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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
今回取り上げるのは、石原莞爾が入れ込んで直属部下にした物の、蘆構橋事件後に真っ向から対立、莞爾を事実上中央から追い出してしまった、豪腕さんの回想録です。
…A級戦犯の一人といった方が通りがよいですかね…

実は今回入手した芙蓉書房版(旧版)のほうは、合間合間に部下の回想録や証言が挟まっています。めっちゃ読みにくい。最近 武藤の回想録と妻の後書きのみで構成された文庫本(中公文庫版)が出たようですので、武藤の肉声だけを聞きたい方はこちらの方をお奨めします。安いし(^^;)

トータルでざっと見た感想ですが「非常に頭の良かった方なんだな」と言うのが最初の印象です。
特に最後の方に掲載された「巣鴨日記」は当時の日本の世相を醒めた目で観察した記録でもありますが、「あんたは予言者か」と言う位ズバズバとその後の日本の行方を当てています。…そして死刑判決後、家族に宛てた日記は涙無くしては読めない。
次に感じた印象は「相手の感情を思いやらずにストレートに出てしまう」という欠点です。どうも本人も自覚していたようですが(部下に「思わずきついことを言うこともあるが」と言っていたらしい)最後まで治らんかったようです。持って生まれた性格だったのかな。私的にはこれが原因となって武藤を最悪の運命に持って行ったように感じました。

ではまいる。
これも長い本なので、要点を箇条書きで





(回想録)
・母親の熱烈な要望で陸軍軍人になる。父親はむしろ大反対だった(p.3~4)
・大正9年頃は粛軍ブームで、肩身の狭い思いをして過ごす。軍を辞めようかとまで思い詰めるが、母親が軍人フェチだったので思い止まった(p.7)
・その後、ドイツに留学。陸軍軍人としては出世コースに乗ったわけです。第一次世界大戦後の混乱の欧州を見る内、「次はアメリカじゃないか?」と考え、留学からの帰国の際はアメリカ経由で帰っています。超がつくアメリカ嫌い(と言うか英米嫌いだったかも)で、アメリカ旅行も「俺がアメリカに行くときはアメリカに勝ったときさ」と断り相手を呆れさせ、シベリア鉄道経由で帰国した石原莞爾とは余りにも見事な対称。でもその後の武藤の運命は(´;ω;`)
・北支那方面参謀副長に就任したが、その間に少将になってしまった…てことは連隊長になり損ねたって事?!(※連隊長は大佐相当のお仕事)…連隊長やりたかったのに(´・ω・`)(p.85) 鈴木貞一に聞かせてやりたいですなヾ(^^;)
・「日支事変は蘆構橋に於いて両軍が衝突したのが直接の発端だが、そもそもは満州事変以降支那にずるずる引きずり込まれて中国の奥地まで事態が拡大したのである。満州事変の発端は支那軍の満鉄爆破にあったとしても、本当の原因は支那の国権回復、失地回復の民族運動と日本の大陸発展の衝突、大和民族と支那民族との民族的抗争だった」(p.91)
・「中国政策の失敗の一因は新民会だと思う。中心人物が満州の協和会崩れで、支那人、とりわけ臨時政府要人から反感大であった」(p.86) 満州の協和会崩れ…最近ご活躍の俳優さんのお祖父様辺りでしょうか(ヲイ)
・更に新民会(+協和会)批判。「熱烈な精神運動を起こすが、その人々の挙措はいわゆる大人の風格無く粗暴驕慢、その説くところは偏狭な日本精神の押し売りであって、理論の透徹無く他を推服する何物もない。さなきあに彼らは日本人お互いに他を排擠して統一を欠く始末であった」(p.89~90)
・軍務局長に就任するも、戦争はいよいよややこしくなっており、日米開戦を避けようとしていろいろ努力したが駄目だった(´・ω・`)昭和17年4月にスマトラ駐留中の近衛師団長に親補された。やれやれ。政治まみれの軍務局長なんてもういや、前線に出たかったの(p.158)
・その後フィリピン第14方面軍参謀長になる。が、戦争の激化で後任者(ビルマにいた久野村桃代)が来ないので引継も出来ない。やっとマニラに行けそうと思ったら「アメリカ軍がレイテ島に上陸するらしい」(○。○)時間も場所も変更して何とか上陸できた物の、昼食後に敵機の来襲を受けて持参した荷物すべてが灰に…(○。○)その後山下奉文からシャツとか下着まで分けて貰う羽目に(p.283) そういや今田もニューギニアでアメリカ軍に荷物灰にされたらしいのだが、田上さんに下着とか…無理だな田上さんは華奢な感じだが今田は恰幅良いしヾ(--;)

