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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
ちょっと前のニュースだが。
バチカン:日本人殉教者188人を栄誉ある「福者」に

【ローマ海保真人】江戸時代初期の17世紀前半、キリスト教徒の迫害で処刑された日本人殉教者188人を、ローマ法王庁(バチカン)が近く、栄誉ある「福 者」に列する見通しとなった。対象者は九州、京都、米沢などで非業の死を遂げた司祭、一般教徒らで、これだけ多くの日本人が同時に列福されるのは140年 ぶりとなる。

バチカン外交筋によると、4月上旬に正式発表され、列福式は11月に長崎で行われる見通し。(以下略)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/europe/news/20070304k0000m040026000c.html

ちなみに上記で引用した毎日新聞の記事が一番詳しく、列福される人物の一覧も載っている。
   ◇殉教の地・時期別の殉教者一覧◇

殉教地     時期(1600年代)    殉教者

熊本・八代 03・12・8〜09・2・4  ヨハネ南五郎左衛門ほか10人

萩・山口  05・8・16〜8・19   メルキオール熊谷豊前守元直ほか1人

川内平佐  08・11・17       レオ税所七右衛門

生月    09・11・14       ガスパル西玄可ほか2人

有馬    13・10・7       アドリアノ高橋主水ほか7人

富岡    14・6・5       アダム荒川

京都    19・10・6       ヨハネ橋本太兵衛ほか51人

小倉・豊後日出 19・10・15〜36・1・30  ディエゴ加賀山隼人ほか17人

・熊本(加賀山一族)

江戸    23・12・4       ヨハネ原主水

広島    24・2・16〜3・8   フランシスコ遠山甚太郎ほか2人

島原・雲仙 27・2・21〜5・17   バルタザル内堀ほか28人

米沢    29・1・12       ルイス甘糟右衛門ほか52人

長崎西坂  33・7・28〜10・21   ジュリアン中浦(司祭)ほか2人

大阪    36・2・25       ディオゴ結城了雪(司祭)

長崎西坂  37・11・6       トマス金鍔次兵衛(司祭)

江戸    39・7         ペトロ岐部(司祭)
(引用上記記事と同じ)

「天正少年使節」の一人・中浦ジュリアンは知っている人は多いと思う。また日本人で初めてエルサレムまで行ったペトロ岐部も良く知られている一人であろう。

しかし、私が注目するのは太字で強調した「税所七右衛門」こと「レオン七右衛門」とイエズス会書簡に出てくる人物である。この人物は、島津家の家老・北郷三久(ちなみにこの人の母は島津義弘の先妻なので、島津本家とは近しい親戚でもある)の家臣だったが、棄教をしなかったために処刑されたという人物である。

この七右衛門の子孫について、『「さつま」の姓氏』では奇妙なことを書いている。
七右衛門一族は、この後薩摩から逃れて他地域に四散したのだが、七右衛門の次男一族は日向高岡に逃れたという。ここは伊東氏領との国境で、島津氏と伊東氏は犬猿の仲だったため、いざとなれば逃亡し、追求を逃れられると踏んでのことであろうと私は考える。
しかし、その後一族は都城に戻り、更に七右衛門の曾孫に当たる女性はその時の薩摩藩主である島津光久の側室の一人となり、一子・税所久皎を生んだという。キリシタンが側室とはこれいかに、と思うが、この頃にはすっかり棄教していたのであろうか。
実は、この島津光久という殿様の祖母も「カタリナ」の洗礼名を持つ熱心なキリシタンで、そのあげく鹿児島を追放されて種子島に流刑になっている。参照:拙別館該当データ 最も光久本人は先ほどの七右衛門の曾孫の他にも何人も(※おそらく数十人はいたと思われるが、ほとんど名前が判明していないため正確な人数は把握不能)側室がいたところから見ても、キリシタンではなかったと思われる。
が、キリシタン縁者の子孫の組み合わせ…単なる偶然ではなく意図的なつながりを感じるのは私だけだろうか。

ちなみに、私が今回のこのニュースに関心を持ったのは、この光久の祖母が列福されたのではないか、と期待していたのだが、リストには載っていなかった。処刑による殉教ではない(ちなみに史料では病死)ため、選考には漏れた模様である。

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無題
この度の列福式を歓迎します。
私の住む広島からも3名が列福されました。
税所と言うのは、税の取り締まり関係の役人だったのですかね。
何故、あのようなジェノサイドに至ったかですが、やはりカトリック側の税の役人が目障りだったのかもしれないと以前から想像していました。
恐らく、他の武士で殉教した人達も税の取り締まりに関係があったと思います。
私の先祖も税とか経理の関係だったようですけど、キリシタンには好意的な方でした。
税とか経理の不正を暴かれて困る側のジェノサイドだったのかもしれないですね。奥深いです。
身内からは多く殉教者があり、当時はかなり辛い思いをしたと思います。
もこ 2008/11/25(Tue)11:08:53 編集
税所氏
コメントありがとうございます。
ニュースを見ていると、長崎では大変な騒ぎになったようですね。

