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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
以前ネットで検索してこういう話があるのは知っていたのだが、参考史料も書いてなかったのでガセだろうと思っていた。

…が、実はその史料は存在していたらしい。
しかも「陰徳太平記」って…結構メジャー所じゃんうそも多いと言われてますが

詳しい内容は『大塚薬報637:47-49(2008年8月1日)』「いれずみ物語26」
サブタイトルは「戦国時代のいれずみ : 島津勢500余人,討死前夜その腕にいれずみ」
をお読み下さい。(こちらにpdfファイルへのリンクがあります)
超短めの論文(というよりコラムかな)ですが、それでも「忙しい!読む暇無し!」という方に要約すると

(1)島津家久軍の兵50人を生け捕ってみたら、ちょんまげのもとどりに「我二度と帰還せず」という札付けてたので首はねた 「薩摩兵って勇猛だよな」とみんなで話し合った
(2)島津歳久の長男・忠隣の兵・500名を討ち取ってみたら、みんな二の腕に「○○氏○○ 行年○○歳 ○月○日討死」って入れ墨してた
(3)黒田軍(官兵衛?)と対峙していた薩摩軍、黒田軍も「明日は討ち死にかも」と覚悟していたら、薩摩軍が急に引き上げ始めた。その後に行ってみると、手負いの兵の首を全部討ち取って路傍に埋めてあった
実は(2)の入れ墨の話、奈良時代から江戸時代までの入れ墨空白期に突如登場した唯一の入れ墨史料なのだ。また、この入れ墨習俗には衆道の影響が強く感じられる。二才と稚児のペアで突撃前夜にお互いの腕に“起請受け”として彫りあいっこしたのかも。

うーむ、要約というよりはしょりすぎか(^^;)

しかしこの「陰徳太平記」の話がうそ誇張でなければ、豊臣軍はある意味島津軍にびびったのではないかと思います。
…「何この変人達」という感じで(ヲイ)


拙ブログ関連ネタ
・バラ色な庄内の乱 その1
・バラ色な庄内の乱 その2


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美しさは罪♪
>互いの愛を深く濃く堀・・

ゲホグホ,;.:゙:..:;゙:.:: (゚*゚ゞ)ブッ!

にわか歴女のころ、陰徳って言葉がソッチ系の隠語だと早トチリしてた時期がありましたwww

「○○氏○○ 行年○○歳 ○月○日討死」
この部分だけだと戦時中の特攻の少年たちのような悲話なんですが、
二の腕に入墨とあると、途端に妖しく・・・(爆

衆道って、よほど盛んだったんですね^^;
それとも薩摩の衆道比率?が、とび抜けてたんでしょうか。
逆に薩摩にはノンケの人っていたんですか?
時乃栞 2012/10/10(Wed)21:41:16 編集
陰徳って言葉
時乃栞様コメントありがとうございます。

>陰徳って言葉
あ、仲間発見ヾ(--;)

>衆道
戦国の世では盛んだったのは有名な話ですが、ご指摘のように薩摩では飛び抜けて盛んだったといわれています。衆道文化は元禄を過ぎる頃には日本全体では下火になってしまうのですが、どうも薩摩ではその後も盛んだったらしいのは、氏家幹人氏の『武士道とエロス』で指摘されています。

>逆に薩摩にはノンケの人っていたんですか?
私が聞きたいです(爆)
安パイだと思っていた島津忠恒も男の愛人見つけてしまったし…
ばんない 2012/10/10(Wed)23:52:15 編集
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