拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
島津といえば一番有名な殿様は、幕末の11代藩主・斉彬(なりあきら)だろう。もっともゲームヲタには義弘の方が有名かもしれないが。
中公新書『幕末の薩摩』では、調所広郷を持ち上げる(?)必要があるため、こき下ろされ過ぎ?(そして同じ著者による『国史大辞典』の「島津斉彬」の解説も他の島津氏関係者のそれと比べて、幕末の立て役者の一人とは思えないほどこき下ろされ気味である)の斉彬だが、同時代人による評価はやはりかなり高かったようだ。
一方、この松平春嶽をして呆れさせているのが、最後の将軍の父・水戸斉昭(なりあきら、もっとも現在では「なりあき」で通っている)である。
斉彬の「英雄」に対して斉昭の「○○家」って何なんですか、春嶽さんヾ(^^;)。当然「不二家」ではないしなあヾ(--;)
※ちなみに日記原文も「○○家」となっているらしい。よほど書きにくい話だったようだ。
これは、ネットにもよく出ている有名な話なのだが、水戸斉昭が兄・斉修の正室であった峯姫(11代エロ将軍・徳川家斉の娘)に付いていた上臈(高級女中)・唐橋局をレイプして側室にしてしまったという…(○。○)
上臈というのがどういう立場の女性かというのは、私のこのブログの記事を参照されたい。まだ島津重豪は自分の義理の祖母の上臈だからうやむやにもできただろうが、
この唐橋局は将軍の娘の上臈で、しかも唐橋局の前職は将軍付き上臈であった。…コワイ物知らずなのか、単なるエロのためには後先が分からなくなるスケベオヤジなだけなのか、斉昭…ヾ(--;)
ちなみに、この斉昭と斉彬(ややこしい…)が次期将軍に画策した一橋慶喜(斉昭の息子)は、主に大奥の猛反対で将軍の座を逃したのは有名な話だが、この大奥の反対の理由というのが
「斉昭の女たらし」。
これだったというのだから、まさに斉昭の素行の悪さは斉彬の足を引っ張り、果ては幕末の幕府を傾ける間接的原因になったのである。
おまけ
上記引用元によると、斉昭は若い男の子にも手を出していたらしい…(○。○)それが上記引用文に出てきた「寅寿」なる少年である。
中公新書『幕末の薩摩』では、調所広郷を持ち上げる(?)必要があるため、こき下ろされ過ぎ?(そして同じ著者による『国史大辞典』の「島津斉彬」の解説も他の島津氏関係者のそれと比べて、幕末の立て役者の一人とは思えないほどこき下ろされ気味である)の斉彬だが、同時代人による評価はやはりかなり高かったようだ。
斉彬公は、性質温恭忠順、賢明にして大度有所、水府老公・容堂如きとは同日に論じ難し。天下の英明なるは、実は近世最第一なるへし。尊王は勿論、幕府にもよく恭順をつくし、一家の事に困却しておれり。乍併、数年朋友として交れり。然れ共怒りたる顔色を見る事なし。実に英雄と称すへし。
( 『松平春嶽全集(1)』所収、『逸事史補』より)
http://www9.ocn.ne.jp/~picadely/gass/siryou/itujisiho.htm
一方、この松平春嶽をして呆れさせているのが、最後の将軍の父・水戸斉昭(なりあきら、もっとも現在では「なりあき」で通っている)である。
且又、烈公は元来○○家にして、妾数人を置き、其上峯壽院公主(家斉公の女烈公の養母)之上臈唐橋と密通せられし事あり。かく迄の○○家故、寅壽を愛寵し、屡○○を行はれしよし(真疑難保証)。
斉彬の「英雄」に対して斉昭の「○○家」って何なんですか、春嶽さんヾ(^^;)。当然「不二家」ではないしなあヾ(--;)
※ちなみに日記原文も「○○家」となっているらしい。よほど書きにくい話だったようだ。
これは、ネットにもよく出ている有名な話なのだが、水戸斉昭が兄・斉修の正室であった峯姫(11代
上臈というのがどういう立場の女性かというのは、私のこのブログの記事を参照されたい。まだ島津重豪は自分の義理の祖母の上臈だからうやむやにもできただろうが、
この唐橋局は将軍の娘の上臈で、しかも唐橋局の前職は将軍付き上臈であった。…コワイ物知らずなのか、単なるエロのためには後先が分からなくなるスケベオヤジなだけなのか、斉昭…ヾ(--;)
ちなみに、この斉昭と斉彬(ややこしい…)が次期将軍に画策した一橋慶喜(斉昭の息子)は、主に大奥の猛反対で将軍の座を逃したのは有名な話だが、この大奥の反対の理由というのが
「斉昭の女たらし」。
これだったというのだから、まさに斉昭の素行の悪さは斉彬の足を引っ張り、果ては幕末の幕府を傾ける間接的原因になったのである。
おまけ
上記引用元によると、斉昭は若い男の子にも手を出していたらしい…(○。○)それが上記引用文に出てきた「寅寿」なる少年である。
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