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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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…といえば、有名なのは鶴嶺神社だが、他にもあるらしい。
竪神社

従来霧島神宮の末社である。明治四年四月管轄庁より持松の村社と定めら れた。創建は詳らかでないが、天文二十一年九月二十七日当時の地頭某により寄進造営された棟札があったといい、また一説には、天正四年八月彼岸、島津義久 公、義弘公が、三原遠江殿を御使として、当神社に豊後の大友氏退治の御立願をされ、願成就し勝利を得られたため一社を造立し寄進したともいう。

尚、相殿神の於加美姫命は島津義久公の息女という(昭和十年発行の神社誌)。

確かに亀寿は「御上様」と呼ばれていた。

しかし、実は「おかみさま」という神様はいるのである。

わが岡の おかみに言ひて ふらしめし 雪のくだけし そこに散りけむ
(「万葉集」巻2-104 大原大刀自(藤原五百重娘とされる))

この「おかみ」を「雨や雪を降らせる神様ではないか?」と考察したのが、確か横田健一氏の「中臣氏と卜部」だったっけな(うろ覚え)
つまり「おかみさま」とは神奈川県の大山阿夫利神社などに祭られている「たかおかみのかみ」と同一。
※「おかみ」の字は雨かんむりの下に口を3つつけて更にその下に「龍」をかき、雨乞いの神とされます。

この神社自体、社伝がどうも怪しくなっているように思われるので何とも言えないが、本来の竪神社の「於加美姫命」は、このあめふらしの神様で、単に「於加美命」だったんじゃないだろうか。そこになんで「姫」が付いてきたかは

続くかも_(。_゜)/

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