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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
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『河原ノ者・非人・秀吉』のp.688~609あたりで
「福田千鶴氏が『淀殿』で"淀殿は貞淑"と書いていたが根拠が明らかでない、むしろ同時代史料(内藤隆春書状など)では淀殿のご乱行が伝えられていてとても貞淑とは思えない、同じ秀吉の妻室でも北政所や京極龍子は秀吉の死後出家したが淀殿は大坂の陣で自害するまで結局出家しなかった、そういえば淀殿の母・市も夫・浅井長政が死んだ後も出家しなかったので淀殿は母と同じ道を選んだわけである」
と言う事が書かれていたのを読んで、あることを思い出した。
拙ブログで言及していたと思って検索してみたが、書いてないようなので改めて書いてみる。

上記の文でもわかるように、
「武家の女性というのは夫が死ねば出家するのが当たり前」
というのは一般的常識なのだが、
それって本当にそうなのか?
…と言うのが今回の問題提起。

この先は「つづきはこちら」をクリック。




戦国時代の島津家の女性を今までいろいろ調べてきたが、その過程で驚いたのは離婚がかなり頻繁に行われていたこと。それまで「昔はそう簡単なことでは離婚しない(出来ない)」と思い込んでいたのでビックリした。
もうひとつ目に止まったのが、「夫が死んでも出家した形跡がない」こと。とは言っても、この時代の女性は生没年が分かればよい方で、具体的な足跡は書かれないのが普通である。そして、具体的な経歴が比較的分かるのはどうしても高級武家女性ばかりになってしまうので余り良い例ではないのかも知れないが、念のため列挙してみる。

島津忠良(日新斎)の娘
島津御南:夫の死後出家した記録はない。
島津御隅:夫より先に死去。※彼女に関しては後に詳述
三女(御西?):最初の夫とは離婚、次の夫とも離婚。
四女:夫より先に死去。
島津義久の娘
島津御平:夫の死後出家した記録はない。
島津新城:夫の死後出家した記録はない。
島津亀寿:最初の夫の死後出家した記録はない。二度目の夫より早く死去。
島津義弘の娘
島津御屋地:最初の夫とは離婚、二度目の夫の死後出家した記録はない。
島津御下:最初の夫とは死別だが出家した記録はない。二度目の夫とも死別だが出家した記録はない。
島津歳久の娘
長女:最初の夫とは死別だが出家した記録はない。二度目の夫とも死別だが出家した記録はない。
次女:最初の夫とは離婚、二度目の夫より早く死去
島津家久(中務大輔)の娘
長女:最初の夫とは離婚、以後再婚せずその後出家の記録も無し
次女:夫の死後出家した記録はない。
三女:最初の夫とは離婚、二度目の夫より早く死去
島津忠将の娘
長女:夫の死後出家した記録はない。
次女:夫の死後出家した記録はない。
島津以久の娘
長女:夫の死後出家した記録はない。
次女:結婚前に死去。
島津尚久の娘
長女:夫の死後出家した記録はない。
次女:夫より先に死去。
島津忠長の娘:最初の夫の死後出家した記録はない。二度目の夫より早く死去。
北郷時久の娘
北郷池上:最初の夫とは離婚、以後再婚せずその後出家の記録も無し
北郷外城:最初の夫とは離婚、以後再婚せずその後出家の記録も無し
北郷忠孝の娘:最初の夫とは離婚、二度目の夫とは死別だが出家した記録はない。
相良晴広の娘(亀徳):最初の夫とは離婚、二度目の夫とは死別し尼となる。

島津忠良側室(島津尚久の母):※後で詳述
島津貴久側室(島津家久母):貴久の死後、出家の記録は無し


と言う事で主要人物だけ確認してみたが、夫の死後に出家したのが明らかなのは相良亀徳(島津義弘の先妻)ただ一人なのである。
ただし、一人疑わしい人物がいる。それが島津忠良の側室で伝承では「桑御前」史料では「大仁」として登場してくる女性である。彼女は生前から庵主号を持っており熱心な禅信徒として認められていたという。生前に法号を持っていた=出家していたと見ることも可能だが、それが忠良の死後(1568年以降)なのかその前からだったのかが現在の所はっきりしない。

ところで上記の中ではっきり尼になったのが明らかな女性がもう一人いる。それが島津忠良の次女・御隅(樺山善久室)なのだが、彼女の出家は何と長男の戦死をきっかけとしたものであった。この時夫の善久は健在である。史料では夫が出家を止めた形跡はない。主君・忠良の娘であったため止められなかったのかも知れない。なおこの後彼女は長生きしたが、夫より先だって亡くなっている。


さて、気になって「夫の死をきっかけに出家した女性」第一号は誰なのか?ちょっと調べてみた。
古代においては、持統天皇が熱心な仏教信者で、しかも夫の墓に仏式(火葬)で埋葬された最初の皇后だが、彼女が夫の死後に出家したという話は伝わらない。天皇の皇后で、夫の死後に出家した第一号は恐らく淳和天皇皇后・正子内親王と思われる。ただこの後に夫の死後妻がが必ず出家する慣例が出来たわけではなかったようだ。平安時代に於いて、天皇家はもちろん、摂関家を見ても夫の死後妻が出家した例はそれほど多くない。

平安時代の末期、武家が台頭してくるが、この時に武家の正室として有名な女性が夫の死後に出家している。源頼朝の正室・北条政子である。この後源実朝の妻とかも夫の死後に出家しているので、武家社会の台頭と共に「夫が死んだら出家」というルールが成り立ったのかな
 とも思ったが
松下禅尼のように夫が死んで出家したのかどうかはっきりしない人も多く、どうも鎌倉時代が「夫が死んだら出家」ルールが成り立った時期でもなさそうだ_(。_゜)/



くどくどと書いてきたが、要は
「夫が死んだら出家する」と言うのが常識になったのは、どうもそんな古い話ではなくてせいぜい江戸時代になってからじゃないか?
…と言うのが、今のところの私の意見。
ただ、島津氏というかなり偏った場所の例にのっとった話なので、他家に詳しい皆様などのご意見をお待ちしております<(_ _)>



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せいぜい江戸時代
もしくは明治以降の刷り込みとか。

>女三年子無きは去れ

とか昔は聞くけど、そもそも良家武家の縁組は政略結婚ばっかりだから、子供がいなくとも側室迎えて奥向きを宰領してる。

自分も調べ始めて、離縁や死別はともかく再婚が多いので驚きました。
出戻りも出家のイメージが軽くあったので^^;

亀徳姫の場合は夫の死後じゃなく、息子の死後の出家かも?

相良晴広といえば、正室の内城も出家の時期(夫の死後か息子・義陽の死後か)不明
八代日記だと晴広死後も法号ではなく実名(ねねい)で記録されてるとか。
(蔵書してる方に確認)

女性の出家時期特定は、ほんとに難しいですね^^;
昔は法号だけゲットして、髪を下さず俗体のままバージョンもありだから悩ましいです(-ω-;)ウーン
時乃栞 URL 2014/05/31(Sat)00:41:05 編集
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