税所氏は、お察しの通り当初は徴税を担当していたようです。こちらのサイト
 http
に、税所氏のことが詳しく説明されています。
ただし、今回列福されましたレオン税所七右衛門のころには既に戦国武将として活躍しており、徴税の役は担当しておりませんでした。拙ブログでは説明が足りなかったので誤解されたのかと思います。申し訳ございませんでした。税所七右衛門は北郷三久という島津家の重役の配下にあり、その家老として活躍していました。そんな重役であった七右衛門が処罰されたのは、徴税がらみというより、純粋に宗教上の理由(要はキリシタンをやめなかったこと)の一点にあったようです。特に島津氏は関ヶ原の合戦で西軍(石田三成側)についたために徳川幕府からは常に目を付けられていたので、とりわけキリシタンに対して厳しい態度をとらざるを得なかった事情もあったと思われます。
七右衛門の殉教については『川内市史』上巻に詳しく書かれています。かなり大きな図書館に行かないと置いてない本だと思いますが、ご興味がおありのようですので、機会があれば一読をお奨めします。

ところで、もこさんはクリスチャンのようなので私より遙かに詳しいと思いますが、七右衛門の遺骨は密かに長崎経由でマニラに運ばれて供養されていました。が、何とその教会自身が地震で崩壊してしまい、残念ながら現在遺骨は行方不明になってしまっているそうです。
ばんない 2008/11/30(Sun)00:26:15 編集
無題
マニラですか。高山右近と同じですかね。
私はクリスチャンではありませんが、少し教会に出入りした事があります。聖書も読んでいます。
北朝と南朝では南朝方についた人に犧牲が多かったのかもしれないですね。
福島正則は広島ではキリシタンに好意的だったらしいですが、勝手に城を改築したという事で改易され長野で処刑されました。フランシスコ遠山も信州ゆかりらしく、個人的にあのあたりは古代の神様であるタケミナカタが逃げた場所でもありますし、昆虫食の風習もあります。
たぶん広島に関しては処刑された人は、元々は女神信仰者だったと思います。
正則が目指していたのも宮島幕府の復興だったという説があります。
因みに私の母方が正則の家臣団だった人が多い寺で、また、北陸からの高山右近の流れもありますので、いつまで経っても私の心の闇で払拭されないのが、彼らの処刑でした。
結局、何と何の戦いだったのかを思うに、古代の八岐大蛇とスサノオの激戦を思います。
スサノオの系図上でキリシタンになった人は多いでしょうね。
信長は改宗はしていなかったけど、南朝の後胤をしつこく捜していたようです。
織田ってコプト織りと関係があって、それと南ルートのキリスト教伝来を考えるとマニラに遺骨が運ばれたとかの歴史も想像が飛躍します。
黒人の家臣がいたくらいですから、これからのアメリカの大統領誕生のブームと併せて、カトリック教会の動向も気になってしまいます。
もこ 2008/12/09(Tue)21:16:03 編集
無題
すみません。
思わず感情的に書かせていただきましたので、文章が変でした。
彼らに信仰以外に、もし政治的に意図があれば、日本の大統領制を目指すものだったのかもしれないですね。
グノーシス思想とも似ているように思います。
広島に関しては、宮島はエジプトでは神殿娼婦と言われた内侍がいました。性的な関係を結べば知恵を得る、というようなもので、信長はこの宗教的な力が欲しかったのだと思います。
それが、原始キリスト教にも密接に関係があるような・・・。
雑念で振り回されて、一人で勝手に疲れています。
これからご案内いただいた歴史なども読んでみるつもりです。
有難う御座いました。
もこ 2008/12/09(Tue)21:25:09 編集
無題
税所氏のサイトですが、やはり藤原系ですね。
税と言えばマタイを想い出します。聖書で言う所のレビ系でしょうか。
余談ですが、地元のある人があれらは感情を持たないロボット武将だと言っていました。
そんな所から、私はつい例の想像力で、レビがロボットの語源になったのかと思っていました。
旧約にはレビについて、私有地を世襲しないとか書いてありますし、日本でも藤原(特に経理関係)が私有地を世襲して良いかどうかで戦乱もあったのでしょうね。
聖書のレビ族とバラモンも密接な関係があるようですし。
私の今の住所が広島の殉教者慰霊碑に遠くない場にありまして、しかも3名の内の2名でしたか、確か殉教日が2月17日で私の誕生日なのです。
とても複雑な思いで鬱しております。
私の身体の中で殉教者の誰に向かってだか、「一人で死なせてしまってすまなかった」と謝る別人がいるような気がしています。
沢山書かせていただいてコメントのされようもないでしょうが、あまり世間でこのような話をしませんし、たびたび場をおかりしまして申し訳ありません。
とにかく、この度の列福に関しては人一倍うれしく思っておりますが、死んだ人間は戻ってきませんね。
もこ 2008/12/11(Thu)20:41:16 編集
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