拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
こちらのブログのこの記事を見て
「…実は私は思い当たる節が…げふんげふん」
と思っていたのですが、
これはいつかはブログかHPでまとめようと思っていた物の、生活に時間的余裕が無くなってまとめられなくなってしまい…放置プレイになってしまっていました。
今回、実は時間的余裕は前より更に無くなっているのですが(ヲイ)
どうせ今後もこの調子で余裕が出来ることはたぶん無いと思われるので、今回無理やりにまとめてみることにします。
まずは前説
「…実は私は思い当たる節が…げふんげふん」
と思っていたのですが、
これはいつかはブログかHPでまとめようと思っていた物の、生活に時間的余裕が無くなってまとめられなくなってしまい…放置プレイになってしまっていました。
今回、実は時間的余裕は前より更に無くなっているのですが(ヲイ)
どうせ今後もこの調子で余裕が出来ることはたぶん無いと思われるので、今回無理やりにまとめてみることにします。
まずは前説
戦国時代の島津氏に詳しい人なら既知の話ではありますが
今回の栄えあるネタヾ(--;)「頴娃氏」とは?
現在の南九州市頴娃町を中心に勢力を持っていた国人です。
もともとは平氏系の一族だったのですが、応永20年に島津久豊によって滅ぼされてしまいます。
で、その後釜に送られたのが久豊の子…なのですが、これが養子しかもよりによって島津氏とは因縁のライバル関係にあった肝付氏から迎えられた人なんですな。これ以前の頴娃氏を「平姓頴娃氏」久豊の養子以後を「伴姓頴娃氏(※肝付氏は大伴氏の末裔を自称していたので)」と歴史学上区別しています。
つまり、頴娃氏は島津氏とも肝付氏とも深い関係がある非常に複雑な一族なのです。一時期は守護・島津忠昌の息子を当主として迎えますが、この人は肝心の島津本家の男子が全員死んでしまったという事で連れ戻されてしまいます。実はこの人が…不肖の島津家14代当主!といわれたりする島津勝久なのです(^^;)。
そして今回の話は…その勝久が連れ戻された辺りからスタートする…続く。
※なお、現在本棚が重みのため崩壊するという私の事情により、次回連載は未定です_(。_゜)/
でも絶対続きは書くのでお待ち下さい 次回が数ヶ月経ってもないようなら苦情のコメント御願いします(ヲイ)
今回の栄えあるネタヾ(--;)「頴娃氏」とは?
現在の南九州市頴娃町を中心に勢力を持っていた国人です。
もともとは平氏系の一族だったのですが、応永20年に島津久豊によって滅ぼされてしまいます。
で、その後釜に送られたのが久豊の子…なのですが、これが養子しかもよりによって島津氏とは因縁のライバル関係にあった肝付氏から迎えられた人なんですな。これ以前の頴娃氏を「平姓頴娃氏」久豊の養子以後を「伴姓頴娃氏(※肝付氏は大伴氏の末裔を自称していたので)」と歴史学上区別しています。
つまり、頴娃氏は島津氏とも肝付氏とも深い関係がある非常に複雑な一族なのです。一時期は守護・島津忠昌の息子を当主として迎えますが、この人は肝心の島津本家の男子が全員死んでしまったという事で連れ戻されてしまいます。実はこの人が…不肖の島津家14代当主!といわれたりする島津勝久なのです(^^;)。
そして今回の話は…その勝久が連れ戻された辺りからスタートする…続く。
※なお、現在本棚が重みのため崩壊するという私の事情により、次回連載は未定です_(。_゜)/
でも絶対続きは書くのでお待ち下さい 次回が数ヶ月経ってもないようなら苦情のコメント御願いします(ヲイ)
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