拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
ビザンチン帝国こと東ローマ帝国が1454年にオスマン・トルコ帝国の攻撃によって滅亡したのは、中学の世界史の教科書にも載ってる…はずだと思うんだが(^^;) ゆとり教育で削除されてたらごめんなさい
しかし、これでビザンチン皇室が滅んだ訳ではなかった!…らしい。陣頭で戦い戦死した悲劇の皇帝・コンタンティヌス11世には弟がおり、ペロポネソス半島飛び地の領主だったため帝国滅亡の巻き添えを逃れ、ローマに亡命した。ソマス(ギリシャ語読み)とかトーマス(イタリア語読み)とか言われる人物である。
この人の子供たちはどうも出来が良くなかったようである。長男はアル中で死んでしまい、次男は何と敵であったオスマン・トルコに庇護してもらって余生を送ったようである。長女はセルビア王に嫁いだようだが、この辺の国はその後あらかたオスマン・トルコによって滅亡してしまった。次女はモスクワ大公に嫁いで王子を産んだので後のロシア皇室につながる…はずなんだが、ロシア皇室(ロマノフ朝)の血統自体がいろいろとアヤシイからなぁ(^^;)
じゃ、やっぱりビザンチン皇室って滅んだんじゃないか、というと一応末裔らしい人はいるらしい。
あのデヴィ夫人関連で_(。_゜)/
しかし元皇族って、こういうアヤシイイベントに担ぎ出されるケース多いんだな…あ、かつてお騒がせした日本の「有栖川宮」は、全くの嘘ですからねヾ(--;)
おまけ
ビザンチン皇帝末裔・パレオロゴス家の系図
しかし、これでビザンチン皇室が滅んだ訳ではなかった!…らしい。陣頭で戦い戦死した悲劇の皇帝・コンタンティヌス11世には弟がおり、ペロポネソス半島飛び地の領主だったため帝国滅亡の巻き添えを逃れ、ローマに亡命した。ソマス(ギリシャ語読み)とかトーマス(イタリア語読み)とか言われる人物である。
この人の子供たちはどうも出来が良くなかったようである。長男はアル中で死んでしまい、次男は何と敵であったオスマン・トルコに庇護してもらって余生を送ったようである。長女はセルビア王に嫁いだようだが、この辺の国はその後あらかたオスマン・トルコによって滅亡してしまった。次女はモスクワ大公に嫁いで王子を産んだので後のロシア皇室につながる…はずなんだが、ロシア皇室(ロマノフ朝)の血統自体がいろいろとアヤシイからなぁ(^^;)
じゃ、やっぱりビザンチン皇室って滅んだんじゃないか、というと一応末裔らしい人はいるらしい。
一部の子孫が現在でもイタリアやイギリスで生活しているという。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%82%B4%E3%82%B9%E7%8E%8B%E6%9C%9D#.E5.86.85.E4.B9.B1.E3.81.A8.E5.B8.9D.E5.9B.BD.E3.81.AE.E8.A1.B0.E9.80.80.E3.80.81.E6.BB.85.E4.BA.A1
ビザンチン皇帝末裔アンリってどこかで聞いたことあるなぁ…と考えていたら、思い出した!日本にも来られていたのでした現在も傍流がイタリアに現存。アンリ・コンスタンティン・パレオロゴが現在の当主。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%82%B4%E3%82%B9%E5%AE%B6
あのデヴィ夫人関連で_(。_゜)/
リンク先には殿下ご夫妻+デヴィ夫人のお写真も(^^;)インペリアル ビザンチン 慈善舞踏晩餐会
「ビサンチン皇室 慈善舞踏会」は、すべての宗教を超えた
「超教派」であり、「騎士道」 と 「人類の為の至誠と奉仕」をモットーと
して世界各地で年に4回開催され、博愛と人道の精神を伝えてきております。
日本ではデヴィ・スカルノ夫人がビザンチンの皇室文化継承及び東西文化
交流の目的と、その趣旨に賛同し、ご参加いただける皆様と一緒に、
世界の平和を願い、日本赤十字社と難民を助ける会に慈善を行うために
開催しております。
http://www.dewisukarno.co.jp/event/byzantine.html
しかし元皇族って、こういうアヤシイイベントに担ぎ出されるケース多いんだな…あ、かつてお騒がせした日本の「有栖川宮」は、全くの嘘ですからねヾ(--;)
おまけ
ビザンチン皇帝末裔・パレオロゴス家の系図
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