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拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
伊集院家関連でよくお世話になっている「庄内陣記 伊集院家系図」
これでは伊集院忠棟は59歳没(慶長4年(1599年))となっている。
忠棟の息子達の年齢拙HP「島津久定女」に載っているのでご参照を)とも矛盾はない。

ところが、「本藩人物誌」に載っている忠棟弟・比志島義興の没年は「天文六年生」「慶長八年 六十八歳没※「68歳没」という記述は後からの朱書き
天文6年(1537年)生まれ慶長8年(1603年)没の義興は何と兄より年上になってしまうのである。
ここで考えられる理由は
・義興が忠棟の弟であることを隠すため、義興の年齢を工作した
なのだが

天文24年(1555年)の合戦時の名簿(「薩藩旧記雑録」後編1-32)には
 伊集院右衛門大夫
という記述がある。
「庄内陣記」の記述を信じると忠棟は天文10年(1541年)生まれになるので、この時14歳になる。
年齢的には元服して参加していてもおかしくはないのだが、
・すでに官名名乗りをしていること
・それが系図で知られる初官名の「掃部介」ではなくて、いきなり「右衛門大夫」
という疑問点がある。

もう一つの疑問点。
忠棟は一時期島津義久と相婿だったことがある。
忠棟は種子島時尭の長女を妻とし、
義久は種子島時尭の次女を妻としていた。
忠棟が「庄内陣記 添付系図」記載の天文10年生まれとすると、
忠棟は義久より年下なのに、立場上義理の兄になっていたことがある。
これは主君に対して非常に失礼なことになるのではないだろうか。


うむー?(゜_。)?(。_゜)?
この話題不定期に継続する予定(^^;)

おまけ:
比志島義興が伊集院忠棟の弟と看破されたのは五味克夫氏なんだが、年齢問題についてはどう解決されたのだろうか?実はそれに論究した論文にいまだぶち当たらず…

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自分の年齢
この時代の人って、自分の年齢を自分でちゃんとカウント出来てたんでしょうか^^;

だって閏月はあるし、改元も今より遥かに多い。
明治・大正・昭和・平成とあるだけで、
年齢早見表が無いと一瞬勘違いしそうになるのに、
当時の人が、それほどキッチリしてたかなぁ~

改元で間違えないように干支があるわけだけど、
ウッカリ勘違いは絶対ありそう(爆

生年の異説って、そんな感じで増えてるようなイメージです,;.:゙:..:;゙:.:: (゚∀゚ゞ)ブハッ!
時乃栞 URL 2012/12/14(Fri)20:54:20 編集
どぉもです
年齢、年号は、あったと、把握されてたと
思います。
うちの伊集院系図に、年号、亡くなった事等、書いてありました
伊集院氏族末裔 2014/05/05(Mon)10:34:27 編集
無題
伊集院氏族末裔様、貴重な証言ありがとうございます。
もし宜しければ、お手持ちの系図に書かれていた忠棟の没年を教えて下さると嬉しいです。
現在、書籍として刊行されている史料では忠棟の生没年が分かる物はなかったと思います。このエントリで私が紹介した『庄内陣記』添付伊集院家系図は、実は鹿児島県立図書館の原本をコピーして貰った物です。人物往来社『島津史料集』には所収されていません。それくらい伊集院忠棟家に関するデータは見事にない状態なのです。一つでも知られていない史料の発掘が忠棟の解明に繋がっていくのでは、と思っています。宜しくお願いします。
ばんない 2014/05/14(Wed)00:47:50 編集
私の所は
忠棟の弟側でした
あの日の伏見屋敷で惨殺されたようで
その日付は旧暦の日付と現代の日付でネットには
書いてあるのが正解だと思ってました
1599年が没年で その後 身内同士の争い
庄内の乱が勃発と有ります
原本というのは私でも見ることは可能ですか?
伊集院氏族末裔 2018/07/01(Sun)10:50:30 編集
「庄内陣記添付系図」について
伊集院家の末裔の方、大変御無沙汰しておりました。
「忠棟の弟側」と言う事は、忠棟には弟が2人いたようなのですが(『鹿児島県史料』所収「諸氏系譜 伊集院氏」参照)、そのどちらかの末裔でらっしゃると言う事でしょうか。系図の記述は乏しいのですが、恐らく忠棟の死後はかなり苦難の生活を送られた物と推測されます>忠棟の弟たち

さてお尋ねの
>原本というのは私でも見ることは可能ですか?
と言う事ですが、原本そのものを拝見できるかどうかは、実際に鹿児島県立図書館に行かないと何とも言えないのですが、COPYは可能かと思います。とはいっても、私もCOPYを取り寄せたのはもう10年ぐらい前(…)なので、鹿児島県立図書館にお問い合わせ下さるのが一番確実です。
念のため、鹿児島県立図書館の公式HPはこちらです。
http://www.library.pref.kagoshima.jp/

ばんない 2018/07/02(Mon)17:34:40 編集
夏になりました
私は 父親から島津の子だからしっかりしなさいと
子供の頃によく言われたもので 度々うちに遠くは
都城から画家の祖母が訪ねてきたので小学生の時に島津って?家系図あるの?と訪ね持ってきて貰いました 当時はインターネット等もなく
大人になりインターネットで系図を検索すると
え?何故載ってる 色々と調べていくうちに
伊集院忠棟の斬殺 庄内の乱に 突き当たり今に至ります 今から15年前になります
自分のルーツがはっきりしたので気持ちは
スッキリしましたが 生まれてくる前の遺伝の記憶
の映像などが家紋を見たときに蘇りました。
ネットには系図の先祖の名前がちらほらと載っています 住んでいた城 名前等 書いてしまえば
先祖がどこの誰か町名でも判明してしまいます
系図には古い言葉しか載っておらず
インターネットを便りに 系図には載っていないことまで判明しているのが驚きと喜びで溢れています 関ヶ原の戦いの前の話
徳川家康を打ち負かすことがあの日
出来たかも知れないところをあいつが
余計なことをしなければという怒りが
想いに代わり 記憶と遺伝として受け継がれています 高野山に忠恒の墓があるそうで
まだ忠棟の惨殺された日が旧暦ではなく現代の日付の時に いかなければという何かに押され
真夜中から一人運転をして高野山へ向かいました
骨は其処にはないのはあとから知りました
長くなりました すいません
今週金曜日から日曜日まで私は宮崎鹿児島に
里がえりします 忠真の墓と系図が今インターネットに載っているきっかけを作ってくれた
私の大伯父の墓に手を合わせに行こうと考えています

系図のURLありがとうございます
一度 確認してみます
伊集院氏族末裔 2018/07/16(Mon)15:46:24 編集
里帰り出来ました
滞在日数、時間の少なさから
忠真の墓には行けませんでしたが
一族の資料を手に入れる切っ掛けを持つ
祖母に会いました 祖母に手紙を書き
系図以降の幕末の一族の資料も手にはいる可能性
郷に帰り 薩軍に参加していたという展示も
してありました
伊集院氏族末裔 2018/07/27(Fri)09:10:29 編集
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