拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
元ネタは拙別館ブログのこのネタ
明石屋のしおりによればこうあります
ちなみに高橋元種は江戸初年の大久保長安事件に巻き込まれて改易され、長男が二本松藩士に(※元種の流刑先だった)、二男が鹿児島藩士になってます。高橋家は秀吉の九州御動座に際しては島津氏と共闘したりするなど、仲は悪くなかったんでその関係でしょうな。
ではつづき
没落しただけじゃなくて、武士身分からも転落したのかよ…
あと、種美は聡明なのに何で没落したのか?というつっこみは無しでヾ(^^;)
ちなみに西田町はこちら
続きはこの商品で超有名な問題のエピソード
「このお菓子をお殿様に献上したところ”うまい!で、この菓子の名前は?”と聞かれ、とっさに言ったのがこの名前」
というエピソードが世間に広まっているようだが、明石屋さんによると、とっさに名称変更した訳じゃなくて、島津久光の命により変更した物のようだ。
もっとも、この名称変更には謎があって、「献上した先は大正天皇」説もあるみたい。
明石屋のしおりによればこうあります
この「高橋」って、戦国武将で、元宮崎藩主だった高橋元種の末裔…なんかいな?今を去る240年余り、宝暦十三年島津重豪の代に、高橋八郎種美は(高橋家八代目の嫡子)
ちなみに高橋元種は江戸初年の大久保長安事件に巻き込まれて改易され、長男が二本松藩士に(※元種の流刑先だった)、二男が鹿児島藩士になってます。高橋家は秀吉の九州御動座に際しては島津氏と共闘したりするなど、仲は悪くなかったんでその関係でしょうな。
ではつづき
(○。○)門地資産の豊かな武家であったが中道で落魄し士分を失って
没落しただけじゃなくて、武士身分からも転落したのかよ…
没落した武家が商人に転向しちゃうのはよくある話ですねそう明な種美は常に家運の挽回に心を痛めついに商法を志し餅菓子の独創に成功し意外に好評を得た、
あと、種美は聡明なのに何で没落したのか?というつっこみは無しでヾ(^^;)
商人へのトラバーユは見事に成功したようですが、余りにも成功しすぎて模倣品が続出したようですね(^^;)当時重豪公の盛んな頃で、公が歌舞伎をへいして西田町の西田座に上演せしめたが種美はこの機をつかみこの菓子を売り出し大いに人気を呼んで忽ちにして家運を振作した、それから市中に之れを做って売り出す物が多くなり今日に至ったのである。
ちなみに西田町はこちら
続きはこの商品で超有名な問題のエピソード
「春駒」への名称変更に関してはその形態が馬の一物に似ているというので「うまんまら」と称せられて明治末期頃までもその名前は伝わっていたがそれよりずっと以前久光公が、指宿二月田温泉に清適の折り偶々この茶菓を供したところが「そんな呼び名は女共の前などでは悪いから春駒と呼べよ」との命名が成り立ったというのである。
「このお菓子をお殿様に献上したところ”うまい!で、この菓子の名前は?”と聞かれ、とっさに言ったのがこの名前」
というエピソードが世間に広まっているようだが、明石屋さんによると、とっさに名称変更した訳じゃなくて、島津久光の命により変更した物のようだ。
もっとも、この名称変更には謎があって、「献上した先は大正天皇」説もあるみたい。
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高橋元種
末裔です(=^・ω・^=)v ブイ
元種が改易になった時に、当時は棚倉にいた立花宗茂お預かりになってんです。
過去に因縁ありすぎの秋月(元種実父)と立花ですが、宗茂は過去の遺恨をおくびにも出さず、高橋家の面倒を良くみていたとのことです。
で、宗茂が柳川に復活することになり、高橋元種の子供は二本松は丹羽様お預かりになったんです。
宗茂は丹羽様に「高橋家の子息をよしなに・・」と頼み、それが縁で元種の子は二本松藩士として残りました。
元種の子孫は今でも宗茂に世話になったと感謝してます。(子孫様HPより)