(同僚・部下達による回想)
・あの田中新一とは親友だった。田中新一が泥酔して大学生に喧嘩をふっかけたので、武藤と柳勇で無理矢理連れ出して助けたこともあるそうな。ちなみに田中新一は酒癖が悪かったらしく、酔っぱらうと人を「獣!」と呼び捨てる癖があったそうだ(p.40)
・その後無事欧州留学した田中新一を、まるで兄弟でも心配するかのように気遣っていたという。(p.41)それがあんな事に(´;ω;`)
・永田鉄山事件以降、皇道派に反感を持つようになる。公言もしていた。なので、2.26事件の時襲撃目標になっていたのも宜なるかな(p.63)
・ともかく博識家で先が見え、石原莞爾と似たような人物だったが、違いは、武藤の方が押しが強かったこと(p.70)
・石原莞爾は日本の国防計画のため貧弱な国力を増強するためには戦争してはいけないとし、日中戦争不拡大を唱えたが、それに同調する人はごくわずかであり、しかも石原より若年の人が多かった。そのため不拡大勢力は陸軍内では弱かった。一方武藤は陸軍多数派の拡大派であったが、それは関東軍第二課長に任じられたことも影響していると思う。関東軍は東条英機参謀長を初め強硬な拡大派が多かった。(p.97~98)
・参謀本部から転出し中支那方面軍参謀副長(のち北支那方面軍参謀副長)となり、中国の実情を知って「強攻策でいったの間違いだった」と気が付くが時既に遅し(p.100~102)
・武藤の見た松岡洋右。「松岡は協調性がない。あれでは一定の地位に長くとどまれない。彼はトルコかどこかで参事官か何か勤めたのを最後に外務省から消えたが、今にしてその理由が分かった。彼が何を考えているのか俺は結局判らなかった。」(p.247)
・東条英機と武藤章は永田鉄山系列ではあるが、武藤は東条の系列ではなかった。東条人脈は赤松、富永恭次、佐藤賢了、服部卓四郎、辻政信。西浦進は八方美人。(p.257)
・日米和平派の武藤、日米開戦派の田中新一は遂に激突、武藤は「俺は戦争なんか嫌いだ~!」と叫んだらしい…。でも終戦後これで死刑になったのは何故か武藤で田中はおとがめ無し…。
・佐藤賢了『大東亜戦争回顧録』「戦犯裁判」より「個人的私怨を持って被告のうちのある者を罪に落とそうとすると同時に、自己が戦犯になるのをのばれるために、自己の責任を被告に転嫁しようとした検事側の典型的な証人T少将は『武藤、佐藤、岡(海軍軍務局長)の三人をふん縛らせたのは俺だ。この3人は必ず殺してみせる』と豪語してはばからなかったそうである。この男は敗戦後直ちに自分が陸軍省の局長の職にあった肩書きを利用して、誠にいかがわしい暴露記事を書いて敗戦の悲憤に燃える民心に迎合した。しかもその暴露記事を検事に利用されたのか、それを抱えて検事に売り込んだのか知らぬが、検事側に使われて活躍した」とあるが、このT少将というのは一時陸軍省の兵務局長をやり1年9ヶ月で現職から待命になった田中隆吉なのである。
田中隆吉の取り巻きには反武藤の代議士などもおり、また右翼のある有力者も支援者になり、政治活動を隠密に行っていたらしい。その当時陸軍省調査部嘱託で政界にも顔が広かった矢辻一夫を「赤」というレッテルをつけて憲兵に逮捕させようとしたのも田中である。兵務局長は憲兵も所管にあったので、憲兵の司令部に指示をしたのである。(p.441) 武藤章と田中隆吉の関わりはこれだけで何エントリも行けそうなネタ 武藤は先述したように思ったことをストレートにぶつけるタイプで、あの高嶋辰彦の提案書を大勢の面前で「こんなの使えるか!」とびりびりと破いたと言う事もあったらしい(『石原莞爾の悲劇』)仏の?高嶋だから何事もなくて済んだけど、田中隆吉との間ではもっと小さいことで田中の恨みをかっていた可能性も高いのでは無かろうか。

<追記>
以前田中隆吉のGHQ尋問記録を紹介したことがありましたが、その解説で編者の粟屋憲太郎氏が「花谷正を満州事変関係者として出してないのが不思議」と書いていました。最も粟屋氏は「そこまで田中が知らなかったのだろう」としていましたが…
どうも田中隆吉は自分と親しかった花谷をわざと庇った可能性も出て来ました。以前私はこういう話を紹介したのですが、田中隆吉は花谷とは親しい関係だったようなのです。最もこの話を紹介したのが先述の矢次一夫(武藤章と親しかった政治活動家)というのがちょいと引っかかりますが。


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