすごいです。平成の一般住宅なんて500年も残らないだろうな…
もっとすごいのはこの家に1977年まで実際に住んでいたと言う事。悶絶…。
その後、この近くの川にダムを造ることになり、この家は水没することが確定したので現在の場所に移築されました。ただし、現在も管理は住人の子孫の方がされています。
また移築する際に室町当時の状態になるべく戻すように復元されました。

しかしこの外見。 「日本昔話」に出てくるお百姓さんの家を通り越してまるで竪穴住居ヾ(^^;)
これでも室町当時ではかなりハイソサイティの邸宅(!)だったそうなんですから驚きです。

横に立っている蔵の中が資料館っぽい内容になっています。
発掘時の様子とか
復元前の模型とか  展示してあります。
後もう少ししたら文化財になりそうな物体ヾ(^^;)→  もありました。

では、本日のメイン 日本最古の民家の母屋の中に入りましょう!
入り口はこんな感じ。高さは140cmぐらい?小学生以下じゃない限り頭は確実につっかえる。激突注意。
中に入るとほぼ真っ暗。外は快晴なんですが。
天井が高いです。外から見た時とちょっと印象が違う。
先程の入り口の向かってすぐ右。 ここが台所。
排水が家の外に出るようになっているのがその当時のハイソサエティ?
流しのすぐ後におくどさん(竈)があります。
その隣が馬小屋になっていました。今は昔使っていた道具が雑多に積まれてワケワカメ状態。

台所+馬小屋+玄関の奥が居室になります。 畳は敷いてません。※復元時に室町時代の状態に戻しました。
説明によると、こういう床のある家がハイソサエティの証しだったようです。一般庶民は土間にゴザだったとか。

向かって右側のお部屋。窓が無くて昼なのに真っ暗。ここが寝室でした。
広さは畳4畳半ぐらい(京間)。泥棒に入られないよう、戸が頑丈に閉まる仕組みになってます。が、夏は暑そう…
なお説明によると、ここの戸締まりは代々女性の仕事だったとか。

向かって左側のお部屋。南側に面していて、囲炉裏が切ってあります。
こういうお部屋は今でも田舎の民家で残っているところも多いかと。
外から見るとこんな感じ。懐かし縁側付きです。


次に離れの棟 に行きます。
移築直前まで母屋(写真右側)と一つ屋根でつながっていました。解体するときまで本来は別々の建て物とは思われてなかったそうです。
こっちは江戸時代中期の建て物で、
畳敷きで床の間がある など今でもあるタイプの間取りになってます。

なお、箱木家は戦国時代は三木合戦で有名なあの別所氏に属していたらしく、
その時の当主が来ていたらしいとか言う鎧→ が展示されていました。
かなりぼろぼろ…
系図も一部展示されていました。『神戸市史』とか見たらこの辺の史料載っているんだろうか?

…と言うわけで、乗ってきたバスがそのまま箕谷駅までUターンするのに乗らないと次のバスは1時間後になってしまうので⊂(。Д。⊂⌒`つ、見学時間は20分で終了。ダッシュでバス停まで戻ってぎりぎりセーフでした。
なお、受付の建て物では土産物も販売されていたのですが、それが何故か全部信楽焼のたぬき(○。○)…なぜに…※余りにシュールな光景だったので恐ろしくて写真は写してません。あしからず。



関連ネタ? 江戸時代の島津家の家老でもこのレベルなんだぜ


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