拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
前の話はこちら
さて、以前桐野作人氏のブログで「島津亀寿の名前」についていろいろコメントしたことがあるのだが
『歴史読本』2009年4月号の坂田氏のコラムを読んで考えたのは
島津亀寿は幼名を晩年まで名乗っていた可能性もあるのではないか
ということ。
もっとも拙HPで説明しているように、人からは「御上様」と呼ばれることがもっぱらだったようなので、自称するぐらいで「亀寿」を使う機会は少なかったと思われる。
この説では「新城島津家文書」(『鹿児島県史料 旧記雑録拾遺家分け10』所収)にある亀寿書状の謎の末尾サイン「か」は「亀寿(かめじゅ/かめひさ?)」の略と言うことになるが…。ちなみにこの時代の女性、なぜか自分のサインをするときに頭一字しか使わないことが多いです(例:北政所書状で「ね」(「禰々」か「寧」の略)など)。
さて、以前桐野作人氏のブログで「島津亀寿の名前」についていろいろコメントしたことがあるのだが
『歴史読本』2009年4月号の坂田氏のコラムを読んで考えたのは
島津亀寿は幼名を晩年まで名乗っていた可能性もあるのではないか
ということ。
もっとも拙HPで説明しているように、人からは「御上様」と呼ばれることがもっぱらだったようなので、自称するぐらいで「亀寿」を使う機会は少なかったと思われる。
この説では「新城島津家文書」(『鹿児島県史料 旧記雑録拾遺家分け10』所収)にある亀寿書状の謎の末尾サイン「か」は「亀寿(かめじゅ/かめひさ?)」の略と言うことになるが…。ちなみにこの時代の女性、なぜか自分のサインをするときに頭一字しか使わないことが多いです(例:北政所書状で「ね」(「禰々」か「寧」の略)など)。
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