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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
タイトル見て、一発で分かったあなたはこのブログの中毒患者ヾ(^^;)
拙ブログで何回もネタにした垂水島津家2代当主・島津信久(久信)の息子です。
詳細な経過は書きませんが、本家の島津忠恒(家久)の謀略?により父の後を継げずに分家させられ「新城島津家」初代当主となります。
が、寛永17年、義兄の島津光久の命で東上した際、京都で突如逐電、その後発見されて鹿児島に連れ戻され、長年の幽閉後、非業の死を遂げた人です。

この人の名乗りですが、タイトルの通り 島津大和守久章 となってます。
ちなみに、父の信久(久信)は島津相模守信久(久信)でした。
ついでに祖父の彰久は守右衛門尉、これは字なのか官名なのか判別しがたい。
おまけに曾祖父の以久は右馬頭でした。これは以久のもう一つの子孫・佐土原島津家当主の名乗りとなって残っていきます。

さて、これを見たら分かるように、久章の名乗りはご先祖の誰ともつながっていません。
では、島津家中の他の誰かで、大和守を名乗った人は居ないかと探してみたら…


いました。
伊集院大和守忠朗
伊集院大和守忠倉
この2人の名前見てピンときたあなたは、このブログにかなり毒されてますヾ(^^;)
この人達は、あの伊集院忠棟の祖父・父に当たるのです。

伊集院忠棟一族(ただし直系のみ)は名前を言うのもはばかられる程、忌み嫌われていくのですが、忠朗、忠倉はさすがに島津忠良、貴久親子に仕えた重臣だったからでしょう、菩提寺も破却されずに残ったようです※
ただし、活躍の割に忠棟の“悪行”のおかげで日陰の扱いになったのは言うまでもありません。
※(ただし、廃仏毀釈で破壊され、現在は忠朗、忠倉の墓も行方不明になっているようです)

こういう人の名乗りを久章はもらったのです。
ちょっと悪意がこもっていると思いませんか?



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