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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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島津重豪には私も把握できてないほどヾ(--;)大勢の側室がいたようだが、正妻は2名である。
最初の妻は一橋宗尹の娘・保姫だが、早産や流産を何回か繰り返した末に若くして衰弱死してしまう。
2番目の妻は甘露寺規長の娘・綾姫だが、彼女も早世してしまう。実はこの綾姫、当初は保姫に対抗して側室として迎えられた(当初は保姫のお付き女中から側室を迎えようとしたが、当然ながら女中は主人の保姫に遠慮して逃亡してしまった。そのため一橋家と家格で張り合える公家から側室が選ばれた模様)が、保姫が死んだ為に正室に昇格したという変わった経歴の女性である。

もっとも早産したとはいえ何人かの子供を産んだ保姫に対し、綾姫は一人の子も生むことなく早世している。また、同じ公家の姫であるお千万の方や、家斉正室の母となったお登勢の方など大勢の側室がいる中では、彼女は目立たない置物のような正室であったのではと推測される(つд`)

ところで。
子に長邦、娘(秋月種美室)、娘(甘露寺規長室)、娘(唐橋在家室)、娘(堤栄長室)。
甘露寺規長は綾姫の父、堤栄長はお千万の方の兄である。 つまり綾姫とお千万の方の二人、直接血はつながってないが近しい親戚って事か?

うーん、重豪、やっぱりエグイかな…ヾ(^^;)
それとも古代ならいざ知らず(姉妹が同時に一人の男性の妻になったケースは持統天皇に代表されるように多数)、江戸時代中期もこういうことはざらだったんだろうか。

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おまけ
上記の「黒田長貞」を見てもらえば分かるように、甘露寺規長室、堤栄長室の甥が、あの名君・上杉鷹山治憲に当たる。

鷹山と重豪はどうも生きていた時代もかぶっているようなのだが、親戚を通じて鷹山の改革を見聞きし、少しでも真似ようと言う気は
重豪にはちっとも無かったようである_| ̄|○
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