拙HP「戦国島津女系図」の別館…のはず
これ以上島津以外に守備範囲を広げるつもりはありません!( ̄^ ̄)…と言いつつ書いてみる(をい)
多田駿と言えば
・仙台陸軍幼年学校の栄えある1期生
・石原莞爾が参謀本部第1部長時代の参謀次長 野村乙二朗氏曰く「石原の一番の理解者かも」(『毅然たる孤独 石原莞爾の肖像』)
・莞爾が参謀本部を去った後、今田新太郎を初めとする作戦指導課が「日中戦争非拡大派」の旗頭にした人
・トラウトマン工作をぶっつぶそうとしている近衛文麿や米内光政等の前で号泣して日中戦争の非を訴える…も、「お前が強硬に抵抗したら、近衛内閣つぶしますよ?」という米内の脅しに屈してしまう…。
・その後、北支軍司令官となり今田の上司となるが、どうも今田の悩みの種だった様子(中江丑吉が今田に出した手紙から伺える)
・石原莞爾に好意的だったのが東条英機に目を付けられるところとなり、予備役編入させられる。その後、あの甘粕正彦と共に四国巡礼に旅立ったらしい…(『甘粕大尉』角田房子)
・上記の中江丑吉からは「多田和尚(ただほーしゃん)」と皮肉られるくらい仏教哲学に精通してしまった。と言うよりとっとと軍人やめて出家した方が幸せだったのでは
・しかし、石原莞爾が熱心に勧める日蓮については、遂に良さが分からなかったらしい(『山紫に水清き』)、と言うか分からなくても良いと思いますですヾ(^^;)
・戦後はやはり極東軍事法廷から呼び出しかかってしまう…大将だから仕方ないか
・ただし↑の話は中国国民党曰く「いや~中共が"多田は死刑"とうるさいからやむなく戦犯リストに入れたけれど、絶対無罪にしますから、多田先生はゆっくりご休養下さい」だとか。
・法廷での態度が余りにも立派だったため、あの朝日新聞に激賞されたらしい 実際の画像はこちら(1:30辺り)
・しかし、癌のために昭和23年死去…その数ヶ月後に不起訴で釈放決定…
・早稲田大学に膨大な蔵書が寄贈されている模様…でも寄贈されたのが昭和32年なのにまだ目録ないって_| ̄|○
・防衛省の図書館に北支方面軍司令官だった頃の随筆その他のメモが寄贈されているらしい。もしかして今田へのぼやきもその中にはあるかもって期待していいんだろうか
・奥さんはあの張作霖爆殺事件の主犯・河本大作の妹。でもふざけた性格の兄と違って妹は多田とお似合いの真面目な性格だったようだ。
・元シリア大使の多田利雄は親戚
・カレーとアジア独立運動支援で有名な中村屋のおかみ・相馬黒光も親戚(『広瀬川の畔 黙移逸篇』 黒光の父の実家が多田家)。なおこれによると多田家は元々クリスチャンだったのが駿の代になって浄土宗に改宗したらしい かなり風変わりかも。
・相馬御風はメル友(をい)の一人1、2
・あの川島芳子の"パパ"だったのは公然の内緒ヾ(--;)
ざっと思いつくところでこんな物かな。
熱情型だった今田新太郎よりは,この人の方が私向きかも知れない。
島津義久とか「世間を斜に構えてみている」人の方が好みな物で(^^;)
この多田駿の面白い話と言えば
陸軍大学校教官だったときに出したという強烈な問題ですかね。当時の東京帝国大学よりも難関だったという陸大の生徒達も悩みに悩んだというこの問題、みんなも解けるかな?
