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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
1/16にお亡くなりに為られたそうです。享年91歳。
40代以上の人にはその名前に記憶のある人が多いのではないでしょうか。
彼は太平洋戦争からの奇跡の生還者第2号でした。
…つまり、第2号と言うことはその前に第1号がいたと言うことで、その人が横井庄一(故人)なわけです。

横井氏も小野田氏も、終戦から30年近くの歳月を、当然電気ガス水道のインフラもなく、それどころか食料調達も困難かつ蚊とかetc害虫がわんさかいる中を、-更に仲間達が次々と亡くなる中-壮絶なバトルを経て助かったという…まあ陳腐なまとめをするとこういう事になります。

ところが。

小野田氏の"戦後"は幸せな物にはなりませんでした。
一兵卒だった横井氏に対し、将校、しかもあの悪名高い陸軍中野学校にも籍を置いていたという経歴があった小野田氏に対しては帰国後一変して非難が集中、すさまじいバッシングに耐えられなくなった小野田氏は、結局石もて終われるようにブラジルに移住せざるを得なくなったのでした…。
いくつかTVニュースやネットでのニュースを見た限りですが、この経緯について触れた物は一本もありませんでした。というより、触れられなかったんでしょうね。バッシングの片棒を担いでいたのはマスコミだったのですから。

その後、ブラジルに移住した小野田氏のことは余り話題になることはなかったのですが、それがある頃から急に本人の方から積極的に表に出られるようになったように思います。おそらく昭和から平成に年号が変わった辺りからでしょうか。小野田氏の発言を見てみると、そこには戦後40年以上が経ってかつてのことをすっかり忘れてしまった日本人に関して今後に対する激しい危機感があったのではないかと思います。また逆に、日本の方でも世代交代が進んで戦争を知らない人が増えたことで、かえって小野田氏を受け入れられる余地が産まれたのではないかと思います。

ニュースを見ると、なんと御年90歳でもブラジルと日本を往復されていたとのこと。驚嘆すべき体力です。
こうして貴重な体験者がまたあの世に旅立たれました。



さて本日は阪神大震災から19年目を迎えます。あの日の揺れとか鮮明に覚えている私としては、本当に19年も経ったのかという驚きが先に立ちます。そして20代前半から下の人はあの地震の怖さを全く知らないという…
地元のローカルニュースでは「教訓の風化」を心配する報道が多くなっていますが、実経験がない人が増えると、風化をさせないのはかなり難しいのではとも日々の生活の中で感じます。



今田さんをネタにしてなかったら、小野田氏のこともこのように記事にすることはなかったでしょう。ここにアドレスは敢えて書きませんが、ある今田さんの部下が小野田氏とも親しくされていたことが紹介されていました。その方もご健在であれば90歳ですが…

記憶の風化を考えつつ、小野田氏と阪神大震災6434人の犠牲者の皆様の冥福を祈ります。

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