で、元種の子供は全員が二本松の残ったわけでなく、宗茂に同行し女子が柳川に行き、女系は立花家臣で残ってます。
自分は、鹿児島藩士も宗茂の口添えあったのでは~と推測してました。
高橋家は宗茂・実父の吉弘系と元種の大蔵系に別れるんですが、吉弘系高橋は断絶してるんです。
というのも家督を継いだ宗茂弟が2代将軍の勧めで高橋姓から立花姓に改名しちゃったから^^;
宗茂が物心つくころは、父は既に吉弘家を出て高橋の家督を継いでました。
宗茂にすれば何らかの形で実父所縁「高橋」の家名を残したかったようなんです。
高橋家の御家再興も二度ほど幕閣に働きかけてたようでして、結局願い叶わず、丹羽様に「よしに・・・」の流れになったので。
とまぁ、ここまでは自分も把握してたんですが、江戸期に商人になってたとは知りませんでした。
大蔵系氏族ファンとしては、少しでも消息が分かって嬉しいです。
ありがとうございます。拍手です
元種が改易になった時に、当時は棚倉にいた立花宗茂お預かりになってんです。
過去に因縁ありすぎの秋月(元種実父)と立花ですが、宗茂は過去の遺恨をおくびにも出さず、高橋家の面倒を良くみていたとのことです。
で、宗茂が柳川に復活することになり、高橋元種の子供は二本松は丹羽様お預かりになったんです。
宗茂は丹羽様に「高橋家の子息をよしなに・・」と頼み、それが縁で元種の子は二本松藩士として残りました。
元種の子孫は今でも宗茂に世話になったと感謝してます。(子孫様HPより)
で、元種の子供は全員が二本松の残ったわけでなく、宗茂に同行し女子が柳川に行き、女系は立花家臣で残ってます。
自分は、鹿児島藩士も宗茂の口添えあったのでは~と推測してました。
高橋家は宗茂・実父の吉弘系と元種の大蔵系に別れるんですが、吉弘系高橋は断絶してるんです。
というのも家督を継いだ宗茂弟が2代将軍の勧めで高橋姓から立花姓に改名しちゃったから^^;
宗茂が物心つくころは、父は既に吉弘家を出て高橋の家督を継いでました。
宗茂にすれば何らかの形で実父所縁「高橋」の家名を残したかったようなんです。
高橋家の御家再興も二度ほど幕閣に働きかけてたようでして、結局願い叶わず、丹羽様に「よしに・・・」の流れになったので。
とまぁ、ここまでは自分も把握してたんですが、江戸期に商人になってたとは知りませんでした。
大蔵系氏族ファンとしては、少しでも消息が分かって嬉しいです。
ありがとうございます。拍手です
鹿児島系高橋氏
コメントありがとうございます。
この高橋氏の履歴は、あくまで明石屋さんの調査による物なんで、当方としては正確かどうかはコメントしかねますヾ(^^;)
名族の高橋氏がそんなに簡単に没落するものかなあ?という気がするので。
個人的には高橋氏はちょっと気になる一族でもあります。実は鹿児島藩2代藩主光久の末息子を婿養子に迎えようとしたのですが、突然離縁したみたいなのです。藩主の息子を離縁するってよほどなので、何かあったのかなあと思うのですが、史料不足でさっぱり。
末尾になりますが、時乃栞さんは末裔だったのですか!私なんぞどこの馬の骨かわからんので_| ̄|○うらやましいです。
東の秋田氏、西の大内氏・高橋氏が先祖が古いビッグクラスだと私は勝手に思ってます。
この高橋氏の履歴は、あくまで明石屋さんの調査による物なんで、当方としては正確かどうかはコメントしかねますヾ(^^;)
名族の高橋氏がそんなに簡単に没落するものかなあ?という気がするので。
個人的には高橋氏はちょっと気になる一族でもあります。実は鹿児島藩2代藩主光久の末息子を婿養子に迎えようとしたのですが、突然離縁したみたいなのです。藩主の息子を離縁するってよほどなので、何かあったのかなあと思うのですが、史料不足でさっぱり。
末尾になりますが、時乃栞さんは末裔だったのですか!私なんぞどこの馬の骨かわからんので_| ̄|○うらやましいです。
東の秋田氏、西の大内氏・高橋氏が先祖が古いビッグクラスだと私は勝手に思ってます。
え?