問題
「中国で作戦中、何と捕虜を10000人も捕まえちゃった(○。○) この処理をどうする?」
多田先生のありがたい模範解答は続きをクリック。
多田駿と言えば
・仙台陸軍幼年学校の栄えある1期生
・石原莞爾が参謀本部第1部長時代の参謀次長 野村乙二朗氏曰く「石原の一番の理解者かも」(『毅然たる孤独 石原莞爾の肖像』)
・莞爾が参謀本部を去った後、今田新太郎を初めとする作戦指導課が「日中戦争非拡大派」の旗頭にした人
・トラウトマン工作をぶっつぶそうとしている近衛文麿や米内光政等の前で号泣して日中戦争の非を訴える…も、「お前が強硬に抵抗したら、近衛内閣つぶしますよ?」という米内の脅しに屈してしまう…。
・その後、北支軍司令官となり今田の上司となるが、どうも今田の悩みの種だった様子(中江丑吉が今田に出した手紙から伺える)
・石原莞爾に好意的だったのが東条英機に目を付けられるところとなり、予備役編入させられる。その後、あの甘粕正彦と共に四国巡礼に旅立ったらしい…(『甘粕大尉』角田房子)
・上記の中江丑吉からは「多田和尚(ただほーしゃん)」と皮肉られるくらい仏教哲学に精通してしまった。と言うよりとっとと軍人やめて出家した方が幸せだったのでは
・しかし、石原莞爾が熱心に勧める日蓮については、遂に良さが分からなかったらしい(『山紫に水清き』)、と言うか分からなくても良いと思いますですヾ(^^;)
・戦後はやはり極東軍事法廷から呼び出しかかってしまう…大将だから仕方ないか
・ただし↑の話は中国国民党曰く「いや~中共が"多田は死刑"とうるさいからやむなく戦犯リストに入れたけれど、絶対無罪にしますから、多田先生はゆっくりご休養下さい」だとか。
・法廷での態度が余りにも立派だったため、あの朝日新聞に激賞されたらしい 実際の画像はこちら(1:30辺り)
・しかし、癌のために昭和23年死去…その数ヶ月後に不起訴で釈放決定…
・早稲田大学に膨大な蔵書が寄贈されている模様…でも寄贈されたのが昭和32年なのにまだ目録ないって_| ̄|○
・防衛省の図書館に北支方面軍司令官だった頃の随筆その他のメモが寄贈されているらしい。もしかして今田へのぼやきもその中にはあるかもって期待していいんだろうか
・奥さんはあの張作霖爆殺事件の主犯・河本大作の妹。でもふざけた性格の兄と違って妹は多田とお似合いの真面目な性格だったようだ。
・元シリア大使の多田利雄は親戚
・カレーとアジア独立運動支援で有名な中村屋のおかみ・相馬黒光も親戚(『広瀬川の畔 黙移逸篇』 黒光の父の実家が多田家)。なおこれによると多田家は元々クリスチャンだったのが駿の代になって浄土宗に改宗したらしい かなり風変わりかも。
・相馬御風はメル友(をい)の一人1、2
・あの川島芳子の"パパ"だったのは公然の内緒ヾ(--;)
ざっと思いつくところでこんな物かな。
熱情型だった今田新太郎よりは,この人の方が私向きかも知れない。
島津義久とか「世間を斜に構えてみている」人の方が好みな物で(^^;)
この多田駿の面白い話と言えば
陸軍大学校教官だったときに出したという強烈な問題ですかね。当時の東京帝国大学よりも難関だったという陸大の生徒達も悩みに悩んだというこの問題、みんなも解けるかな?
問題
「中国で作戦中、何と捕虜を10000人も捕まえちゃった(○。○) この処理をどうする?」
多田先生のありがたい模範解答は続きをクリック。
模範解答
「捕虜のみなさんは解放してあげましょう。そしてもとの生業に就かせましょう」
…正解者はいなかったような気がする…。
もうひとつ興味深いお話。
何と徳富蘆花の私小説『寄生木』の登場人物として登場しているのだそう。別件で検索して初めて知った。
宮古市「寄生木」展示室
近代デジタルライブラリー『寄生木』※ものすごく長い小説なので注意
なお多田駿は「太田中尉」と言う変名で登場。乃木希典は「大木大将」となっているとか。意味のない変名が大好きな蘆花さん。
「捕虜のみなさんは解放してあげましょう。そしてもとの生業に就かせましょう」
…正解者はいなかったような気がする…。
もうひとつ興味深いお話。
何と徳富蘆花の私小説『寄生木』の登場人物として登場しているのだそう。別件で検索して初めて知った。
宮古市「寄生木」展示室
近代デジタルライブラリー『寄生木』※ものすごく長い小説なので注意
なお多田駿は「太田中尉」と言う変名で登場。乃木希典は「大木大将」となっているとか。意味のない変名が大好きな蘆花さん。
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