拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
ちなみに、近代デジタルライブラリー版『国分の古蹟』で、猫神社の次の項目が早鈴神社というのだが、これも義久縁の神社で、しかもこちらの方はちゃんと残っている模様。これ
しかし、何か違和感があるなと読んでみると…『国分の古蹟』と鹿児島県神社庁HPでは義久の和歌の内容が微妙に違うようだ。
参考 『国分の古蹟』版義久詠歌
「五月雨は雲重なりて日比降れなへて早苗のうるふ計に」
「山廻る雲の誘はば雨をちて大御田小田の早苗うるほせ」
なお、阿夫利神社というのも義久自作の像(ご神体像)があった縁の神社らしいが、ここは別の神社に合祀されてしまった模様 こちら
「神宝」の項目に「島津義久作像」とか書いてないから…やっぱり無くなったのか(´・ω・`)
しかし、何か違和感があるなと読んでみると…『国分の古蹟』と鹿児島県神社庁HPでは義久の和歌の内容が微妙に違うようだ。
参考 『国分の古蹟』版義久詠歌
「五月雨は雲重なりて日比降れなへて早苗のうるふ計に」
「山廻る雲の誘はば雨をちて大御田小田の早苗うるほせ」
なお、阿夫利神社というのも義久自作の像(ご神体像)があった縁の神社らしいが、ここは別の神社に合祀されてしまった模様 こちら
「神宝」の項目に「島津義久作像」とか書いてないから…やっぱり無くなったのか(´・ω・`)
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