誤解を招く書き方してすいません。ファンなだけで馬の骨です。
先祖は佐々木源氏としか・・・
戦争で家系図その他が焼失しまして、自分の先祖には夢を見る事すら出来ない(;;)
高橋氏の子孫HPは、二本松藩士系譜の方のようで、鹿児島藩士のデータは無いようです。
>藩主の息子を離縁
それは知らなかったです。
どうも、途中から男系が絶えたのか養子を迎えてます。
七郎左衛門種周(養子)が長吉の養子なんですが、この人が光久の末息子なのか、解りません。
これ以上は、自分レベルでは辿れませんでした^^;
明石屋さんとこに家系図があるのかなぁ~
高橋で通字が種なら、まず子孫だと思うけど~(という意味で「末裔です」のコメントでした^^;
先祖は佐々木源氏としか・・・
戦争で家系図その他が焼失しまして、自分の先祖には夢を見る事すら出来ない(;;)
高橋氏の子孫HPは、二本松藩士系譜の方のようで、鹿児島藩士のデータは無いようです。
>藩主の息子を離縁
それは知らなかったです。
どうも、途中から男系が絶えたのか養子を迎えてます。
七郎左衛門種周(養子)が長吉の養子なんですが、この人が光久の末息子なのか、解りません。
これ以上は、自分レベルでは辿れませんでした^^;
明石屋さんとこに家系図があるのかなぁ~
高橋で通字が種なら、まず子孫だと思うけど~(という意味で「末裔です」のコメントでした^^;
誤解でしたか
こんばんは。
誤解だったようで失礼しました。
ちなみに、高橋氏の婿養子になった物のその後離婚されてしまったという、島津光久の息子について、以下の記事でちょっと触れています。
http://sheemandzu.blog.shinobi.jp/Entry/33/
離婚後ですが、島津姓を名乗らずに母の実家を嗣いでいるようです。おそらくキリシタン疑惑が響いたのでは…と私は考えています。
誤解だったようで失礼しました。
ちなみに、高橋氏の婿養子になった物のその後離婚されてしまったという、島津光久の息子について、以下の記事でちょっと触れています。
http://sheemandzu.blog.shinobi.jp/Entry/33/
離婚後ですが、島津姓を名乗らずに母の実家を嗣いでいるようです。おそらくキリシタン疑惑が響いたのでは…と私は考えています。
無題
キリシタン疑惑ですか
実は高橋元種本人もキリシタン疑惑があるんです。
立花宗茂の高橋御家再興願いが叶わなかった事に影響したかもと子孫が言ってました。
元種のwiki〜に記載ない子供で相良人吉藩士になった男子がいます。
名前が不明なので改姓したか、途中で絶えたかでしょう。
相良は高橋の縁戚だし、高橋預かりの日向椎葉衆を引き継いでるから水面下で交流あっても不思議じゃないです。
税所がカタリナの身内なら、薩州とも所縁が多少ある事をなりますね。
考えすぎかな?宗家に都合悪い系統はキリシタンにしてるような(苦笑)
藩主生母の実家だから、島津仲家として復活はさせたし、従来の薩州分家は容認するが、それ以上系譜が広がるのは認めなかったかもしれませんね。
島津は大所帯だけに黒歴史が多い。(苦笑)
長々とすいません。
これで終わりますヾ(@⌒ー⌒@)ノ
実は高橋元種本人もキリシタン疑惑があるんです。
立花宗茂の高橋御家再興願いが叶わなかった事に影響したかもと子孫が言ってました。
元種のwiki〜に記載ない子供で相良人吉藩士になった男子がいます。
名前が不明なので改姓したか、途中で絶えたかでしょう。
相良は高橋の縁戚だし、高橋預かりの日向椎葉衆を引き継いでるから水面下で交流あっても不思議じゃないです。
税所がカタリナの身内なら、薩州とも所縁が多少ある事をなりますね。
考えすぎかな?宗家に都合悪い系統はキリシタンにしてるような(苦笑)
藩主生母の実家だから、島津仲家として復活はさせたし、従来の薩州分家は容認するが、それ以上系譜が広がるのは認めなかったかもしれませんね。
島津は大所帯だけに黒歴史が多い。(苦笑)
長々とすいません。
これで終わりますヾ(@⌒ー⌒@)ノ